海とか?
 もう海は二回行ったし。
 でも海くらいしか思い付かねんだもん。
 …海なあ。
 あ!
 何?
 ほんと、海、海にしよ!
 ?
 花火。花火すんの。うち、ちょっと花火余ってんだよなー。
 花火か。
 そう。明日夕方くらいから海行こうぜ。花火持って。

 

八月三十日、午後八時、一馬との電話でのやり取り。
議題は『明日どこに行くか』。
案外あっさり結論は出た。

夏休み最後の日、俺達は花火(余り物)をしに海へ行く。





*
8・31 *



 4〜5mほど離れたところで、一馬が、小学校に上がる前くらいの小さな女の子と遊んでいる。
 小さな女の子が一馬に何か耳打ちをして、そしたら一馬は笑って頷いて、そして、女の子を抱き上げる。女の子が、「わあ!」と嬉しい悲鳴を上げた。

 自転車を走らせて海に着いたのは午後5時頃。思っていたよりもずっと人は少なかった。しばらく砂浜を歩いていると、小さな女の子が一人で砂遊びをしているのが目に止まった。向こうもこちらに気付き、「お兄ちゃん、一緒に遊んで」とあどけない笑顔で話しかけてきた。一馬は、一緒に遊ぶのは別にいいけど、と言った後、お父さんとお母さんは? と訊く。女の子は曖昧に笑って誤魔化して(年にそぐわない大人びた笑い方だった)、「いいから一緒に遊んでよ」と言った。
 そしてまあ今、一馬はその女の子に付き合ってるわけだ。俺は小さな子供は苦手だから、遊んでる女の子と一馬をちょっと遠巻きに眺めるだけ。なんか、小さな子供っていうのは、異世界の生き物みたく思えて、どう接すればいいのか分からない。自分にもあんな時代があったんだろうけど、そんな昔のことはもう忘れてしまった。
 短時間の間に、女の子と一馬はすごく仲良くなったみたいだった。端から見ると、まるで兄妹のようだ。
 小さな子供は苦手。
 一馬はきっと、自分自身が子供だから、小さな子供と相性が良いに違いない。
 俺はだめ。子供、苦手。
(子供も、子供みたいな奴も苦手。けど、子供みたいな一馬は例外的に苦手じゃない。
苦手じゃないというかむしろ、)
 …むしろ? むしろ何?
 俺はぼんやりと、薄汚れた海を眺める。海は、緑色っぽく濁っていて、それゆえに波の白さが目に痛い。
 今頃結人は真っ青な海を見ているに違いない。結人は8月23日に家族で沖縄旅行に行った。31日の昼には帰って来ると言っていたが、一昨日の電話では、もしかしたら帰るのは9月1日の昼頃になるかも、なんて言ってた。お前、始業式はどうすんだよ、と突っ込むと、別に始業式なんか出なくてもいいじゃん、なんて気楽な答えが返ってきた。なんて奴だ。

「さと子ちゃん!」
 少し後ろで、女の人の声がした。
「ママ!」
 呼びかけに答える、女の子の声。
 一馬が、抱っこしていた女の子をゆっくりと下に下ろす。女の子は急いで『さと子ちゃん』という言葉を発した女性のもとへ走って行く。そう、その女性は女の子(さと子という名前だったのか)の母親だった。
「うちの子がお世話になったみたいで…。すいませんねえ」
 母親は、申し訳無さそうに俺達に言う。一馬は、いえ、と短く答えて首を振った。
「お兄ちゃん、また遊んでね」
 母親と手を繋いでいる女の子が、一馬に向かって言った。
「うん」
 一馬が答えると、女の子はあどけない顔にあどけない微笑みを浮かべる。つられるように一馬も笑った。
『また遊んでね』
 でも、もう、この先二度と、この女の子に会うこともないんだろうな。
 明日から9月といえど、まだまだ残暑は厳しい。額にうっすらと汗が滲む。けれど、夕闇の訪れの早さに、夏の終わりをはっきりと感じさせられる。8月の最初の頃は、今くらいの時間だったらもっとずっと明るかった。
 蟹を探そう、なんて一馬が言い出したから、蟹? と俺が聞き返す。
「うん、蟹」
「なんで」
「蟹が好きだから」
「…お前、蟹が好きなんだ? 初耳だ」
「好きだよ、蟹。美味しいじゃん」
「ここにいるような蟹は食べられないと思うけど」
「そんなん分かってる」
 とりとめのない会話。
(でも友達と普段話してる内容なんて、得てしてとりとめもないことばかりだ)
 かに、かに、と一馬が言う。だから、俺達は岩場に足を運んで、蟹を探す。探すと、小さな蟹が結構いて、岩の上を忙しなく動き回っていたり、岩の陰でじっとしていたりした。
「英士、手、出して」
 一馬が言った。素直に右手を差し出すと、俺の手に一馬が蟹を乗せてくる。小さな蟹は、俺の手のひらを横歩きで横断して、下に落ちそうになる。俺の手から足を踏み外した蟹を、一馬がそっと右手で受け取った。
「蟹って可愛くねえ? 歩き方とか」
 自分の手のひらの上で横歩きをしている蟹を見ながら、一馬が言った。
 しょうもないことを言うね、一馬は。
 でも、
「好きだよ」
 俺が言うと、一馬は手のひらの蟹を見つめたまま一瞬動きを止めて、それから数秒置いてから口を開いた。ちゃんと俺の目を見ながら。
「好きって、 蟹が?」
 ―――信じられない。一馬に、こんなふうにはぐらかされるなんて。しかも、そう言った時の一馬の顔は、いつもより少し大人びていて、そんな表情もするんだってこと俺は知らなくて、だから、少し、驚いた。
『お前が思ってるほど一馬は子供じゃないよ』
『俺は一馬が特別子供だなんて思ったことはないよ』
 俺が答えてすぐ、結人に『嘘つけ』って突っ込まれたっけ。そう、嘘を吐いた。一馬は自分よりずっとずっと子供なんだって、そう、当然みたく思ってた。前に結人とそういうやり取りがあって。今、そのことをふと思い出した。
 なんか、少し、結人に負けたみたいな気持ちになった。
 そして、一馬に裏切られたみたいな気持ちになって。
 だから、少し、悲しかった。でも、悲しい中にちょっとだけ、うっとりするような嬉しさがあった。
(裏切られるのは辛いことだけど、でもちょっとだけ甘い味がする)

