君たちを残して一人大人になってく僕を許しておくれ



オーバー14、オーバーレインボー



(昔の青春ドラマの主人公か俺は)
 足元の石を一つ、川の流れに投げ込みながら若菜は思った。

 今朝はどうも学校に行く気が起こらず、それでも自分を奮い立たせて支度し家を出たまでは良かったのだが、途中でどうしても面倒になったのでやはり今日は自主的に欠席させていただくことにした。早い話がズル休みだ。学生服を着た男子が平日の早い時間から街をうろついていては不自然で、下手すれば補導されてしまう。家からも学校からもある程度距離があり、あまり人目に付かない場所はどこかと考え、若菜は朝から河原にいた。朝のうちに、クラスで一番親しい友人に、体調不良で欠席すると担任の教師に伝えておいてほしい旨を、携帯メールで連絡した。欠席する場合は保護者から学校に電話するのが一番適切なのだが、ズル休みであるからそういうわけにはいかず、かといって何の連絡もしないわけにもいかない。夜にでも担任の教師から家の方へ見舞いの電話(本当に病欠かどうかを確かめるための電話でもある)がかかってくることが予測できるが、その時はその時だ。
 若菜はため息を一つ吐いてから、慣れない煙草に火を点けた。

 今は一体何時頃なのだろうか。口から吐き出される紫煙を眺めながらそんなことを考えた。時計は持って来ていない。携帯電話を見れば時刻は分かるが、朝友人に電話をした後に電源を切ったままで、再度電源を入れる気が起こらない。ほんの数秒ボタンを押せばいいだけだ。それで現在の時刻が分かる。しかしその行為すら億劫に思えて仕方ない。とりあえず夕方だということは分かった。下校中の小・中学生をちらほらと見かける。だが空はまだ明るく、日差しも強い。大声で騒いだり走ったりしながら下校している小学校低学年と思われる男子の集団を遠くに見ながら、子供はノンキでいいよな、などと思ったりした。しかし若菜は中学三年生、自分では大人だと思っていても、世間的に見ればまだ子供だ。けれど今の若菜の目には、はしゃいでいる小学生が自分とは別の生き物のように小さく幼く眩しく見えた。

 六月の一番初めの日に若菜は付き合っていた隣りのクラスの女の子と別れた。原因は今思い起こせばとてもくだらないことのように思えた。若菜が同じクラスの女子と親しげに会話しているところを見た彼女の嫉妬が発端となり、酷い言い争いになった。「浮気だ」とヒステリックな声を上げる彼女の様子に、件のクラスの女子とは本当に何らやましいことのない若菜はまず驚きと怒りを感じたが、それはすぐに呆れと苛立ちに変わった。こんなことで騒ぎ立てるようなつまらない女の子だったのかと思うとがっかりしたし、軽蔑の念すら感じた。「だったらもう別れよう」という台詞がつい若菜の口から出てしまったのは想像に難くない。売り言葉に買い言葉か、それとも本心からか、若菜の台詞に彼女は「最初から付き合わなければ良かった」と今までの二人のことを全て否定するかのような台詞でもって答えた。その言い様に若菜は傷付き、その後酷い疲れを感じ、しばらくはもう彼女など作るまいと心に決めたほどだった。しかし思い返せばとても小さなことで別れてしまったように思える。タイミングが悪かったのだ。その日返ってきた中間テストの数学の点数は、落胆するのを通り越していっそ笑えるほどだった。さんざんな結果だろうことはテストを受けている時点で分かっていたが、実際に答案が返ってきて目の前に点数という形で結果を突き付けられると多少なりとも落ち込んでしまうものである。しかも答案返却の際先生が何か一言投げかけてくるものだから―それは励ましであったり嫌味であったりする。また何も言わなくても何かもの言いたげな目で見つめてきたりもする。何にしろ煩わしいことには変わりない。―どうにも気分がすぐれない状況だった。たかがテストごときだ。若菜はそう思っていたし、成績にこだわるタイプでは無かった。むしろもう少し気にしろ、というくらい気にしないタイプだった。だが、テストの煩わしさは、いくらか彼を疲れさせる。そういう時に彼女から、痛くもない腹を探られるようなことになり、強い苛立ちを感じた。もっと自分が良い状態だったならば、冷静に迅速に彼女の誤解を解いて、事を穏便に済ませられたかもしれない。そうしていたら、別れることも無かったし、今こうして学校をサボって一人でこんなところで時間を潰していることも無かったかもしれない。
 何が悲しくて今日という日をこんなふうに過ごさなければならないのか。
 今日は若菜の誕生日だった。誕生日を特別大事に思っていたわけではなかったが、自分にとって今日がいつもとは違う日であることは確かだ。
 過去を振り返っても仕方ないことは分かっていた。もしもあの時、といくら今思ってみたところでどうしようもない。彼女とはもう駄目だろう。あの日以来学校で目も合わない。やり直せるものならやり直したかったが、面倒な気持ちの方がずっと強い。それに自分と彼女とは考え方が違い過ぎて、特別親しく付き合うのには無理があったのかもしれない。仕方なかったのだ、と若菜は自分に言い聞かせた。あの日に破綻しなかったとしてもいつかそう遠くない日に破綻する日は訪れていたかもしれない。
「将来結婚しようね」なんて言っていた彼女を思い出して苦笑が込み上げた。なんてあっけなさだ。彼女とはもう二度と言葉を交わすこともない気がする。

