この世は老いも若きも男も女も心のさみしい人ばかり。そんな皆さんの心のスキマをお埋めいたします。いいえ、お金は一銭もいただきません。お客様が満足されたらそれが何よりの報酬でございます。






愛人28号D


 大学生の休日には重みがない。(休みが多いから。まあ多忙な大学生もいるが。)
 
 ピンポンピンポンピンポーン
 ドンドンドンドン
 ガチャガチャガチャ
 ピンポンピンポンドンドンガチャガチャガンガンガン

 …重みはないが、しかし、日曜の朝七時から何の遠慮もないといったふうに豪快にインターホンを何度も鳴らされドアを強くノックされドアノブを回されそしてまたインターホン・ノック・ノブ回し、挙句の果てにはドアを蹴ってる音までしだす始末、これはたまらない。なんだなんだ一体何事だ俺は誰からも借金なんかしてないぞ。訝しい思いで起き上がり、こんな騒がしい状態においてもまだ重たい瞼をこすりながら英士はドアに向かい、用心してドアチェーンは付けたままで鍵を開けた。と同時にドアが強く引かれ、ガタン! と強い音を立ててドアチェーンが千切れた。
「う〜わ、このチェーン脆いなあ。意味ねえ!」
 日曜の朝っぱらから人んちを乱暴に訪ね終いにゃドアチェーンまで壊しといて。ドアの向こうのなんとも非常識な男は、なんの屈託も無く口を開けて笑った。
「…一体何事だよ…」
 目の前の男に見覚えはない。英士はただただ唖然とするばかりだ。目はすっかり覚めた。しかし脳が状況についていけない。混乱する。それは寝起きのせいではない。状況があまりにもあまりにもだからだ。
「こんにちわ! ボクゆうとくん。愛人28号・Dタイプ。今日からあなたの飼い犬みたいなものになりま〜す。よろしく! や・さ・し・く・し・て・ネ☆」
 器用にきれいにウインクしながら男は自己紹介をした。こんにちは、じゃないだろ、おはようございます、だろ。と英士は心の中で指摘した。それよりもっと突っ込むべきところがあるはずなのだが、突っ込みどころが多過ぎるとどこから突っ込めばいいのか分からず混沌とした気分になってしまうものだ。
 おじゃましま〜す、と言って“愛人28号・Dタイプ”ゆうとくんは英士の住まいであるアパートの一室にずかずかと上がり込んで、おやすみなさ〜い、と言って英士がさっきまで眠っていた布団に潜り込んだかと思うと十秒も経たないうちにスースーと穏やかな寝息を立て始めた。英士は、この一連のゆうとの行動を咎める隙を掴むことができず、呆然としたまま突っ立っていた。それは端から見ればなかなか間抜けな有り様だった。同じゼミの女子からはクールビューティー(※死語)とかなんとか囁かれてそっと憧れられていたりもする英士には似合わぬ茫然自失状態。勿論ここで責められるべきは英士ではないのだけれど。

 あたたかで美味そうな匂いに鼻をくすぐられ、英士はふと目を覚ました。どうやらしばらくの間眠ってしまっていたらしい。椅子に座った状態で。
「おはよう、ご主人様。すてきな料理を召し上がれ」
 またもや寝起きの視界に現れたゆうとは、白地に赤いお星さま柄のエプロン姿だった。
「夢であってくれと願っていたのに…」
 眉間に寄った皺を和らげるようにそこに指を当て、英士は浅くため息を吐いた。赤い星が目に痛い。
「さあ飲め!」
 ドン、と乱暴にテーブルに置かれた白い皿の中をそっと覗き込み、英士はごくりと唾を飲み込む。食欲を刺激されたわけでは決してない。全くその逆だった。
「こ、これは一体何なの?」
 皿の中の黒い液体は、ぶくぶくと泡立ち、何か不吉なオーラを発していた。
「見ての通りカレースープで〜す」
「嘘だ。これがカレースープのはずがない。ものすごく黒いし。漆黒だよ、漆黒。しかも泡立ってる…」
「まあまあ騙されたと思って飲んでみ?」
 ゆうとは自信に満ちた表情で、強引に英士にスプーンを握らせ、その黒い液体を口にするよう迫った。
(飲んだらポックリいってしまいそうだ…)
 英士は不安な気持ちでいっぱいだった。皿からは良い匂いがした。食欲をそそる美味そうな匂いだ。しかし見た目があまりにも悪い。英士はスプーンでぐるぐると液体(ゆうとはそれをカレースープだというが、どう目を凝らしてもそうは見えない)をかき混ぜてみた。ほんとうにこれを口にしなきゃならんのか? 嫌そうな目でゆうとを見ると、ゆうとは英士ににっこりと微笑んで見せた。
「ここで飲まなきゃ男が廃るぜ?」
 余裕の笑みを口元に浮かべたまま、トントン、とゆうとはテーブルを二回人差し指で叩いた。
 英士は覚悟を決めて、スプーンで液体をすくって口に運ぶ。
「…!」
 信じられないほど美味だった。今まで口にした何よりも。誇張ではない。本当にそうだった。
「な? 美味いだろ?」
 どうだまいったか、と言わんばかりのゆうとの表情が少し気に食わなかったが、偉そうな態度に目を瞑ってやってもいい。スプーンなど使わず皿を手に持って飲んでしまいたくなる衝動を抑え込み、英士は優雅な様子でスープをきれいに平らげた。
「ごちそうさまでした」
 向かい側に座っていたゆうとは、英士がきっちりと手を合わす様子を見て満足した。