 そうこうしているうちに、日が沈んで暗くなってきて、花火をすることになった。
 砂に突き立てたロウソクの炎、弱く温い夜風が吹く度、大げさに揺れる。
 一馬は、火の点いた花火を持ったまんま砂浜を駆ける。危ないから止せ、って言ったのに全然聞かないんだから。
 一馬が手に持って高く掲げた花火。
 閃光、閃光、閃光。
 夜の闇に、光の残像が白く輝く線のように連なって、描かれてく。彩られてく。
 目が眩む。
「あっつー!!」
 持ってた花火を投げ捨てて、一馬が声を上げる。
 だから危ないって言ったのに。俺は急いで、一馬の側に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「うん、ちょっと、火の粉が腕にかかっただけ。一瞬熱かったけど別に大丈夫みたい」
「火傷してるんじゃないか?」
「ううん、平気」
 見たところ、一馬の腕は大丈夫そうだった。
 さっき一馬が投げ捨てた花火は、もう火が消えている。一馬は、それを取りに行こうとして俺に背を向けた。
 次の瞬間、
 発作みたく、一馬の腕を引き寄せてキス。
 あんまり強く引き寄せ過ぎて、互いの歯と歯がぶつかった。
 ガチリ、
 という音が、二人の隙間でした。
「痛え」
 と一馬が小さく呟いた。
 じゃあもう一度、今度はちゃんとしたキスを、と思って一馬に再び唇を寄せると、やだよ、と一馬が俺の肩を押し返す。やだよ、と言われると、余計にしたくなって、力を込めて一馬を抱き寄せようとしてしまう。こっちが無理強いしようとすると、向こうもむきになって、嫌だって! と言いながら、両手でこちらの体を突っ撥ねるようにして拒絶。でもやっぱりそんなふうに拒まれると、余計に、 なんだ。もう是が非でも唇を合わせたくなるじゃないか。こちらが求めれば求めるほど、相手はその分拒もう拒もうとする。でも拒まれれば拒まれるほどに求めたくなる。それはとても本能的なもの。
 そうやって、二人で意地になって押したり引いたりしているうちに、二人して砂浜に、縺れるように倒れ込んでしまった。視界が引っくり返ったのを感じ、その後一瞬目の前が真っ暗になって、それから、
 気付いた時には、自分の体の上に一馬が乗っかってるみたいな格好になってた。
 背中には、冷たい砂の感触。
 一馬の顔が、自分のすぐ前(上?)にあった。
 一馬の長めの前髪が、俺の顔に被さって、くすぐったかった。
 互いの息遣いを感じ合えるほどの密接な距離。
 自分の息遣いを相手に悟られたくなくて、呼吸の仕方を意識してしまう。
 なんて息苦しいんだろう。
 息ってどうやってするんだっけ。
「元はといえばお前が悪いんだからな」
 吐き捨てるみたく言って、一馬が俺の体の上から退いて立ち上がる。不機嫌そうな表情を顔に貼り付けた一馬が、まだ砂浜に寝転んだ形になったままでいる俺に手を差延べた。その手を取って、その手の力を頼りに起き上がる。意外なくらいに確固とした、俺を引き上げる一馬の力に、頭の芯が少しだけ痺れた。
 確かな力。
 俺が立ち上がった後、一馬はすぐに手を離して、顔を背ける。
 夜の暗さの中でも明瞭に映える、凛とした横顔。
 こういう一馬のことを、俺はよく知らない。(一馬ってこんなに大人っぽかったっけ?)
 裏切られたような気持ちになる。でも、甘い気持ちになる。
 それにしても、
 さっきは、
 …どきどきし過ぎて死ぬかと思った。