 ふと若菜の耳に自転車のブレーキ音が届き、自分の方に向かって来る人の気配に心臓が竦みそうになった。
 もしかしたら彼女かもしれない、そう思うと不安と期待で振り返ることが出来なかった。
 そんな自分の考えに、未練たらたらじゃないか、と呆れる。
「結人!」
 若菜の名を呼び、肩を叩いた人物は、若菜が頭に思い浮かべていた人物ではなかった。
「…一馬…。英士も」
 予想外の人物の訪れに、若菜はしばらくの間呆然とした。

「あっ、結人、煙草〜!」
 咎めるような口調で真田が言い、若菜から煙草を取り上げて、「ちょっとだけ」と言い訳のような台詞を吐いてからそれをくわえた。少し煙を吸い込んだ後、真田は思いきり噎せた。ゴホゴホと派手に咳をして胸を押さえる真田を見て、若菜は大笑いした。郭は呆れた様子で、右手で真田の背中を擦りながら、左手で真田の手から煙草を取って自分の口に運ぶ。
「ちょっときついな」
「セブンスターだよ」
「もっと軽いのにしなよ」
「それ兄ちゃんのだよ。俺普段は吸わないもん」
 あくまで淡々とした調子の郭に若菜は肩を竦めながら答えた。

「それより! お前こんなとこで何してんだよっ」
 やっと落ち着いてきた真田が若菜に問う。
「それはこっちの台詞だ。何なんだよ、お前らは。いきなり揃って登場しやがって」
「お前のこと探してたんだよっ。も〜、携帯通じないしさ〜!」
「そういうこと」
「俺、今日学校行ってないんだ。ズル休み。朝からここでボーっとしてた」
「えっ、なんで!?」
 若菜の言葉に真田は驚きの声を上げた。
「そうみたいだね」
 郭は若菜の様子から今日は彼が学校に行ってないことを勘付いていたため驚きはしなかった。
「俺にもこういう日があるんですー」
 若菜は冗談に聞こえるような調子で言ったが、真田は途端に心配になった。
「何かあったのか?」
 率直に訊いたのは郭だった。真田は、そんなにストレートに訊いたらまずいんじゃないのか、という戸惑いを感じながら郭と若菜を見比べる。
「何もないよ」
 と、若菜は返す。それは嘘だ、と郭と真田は感じたが、それ以上詮索するようなことはしなかった。

「これ何?」
 どことなく気まずい雰囲気を破るように、真田は若菜の足元に落ちていたものを拾い上げた。それは木の枝で、先端には糸が括り付けられていた。
「ああ、それ、釣り竿」
「はあ?」
「暇だからさ、釣りの真似事やってた」
「わはは、アホだ!」
「うるせーよ」
「釣れた?」
「釣れるわけないよ」
 真田の若菜への問いに答えたのは郭だった。
「出た! 釣り博士!」
 郭をからかって若菜が笑う。その話題で一気に場が和み、三人ともほっとした。

