・・・まだ残り11日もある・・・



 火薬の匂い、熱く湿った風、人ごみ、ざわめき、体の芯を震わせるような重い音、夜の闇が鮮やかに彩られる、喚声が上がる…
 ふと隣りを見ると、瞬きもせずに熱心に空を見上げる彼の横顔があった。夜の暗さにぼんやりと浮かぶ白い頬に、極彩色の光がチカチカと映っては消える。その様子がどこか幻想的で、目を奪われた。花火ではなく彼を見ていること。気付かれたらなんて言い訳しよう。どうか気付かれませんように。そう思う頭の隅で、気付かれることを願っている。その矛盾。彼を好きになって思い知った。自分の中には大きな矛盾があるということに。気持ちを知られたくなくて、でも気持ちを知ってもらいたくてうずうずする。なにかの機に乗じて告白したくて、でも告白なんかするつもりはなくて。思いきり矛盾している。
 ただでさえ蒸し暑い夏の夜は、火薬の匂いと人込みのせいでさらに熱気を帯びていて息苦しいほどだ。本当は人の多いところは苦手だった。なんでわざわざ暑い中人込みに出かけていって花火なんか見なくてはいけないんだ、そんなふうに馬鹿にすらしていた。けれど花火を見に行こうと言い出したのは他でもない自分だ。真田は花火とか好きそうだな、とか、二人で花火見るっていかにも夏っぽくてなんかいいよな、とか、そんな気持ちから誘ったわけなんだけど。普段からは考えられないほど積極的な自分に驚く。誰かに近付こうとするのはパワーを使う。消耗する。それでも湧き上がってくる近付きたいという欲求。欲求に背中を押されて行動し、そして疲れて、それでもなお欲求は滾々と湧き出てくる。近付きたいという思いには、“どれくらい”近付きたいという具体的な目標はない。きっとこの先付き合いを続け今よりずっと親しくなったって、餓えのようなものを感じ続けるんだろうな。

 立て続けに花火が上がり、空が一際華やかな模様で覆われた。あちこちで喚声が上がり、真田の目も驚きと喜びで一回り大きく開かれる。俺も花火に視線を戻した。クライマックスだろうか。生き急ぐように次々と花火が散っていく。瞬きする暇すら与えられない。鮮やかな夏の夜の空。きっと夏休み一番の思い出になることだろう。

「凄かったな」
 花火終了後、興奮でいくらか頬を紅潮させて真田が言った。
 学校では決して見せることのない感動を隠さない素直なその様子に胸が高鳴ってしまう。

 やっぱり君は可愛いな。絶対に忘れないよ。君のその表情を、僕は一生忘れな

「ところで
宿題どれくらい進んだ?」

…!





 そりゃもう、宿題という存在そのものをすっかりすっきりさっぱり忘れてた!
「信じらんねー! まだ一ページも手を付けてないってどういうことだよっ」
 あ、呆れてる? いや、怒ってる?
「大体宿題の分担決めた日っていつだよ。あれから三週間は経ってるっていうのに…」
 そうか、あれからそんなに経つか。
「ぎりぎりになっても出来なくて、俺も一緒にお前の担当のとこまでやるはめになるなんて絶対やだからな!」
 かくいう真田はもう八割方問題集は終わっているらしい。いやー、尊敬するね。
「なんて計画性のない奴だ…」
 いやー、返す言葉もございません。
「なんとか言ったらどうなんだよ」
「まだ19日じゃん…」
「もう19日だっ!」
 捉え方は人それぞれ。
 真田は呆れたような様子でため息を吐いていた。

「で、話変わるんだけどさ、明日が全校登校日だっていうこと分かってる、よな?」

…!




(またそれかい)