 その後、俺達は言葉少なにそれぞれ花火に火を点ける。
 なんとなく気まずい雰囲気がしばらく続いたが、10分も経つと、全然自然に接するようになった。そのことに安心しつつも、少しだけ残念なような、寂しいような、そんな複雑な気持ちになる。
 もう少しだけさっきの余韻を引きずっていたかった。

 ほんとに好きになったらどうしよう。
 だって、俺、彼女いるし。
 だって、一馬は友達だし。
 だって、結人にバレたら大変だし。(死ぬほどからかわれる)

 全部の花火をやり終わってしまうと、どうしようもないような寂しさに包まれた。

 帰ろうか、と俺が言うと、そうだな、と一馬が答えた。
 だから俺達は帰ることにする。
 明日からは学校が始まる。あんまり帰るのが遅くなると、明日に響くから、なるべく早めに帰って寝ないと。

 砂浜をほんの少しだけ歩いたところで、俺は突然立ち止まった。
 そして口を開く。
「疲れた。もう歩けない」
 嘘だった。
(まあ、自転車を置いた場所までは、まだ結構な距離があって、だるいといえばだるいけど)
「はあ?」
 一馬は驚いたような声を上げる。
「一馬、手、ひっぱって」
 一馬に手を差し出しながら、俺はそんなことを言ってみた。なんだかこの言い様、結人みたいだ。自分でも、こんなこと言うなんて自分らしくないこと分かってる。でも、もう、言ってみたくて仕方なくて、つい。言ってしまった。
「仕方ねえ奴」
 一馬はすごく簡単に俺の言うことを聞いて、俺の手を取った。
 やだよ、って言われると思ってたのに。
 一馬の手に引っ張られながらズルズルと歩いていく。やっぱり、俺の手を引く一馬の力は確かなもので、その力に、なんだか泣けそうになった。
 握り合った手に熱がこもる。俺のものとも一馬のものともつかない熱。泣けそうになる。
 子供なのはこっちだ。
 こっちの方がずっと子供じゃないか。
 俺が思うよりずっと一馬は大人で、俺が思うよりずっと俺は子供なんだ。泣けそうだ。

 ほんとに好きになってしまったらどうしよう。
 だって、…
(でももう既にほんとはほんとに好きかもしれない。困る、それは困る。だって、…)

 夏休み最後の日、海になんか来なきゃ良かった。
 花火なんかしなきゃ良かった。…一馬となんか、過ごさなきゃ良かった。

「英士、もうしばらく歩いたら交代な! 今度はお前がひっぱって」
 前を向いたまんまで一馬が言った。俺がそれに答えずにいると、一馬は立ち止まって振り返って、「な!」と念を押すように俺に言った。俺が返事をしなかったせいで、一馬はちょっとだけむっとした顔をしてた。子供みたいなあどけない顔だった。でも一馬は、俺が思ってるほどには子供じゃない。
 そういうことがとても悲しい。けど同時に、とても嬉しい。心地良く胸が痛い。
 でも、もう、それ以上は大人にならないで。
 もう、見たことない表情はしないで。
 取り残された気持ちになるから。
 ほんと、子供なのは自分の方。
 恥ずかしい。本当に恥ずかしい。誰かに何かを強く望むのは恥ずかしい。一方通行は恥ずかしい。振り向いてほしいなんて恥ずかしい。でも振り向いてくれたら嬉しくて嬉しくてどきどきして泣けそうになる。でも嬉しいと言うのは恥ずかしい。ほんとに好きになったらもう戯れみたく好きだよなんて言えない。だからほんとに好きになってしまったらどうしよう。とても困る。
本当に困る。
 ……困るんだ。

 分かった、と答えると、よし、と頷いて一馬は前を向き、再び俺を引っ張って歩き始める。
 一馬の後ろ姿に目が眩みそうだった。だって、ほんとに、一馬は姿勢が良いんだ。驚くくらい、真っ直ぐな背中。こんなに姿勢良く歩く人間を、俺は一馬以外に知らない。背筋を、背骨を、指でなぞってみたい、そう思うほどに真っ直ぐな後ろ姿。

 本気で好きになったみたい。

 もう二度と好きだなんて言えないしキスなんかできないしうかつに触れることだってできっこない。






・終わり・





Sept.3,2000
♪ほんきで好き〜になった〜み〜たい〜♪
これマッキーの曲(Witch hazel)の歌詞から。

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