「なあ、俺をここに置いてくれない?」
 テーブルに身を乗り出すようにしながら言ったゆうとに、英士は何と答えるべきか戸惑った。そして戸惑う自分に戸惑った。今朝突然現れ『あなたの飼い犬みたいなものになります』などと訳の分からないことを言って家に上がり込んできた見ず知らずの男を住まわせるだなんてそんなバカな話あるわけない。確かにスープは美味しかったが、だからといってそれは。けれど無碍には断れないと思った。何故断れないのか分からない。自分は、嫌なことは嫌だと言えるタイプなのに。英士は不思議な気持ちになった。
「毎日カレースープ作ってやるからさ」
 だから、ね、オ・ネ・ガ・イ☆、気持ち悪いほどかわいこぶって、ゆうとが両手を合わせた。
「毎日カレースープじゃ、ちょっとね」
 でも毎日でもいいような気もしてた。そうだ、自分は、嫌なことは嫌だと言えるタイプなのだ。嫌だと言わないのは、嫌じゃないからだ。
 嫌じゃないのかもしれない。
 認めるのはなんとなく癪だけど。どこか腑に落ちないけど。
(カレースープに何か入れられたのかも)
 目の前の訳の分からぬ男を受け入れてやってもいいかな、なんて気になりつつある自分が不思議で、そして何故か気恥ずかしく、英士は誤魔化しのように何度か咳払いをした。
「なあ、ここに居てもいいだろ?」
「うーん」
「俺あんたのこと気に入っちゃった。顔が好みだし!」
「うーーん」
「あなたの犬にしてぇ〜」
「ここはペット禁止だよ」
「ばれねーばれねー」
「犬ってあんまり好きじゃないしね」
「なんで? 可愛いじゃん。撫でてみ」
「やだ。手が汚れる」
「ひどい」
「あ、君ちゃんと予防注射とかしてるわけ?」
「撫でて撫でて」
「嫌だ。全然可愛くないよお前」
「撫でてくれないなら噛み付いてやる」
「ああもう仕方ないなあ」
「とかいってほんとはずっと撫で撫でしたかったくせにー」
「ふわふわしてる」
「なんかちょっと幸せな気分になったろ?」
「うーーーん」
「好きなときに好きなだけ撫でていいよ」
「いや、別に…」
「やさしくしてネ」