「……忘れてたんだな?」
「……いや? 覚えてた覚えてた」
「嘘だ! お前絶対忘れてただろ!」
 とりあえず笑って誤魔化してみると、笑って誤魔化すな、と即座に突っ込まれた。
「なあ、明日学校終わったあと、俺んとこ来ない?」
 おお、真田からのお誘いだ!
「一緒に宿題やろう」
 ああ、宿題、ね…。
「だって、ほっとくと、お前ほんとにぎりぎりまでやらなさそうなんだもん…」
「鋭い読みだなあ」
 別にからかったわけじゃなくて誉め言葉のつもりで言ったのに頭を小突かれてしまった。
「真田は真面目だなあ」
 別に冷やかしたわけじゃなくて誉め言葉のつもりで言ったのに真田は気分を害したようだった。
「別に普通だよ」
 あきらかに拗ねたような顔。ちょっとした一言で真田は機嫌を悪くする。慌てて機嫌を取ろうとしてもそのやり方が白々しい場合は逆効果で、さらに彼の機嫌を損ねてしまう。なんて面倒臭い奴なんだろう。俺はとても面倒臭がりだから、面倒臭いのは大嫌いだ。人が多いと分かっていてわざわざ花火を見に行くのは面倒だし、夏休みの宿題も面倒だし、世の中には本当に面倒なことが多いね。だけど、なんなのか、自分の隣りでまだしつこく拗ねた様子でいるクラスメイトがいとおしく感じられてならない。全然可愛くない。面倒臭い。子どもっぽくてツリ目でわがままで愛想が無くてたまにほんと憎たらしくて容赦なく頬を抓ってやりたくなる。この面倒臭いクラスメイトの機嫌をどうやって取ろうかと考えてみる。でも結局気の利いたことは言えやしないんだ。
「明日からちゃんとします」
「明日からじゃなくて、今日から」
 うわ〜可愛くね〜。

 曲がり角が見えてきて、そこが二人の分かれる場所だ。真田はそのまま真っ直ぐ進み、俺は左に曲がる。明日は学校で会えるというのに、なんだか離れがたい。そんなふうな自分が照れ臭かった。
「家まで送ってあげようか?」
 紳士的な俺の台詞に真田は、
「ばっかじゃねーの」
 うわ〜可愛くね〜。

「明日、学校あるんだからな?」
 念を押してくる真田に、俺は「はいはい分かってますよ」と答える。
「じゃあな!」
 今日はとても楽しかったワ★くらい言えないものかね。あっけない別れ方じゃないか。うーん、寂しい。でも、今日の出来事を頭の中で反芻して、どこか甘ったるい気持ちにもなったりした。好きな人がいるというのは素晴らしいことだね。いつだって気持ちが忙しい。今までただ漫然と日々を過ごしてる感じだったけど、夏休みに入ってからというもの真田一色だな、なんとなく。うん、気持ち的に忙しいんだよ。宿題のことも失念してしまうくらいに。(それは言い訳だ)


 翌朝、ふと目が覚めて時計を見ると、11時過ぎ。
 ああ、11時過ぎね…、
 そう思いながらまた瞼を閉じようと

 ………、
 11時!?!?

 頭から冷や水を被ったような気持ちになって、がばっと起き上がった。心臓がひんやりと冷たい。11時…、11時か…、おかしいな、7時半に目覚ましをセットしてたはずなんだけど、止めたんだろうな、記憶にないけど、でも止めたんだろうなあ。そのへんに転がっている携帯を見ると着信履歴が。かかってきた時間はついさっき。真田からだ。もう学校は終わったんだろう。なんとなくかけ直すのがそら恐ろしかったのでそれはひとまず置いといて、とりあえず急いで洗面所に行って顔を洗って歯を磨いた。そそくさと身支度を済ませて家を飛び出る。学校は終わってるはずだから制服に着替えることもないと思い、私服だった。Tシャツにジーンズ、思いきり軽装。
 学校に向かう途中、何人か同じ学校の生徒とすれ違った。皆制服だというのに自分は私服で、どこか居たたまれない気持ちになる。知り合いには会いませんように。でも真田には偶然会えますように。(なんて都合のいい!)

!」

 呼び止められて、声のする方向に顔を向ける。

「…真田…」

 このときばかりはさ、もしかしたら神様っているんじゃないかと思ったね。

「何やってんの、お前は。制服じゃないし!」
「うん、起きたら11時過ぎてた」
「馬鹿!」
「目覚ましセットしてたんだけどな」
「起きれてないなら意味ねーじゃん」
「まあね」
「昨日あれだけ言ったのに…」
「わはははは」
「また笑って誤魔化す…」
 真田は完全に呆れていて、言葉少なだった。居心地の悪さを感じながら、俺は真田の後をついて行く。
「あー、鞄持ってあげようか?」
 機嫌を取ってみた。
「……」
 無視された。

 ふと自販機の前で真田が立ち止まる。突然止まるから驚いた。
「喉渇いた。ジュース奢って」
 これで機嫌直してくれるんなら安いものだよな。それにしても、なんか、思いきり仏頂面でねだられて、逆にぐっときてしまった。コインを入れて迷わずになっちゃんのりんご味のボタンを押す。能天気な表情のなっちゃんがなんとも微笑ましい。拗ねて怒ってばかりの真田もなっちゃんの明るさを見習ってほしいなと思いつつ。ガランと音を立てて出てきた缶を真田に差し出した。
「はい、どうぞ」
「なんで勝手に押しちゃうんだよ!」
 あっ、また怒る。
「だって、これでいいんだろ?」
「でも勝手に押すことないだろ」
「そうか。ボタン押したかったんだな…」
「そういう問題じゃない!」
 真田はひったくるように俺の手から缶を取った。