「なあ、とりあえず、帰ろうぜ」
 真田がそう提案し、駐めてある自転車に目を向ける。
「あれ? 二人乗りしてきたのか?」
 一台しか自転車が無いことを不思議に思った若菜が訊いた。
「うん」
 素直に頷いた真田に、若菜は「なんで」と質問を重ねる。
「俺の自転車がパンクしてたから」
 答えたのは郭だった。
「あはははは」
 思わず笑ってしまった若菜に、郭が少しだけ気分を害したような様子で、
「人の不幸を笑っちゃ駄目だよ」
 郭がそういうことを真顔で言っているのが可笑しくて、若菜はしつこく笑い続けた。
「なあ、結人って歩き?」
 真田が問う。
「うん、歩いて来た」
「じゃあ三人乗りだ」
 出来るかな、うん、出来るよな、と独り言のように言う真田に、若菜は、
「三人乗り〜? 無理だよ。一人は走るべきだよ」
 と返す。
「結人が走るんだね?」
 すぐにそう返してきた英士に若菜は、まさか、と首を振った。
「英士が走るに決まってんじゃん! チャリパンクさせちゃった英士が」
「ちょっと待って、結人、『パンクさせた』んじゃない。『パンクしてた』んだ」
「どっちも一緒だろ」
「全然違う」
 二人のくだらない言い合いを中断するようにして真田が声を上げた。
「どっちも走らなくていい。三人乗りするんだからな!」

 真田の指示通り、若菜はサドルに座り、郭は荷台に座った。
「で? お前はどうするわけ?」
 若菜が真田に問う。
「立ち漕ぎするんだよ」
 当然のことのように真田が答えた。
「ずっと立ったまんまかよ」
「そう」
「いいけどさー、うっかりサドルに座ろうとしたりすんなよ。俺が苦痛を味わうことになるじゃん」
「一馬、やっぱり俺が漕ぐよ」
 若菜と真田の会話に口を挟んできた郭に、それがいい、と若菜が頷いた。
「うん、英士が漕いだほうがいい気がする。なんとなく。こういうのは一馬よりも英士の方が信用できる」
「一馬ずっと立って漕ぐの大変だろ? 二人も後ろに乗せてるから重いし。特に結人が重いし」
「お前一言多いよ?」
「ほんとのこと言っただけ」
「ああもう! うるさい! お前ら黙って乗ってろ! 俺が漕ぐって言ったら漕ぐの!」
 真田が怒ったように言った後、いきなり動き出した自転車に
「うわっ!」
「!!」
 若菜と郭は一瞬心臓が飛び上がるほど驚いたのだった。

「三人乗りって雑技団みてー。中3にもなって恥ずかしい…」
 走行中、小学生の視線を感じた若菜が言った。

 最初は恥ずかしさを感じていた若菜だが、スムーズに走っているうちにだんだん楽しさを感じ始める。
「もっと早く進め〜!」
 言いながら、冗談で真田の尻を叩く。
「うわ!」
 驚いた真田がバランスを崩し、自転車が大きく揺れた。
「わははははは!」
「もう何考えてんだよ結人! 馬鹿! 三人で自転車ごと倒れるとこだったじゃん!」
「セクハラは駄目だよ結人」
 郭が後ろから若菜の背中を抓った。
「いて!」

 若菜の家に着き、自転車を駐める。
「ジュースと菓子くらい出してやるから、ま、上がれば?」
 まだ家に誰もいないようで、若菜は鍵を開けてドアを開いた。
 その瞬間、
 パン! パン! パン!
 クラッカーの弾ける派手な音に若菜は心臓が止まりそうになった。
 唖然としていると、さっきまで真っ暗だった家の灯りが一気に点く。
「お誕生日おめでと〜!」
 クラッカーを持った若菜結人の姉と兄の登場に、若菜は何か言おうとするが驚きのあまり声が出ない。
「あっ、めちゃくちゃびっくりしてる! やった! 成功!」
 子供のように喜ぶ兄に、姉も満足そうに頷いた。
「…な、なんだよ、お前らはー!!! お、驚かすなよ! ショック死したらどーする気だ!!!」
 その言葉で周りの人間が一斉に吹き出す。後ろを振り返った若菜が、「お前らもグルかよ…」と郭と真田を恨みがましい目で見つめた。
「わはは、ごめんごめん!」
「別に前から計画してたわけじゃないよ? 今日二人で結人んち行ってみたら、結人いなくて。で、お兄さんとお姉さんから話を聞いて」
「まあ、とにかく上がって上がって。もう誕生パーティーの準備万端だから!」
 若菜の姉の言葉に、「じゃ、お邪魔します」「失礼します」と、真田と郭が靴を脱いで家に上がる。
 姉と兄の後について奥の部屋に行く二人を見ながら、若菜は思わず微笑んだ。
 人生で一番孤独な誕生日になるかと思われたが、全く予想外の展開。
 この日のことをずっと忘れないだろう、と若菜は思った。













6/5、わかなゆうと15才。
今年も君たちを残して一足先に一つ大人になってしまったよ。
許してね。仲良くしてね。愛してるよ。









☆おしまい☆


Jnu.5,2001


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