 ゆうとはすぐに英士の生活の一部として溶け込んだ。当たり前のように家に居て、毎日のようにカレースープを作った。なんでこんなことになったのか。そもそもゆうとは何者なのか。英士は全く分からない。何故だろう、積極的に分かろうとも思わない。分からないまま受け入れている。ゆうとより何よりそういう自分自身が分からない。よくよく考えてみるとこれは異様な事態で、いや、よく考えるまでもなく異様なのだが、よく考えてみないと異様だということを失念してしまう、それくらい自然に生活を共にしていた。
「あっ、女の写真発見!」
 学校から帰って来た英士の鞄を探り、勝手に手帳を取り出して、中に挟んであった写真を見付けたゆうとは、興味深げにそれを眺めた。ずっと年上の、きれいな女だった。
「年上の彼女?」
 にやにやしながらゆうとが尋ねると、それは母親だよ、と英士は何でもない調子で答えた。
「うっそ、見えない! マジで?」
「ああ、ほんとに母親だよ」
「つーか普通手帳の中に母親の写真とか入れるか〜? 恥ずかしい奴」
「他界してるんだ」
 英士のその言葉でゆうとは止まる。しまった、と思った。
「嘘だよ。生きてる。すごく元気だよ」
「てめ〜!」
「俺、いわゆるマザコンなんだ」
「ほ〜」
「で、まあ、そのせいもあってか年上の女が好きなんだよね」
「フーン」
「飼うよりも飼われたいの。実は可愛がられたいタイプ。だから、お前には優しくしてあげられないよ。それでもお前はここに居たい?」
「うん、居たい」
「あっそう」
「居たいよ」
「分かったってば」
 なんだか不毛な会話になってきたな、と英士は思った。掴み所のない悲しみが胸の中に広がっていた。これ以上話していると、ゆうとを傷付けてしまう気がした。八つ当りをするのなんて嫌だ。背を向けようとすると、ゆうとに軽く手を噛まれ、英士は驚く。痛みはなかった。噛み方は、甘えるようでも責めるようでもあった。何故か胸が痛んだ。愛しさと苛立ちが同時に込み上げて、英士はどうしたものかと考える。
「やめてよ。狂犬病になったらどうしてくれるの」
 ゆうとの髪の毛を掴んで引き離す。
「なんか、香水の匂いがする」
 ゆうとは構わず英士の腕にしがみ付くようにして鼻を摩り付けた。
「年上の女の匂いだ〜。フ・ケ・ツ」
「触んないで。犬の匂いがつく」
 乱暴にゆうとを振り払うと、ゆうとは淡々とした眼差しで英士を見つめた。少しでも傷付いた表情をしていたなら、まだ良かったのに。ゆうとはあまりにも冷静な様子だった。英士は訳の分からない怒りに襲われ、ゆうとの頬を引っ叩いてしまう。
「動物虐待かよ。動物愛護団体に訴えてやる〜」
 叩かれた頬を手で押さえることもせず、ゆうとは口元だけで笑った。
「頭悪そうな笑い方」
「ああお前ってほんと冷たい〜。でもそこがイイ」
「マゾだね」
「でもほんとはもっと優しくしてほしいの☆」
「だったら、出て行きな」
 あまりにも冷たい響きだった。
「やだ。死んでも、出て行かない」
 勝手にすれば、と呆れたように英士が言うと、それじゃあお言葉に甘えて勝手にさせていただきますよーだ、とゆうとは乱暴な調子で返して、ベーッと舌を出し、その後俯いた。いつまでも俯いていた。あまりにも俯いたままでいるものだから、
「泣いちゃった?」
 英士に訊かれ、ゆうとは俯いたままブンブンと頭を左右に大きく振った。
「ほんとは泣いてるんじゃないの?」
「な・い・て・ま・せ・ん!」
 思いきり顔を上げたゆうとの眼は、確かに少しも潤んではいなかった。
「なんだ。つまんないの。泣けばいいのに」
「ワンワンワン! ほれ、鳴いてやったぞ、満足か?」
「お前ってなんて可愛くないの」
 英士は少しだけ笑った。風が吹いたら飛んで行ってしまいそうなほど弱々しい微笑みだった。
「お母さん、美人だね」
 改めて写真を見返しながらゆうとが言うと、英士はフンと、鼻で笑った。
「必死で若作りしてるんだよ。男の目を気にしてね。いい年してみっともない。見苦しい女だよ。母親には向かない」
 静かに英士は顔を背ける。
 こいつほんとにマザコンだ、とゆうとは思ったが、口にはしなかった。もう殴られるのは勘弁だ。

 「犬ってさ、三日飼ったら恩を忘れないっていうじゃん。でもあれは嘘だよ。何日飼われたって恩なんて感じないこともある。でも、一秒でも可愛がられたら、忘れられないこともある。俺はあんたに付いて行くって決めたんだ」
「俺は、一秒だってお前を可愛がった覚えはないよ」
「そう言われてみれば、一秒すら可愛がられた覚えがねえな」