 プルタブを引き上げながら、真田がふと呟いた。その呟きはあまりに小さ過ぎて、注意していなければ聞き逃すところだった。

「今日、誕生日なんだ」

「…は? …誰の?」
 俺がこう訊き返してしまったのは無理もないことだと思う。
「誰のって。俺のだよ」
「……うっそ!」
「そんな嘘ついてどうすんだよ」
「ほんとに!?」
「うん」
「もっと早く言ってくれてたら良かったのに。そしたら、ほら、お祝いとか、ちゃんとさ」
「別にいいよ。……ジュース奢ってもらったし」
 あ、可愛い。
「でも、あー、なんていうか、せっかくの誕生日が全校登校日って運悪いよな。俺だったら休むけどなあ」
「お前は別に誕生日じゃないくせに休んでるじゃん」
「あはははは。それにしても、そうか、真田って獅子座なんだ…」
「悪いかよ」
「いや、悪くないよ。なんかほんと真田って獅子座っぽいなあ、とか思って」
「それ、誉めてんの? けなしてんの?」
「誉めてるよ。でももうちょっと日にちが遅かったら乙女座だったんだな。それはそれでそれっぽいよな、真田って」
「それはけなしてるな!」
「誉めてるよ!」
 あー、可愛い。

「おめでとう」

 からかいの調子を込めずに祝いの言葉を口にしたら、真田はちょっと照れた様子で「うん、どうも。ごちそうさま」と言って飲み終わったジュースを屑入れに捨てた。
 なんて可愛い人なんだろう。なにが可愛いのかよく分からんけどもとにかく可愛い。
 まだどこか照れが消えないような様子でぎこちなく、じゃあ俺んち行こうか、と言って歩き出そうとする真田に声をかけた。
「誕生日みたいな大事な日に俺なんかと一緒に居てもいいの?」
 だって、彼には、居るはずなんだ。俺よりも親しい俺の知らない友人が。彼の誕生日くらい当然のように把握している友人が。居るはずだ。
「何言ってんだか」
 結構真面目に言ったんだけどね、軽く流されてしまった。でもちょっと卑屈な台詞だったかもしれなくて、自分の言ったことを少しだけ後悔してしまったよ。

「さあ、宿題しよう」
 家に着いて、真田の部屋で二人してテーブルに向かい合い、真田がそう言った。その瞬間に俺ははっとした。
「あっ、問題集持って来るの忘れた」
「は!?」
「いや、ほら、急いでたし…」
 真田はしばらく唖然とし、それから、うーん、と低く呻きながらテーブルに突っ伏す。
 呆れてる呆れてる。
 つい出来心で、真田の頭にそっと手を置いてみた。黒く真っ直ぐな髪を梳くようにして頭を撫でる。すぐに払い除けられるかと思ったら、意外にも真田は抵抗しなくて、だからずっと頭を撫で続けた。ドキドキして落ち着かなくて、でもなんだかすごく優しい気持ちになって、俺はやっぱりどう考えても彼のことが好きだと思った。
「人を猫か犬みたいにして…」
 真田が顔を上げて、不機嫌そうな表情や口調とは裏腹に優しい手付きで俺の手を払おうとした。それを咎めるように手を握り返してやると、真田は驚いたように俺を見た。

「あの…」
「…何?」
 これは、告白のチャンスなんじゃないのか?

「えーっと…」
「なんだよ」
 言おう。言ってしまおう。

「その…」
「うん」
 言え! 言うべき! 言うしかない!

「誕生日おめでとう」

 駄目。無理。言えない。

「……ああ、うん。ありがと」

 うーん、我ながら情けない!


「なあ、これからは真田のことって呼んでもいい?」
 唐突な俺の言葉に、真田は少し戸惑いつつも、
「………いいけど…」
「でさ、これからは俺のことはって呼んでよ」
……。うん…、分かった」
 、そう呼ばれて体の奥が痺れてしまう。
 、そう呼ぶと口の中が熱くなってしまう。

 まだ告白は出来ないけど、確実に君との距離は狭まりつつある。
 錯覚じゃないよね?





 

・・・夏休みの宿題なんてね、本気出せば三日で終わるわけ。だから今日は宿題なんて
色気の無いことはやめてさ、素直に君の誕生日を祝おうよ。だって夏休みは、・・・







Aug.21,2001


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