 それから数日後のある夜のことだった。のんきに二人でテレビを見ていると、ドアがノックされる。めんどくさいからお前が出て、いやお前んちなんだからお前が出ろよ、嫌だお前が、俺だって嫌だお前が、お前が、お前だ、とかいうやり取りの末、結局は犬の方が玄関に向かうはめになった。
 ドアを開けると、見たことのある女が立っていた。写真の女だ、とゆうとは思った。英士の母親は、写真で見るよりもきれいだった。
 母親の突然の訪問に、英士は心底動揺したが、必死で冷静さを保とうと努めた。何の用だよ、と冷たい調子で英士が問うと、ちょっと英士の顔を見たくなっただけ、と母親は言った。
「学校のお友達?」
 ゆうとを見ながら母親が訊くと、どう答えたらいいものかと思い、ゆうとは英士に視線を送った。
「ペットだよ。最近飼い始めたんだ」
 英士の言葉に母親は一瞬目を丸くしたが、次の瞬間にさも愉快そうに声を出して笑った。
「いつのまにそんなアブナイ趣味に走っちゃったの?」
「母さんにだけは言われたくないよ。相変わらず10も20も年下の男引っかけて遊んでるんでしょう。よくやるよ」
「20も、は言い過ぎよ。今付き合ってる子は15下よ」
 何でもないふうに言って、英士の母親は笑った。
「あんまり長居したら邪魔になるからもう帰るわ」
 背を向けようとしたが、ふと思い出したように振り返り、母親は財布を取り出す。
「そうそう、お小遣いあげなきゃね」
「いらないよ」
 厳しい口調で英士は断った。
「可愛げのない子。いいわ、ペットの方にあげるから」
 美味しいものでも食べなさい、一人でね。と言って、英士の母親はゆうとに三万円を押し付けた。
「英士と仲良くね、仔猫ちゃん」
「おばさん!」
 背を向けて去って行こうとする母親を、ゆうとは大声で呼び止める。

「俺はコネコちゃんじゃなくてワンちゃんなんです!」

「お金どうしよう」
 貰った三万円を見つめながらゆうとが言うと、
「一人で美味しいもの食べれば?」
 英士は、汚らわしい、とでも言いたげな目でゆうとの手の中の札を見た。

 翌日。学校から帰り、冷たいものでも飲もうかと冷蔵庫を開けた瞬間、英士の時は止まった。冷蔵庫にはずらりと並ぶヨーグルト。他の物は一切無かった。とにかく所狭しとぎっしりヨーグルトが詰め込まれていたのだった。
「…これはどういうことなの…」
「ゆうとくんのだいすきなちちやすよーぐると」
「他の物はどこへ行ったの…」
「捨てちゃった☆」
「お前ねえ」
「ヨーグルトのCMにでも出てきそうな冷蔵庫、すてき」
「ウメッシュのCMのパクリだけどね」
「こんなにいっぱいヨーグルト買ったのに、まだまだお金余ってんだぜ。というわけで、新しい鍋を買おうと思う」
「勝手にしな」
「美味しいものは一人で食べるよりも二人で食べる方が美味しいもんな」
 お前ってほんと変な奴、と英士は笑って、フローリングにそのままゴロリと横たわった。ゆうとは英士の両脇に両手足をつき、横たわる英士を挟むようにして四つん這いで英士を見下ろした。
「俺がずっと、あんたの側に居てやるよ」
 ゆうとはそう言って、英士の鼻をペロリと舐める。
 英士はゆうとの頬を手で挟んで顔を引き寄せ、額をくっ付けた。
「お前が俺の側に居るのは、それがお前の仕事だからでしょう?」
 愛人稼業、と口にしてみると、あまりに安っぽくて滑稽で昔の昼メロ的で、英士はその馬鹿馬鹿しい響きに笑った。
 両手で顔を覆って、あいされたい、と英士は言った。純粋にあいされたい、と。
「純粋ってどういうこと?」
「純粋は純粋だよ」
「俺が英士のお母さんになってあげるよ」
 英士が必要としているのはペットではなくて母親なのだと、今更のようにゆうとは気付いた。
「お前みたいなお母さんはいらないよ」
 英士はゆうとに向かって優しく微笑んだ。どうしてそんな寂しそうに笑うんだろう。ゆうとはじっと英士を見つめた。純粋、ってよく分からないけど、純粋に愛されたいと切に願うご主人様は純粋な感じがする、とゆうとは思った。






May.4,2002
「この世は老いも若きも〜」というのは「笑うせぇるすまん」から。
って、あ〜懐かしい。ギミアブレイク見てたよ!



















「愛人28号ってすごいネーミングセンスだね…。それとも何、1号から27号とか29号以降もいるわけ?」
「いないよ」
「そう。で、Dタイプっていうのはやっぱりあれなの、dogの頭文字?」
「そうそう」
「じゃ、Cタイプもいるの?」
「ああ猫ね、いるよ」
「へえ…」
「ちなみにBタイプはbird、鳥。Eタイプはelephant、象。Fタイプはfish、魚。Gタイプは、
「ちょっと待って、Aは?」
「えーとAはなんだっけ。あ、そうそう、アルマジロ(armadillo)」
「アルマジロタイプってどんなだよ…」
「さあな!」

 というような設定っぽいようなそうでもないような会話を入れようかなあとも思ったけれど入れるところがありませんでした。

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