そこが天国でも地獄でも

ぼくらはみんないきている




 真夏なんだから暑いのは当たり前、と必死で自分に言い聞かせようが何の慰めにもならん。
(あつくてとけそう…)
 脳とか。骨とか。全部。

『さみしい あいにきて いますぐ』
 ポエムまがいの全文ひらがなメールを結人からもらったのは30分前。そんなメール一つで、このくそ暑い中のこのこと結人んちに向かう俺は割と間抜けだ。電車降りて、駅から徒歩10分。日差しがきつくて、セミが騒がしくて、クーラーがんがん効かしてんだろう窓閉めた車が憎くて、いつまで経っても結人んちに辿り着けない気がした。くらくらして、道が歪んで見える。昨夜は遅くまで起きていたから、寝不足で、頭痛がした。
 あの角を曲がって少し歩けばようやく目的地。目の前がなんだか明るくなった、次の瞬間に、
 サカナサカナサカナ〜♪
 のメロディが。結人からのメールの着信音だ。嫌な予感がした。メール、見たくない。気付かなかったことにしたい。と思いつつも仕方なく携帯を取り出した。
『アイス買ってきて!フルーツ系ならなんでもいい!』
 …見なかったことにする、のは駄目かな。コンビニはもう、かなり前に通り過ぎちゃったよ。無視しようと思ったが、やっぱり来た道を引き返すことにした。アイスを買って行かなかった場合、結人の機嫌を思いきり損ねてしまうだろう。下手したら、家に入れてもらえないかも。そう考えると、しんどくても引き返してコンビニ寄ってアイス買った方がマシってものだろう。
 コンビニの袋を手に持って結人んちを訪ねた頃には、心身ともに消耗しきっていた。
「よ、一馬。ごくろうごくろう!」
 ドアを開けて現れた結人はむかつくくらい陽気な様子で、俺の手からぱっと袋を奪うと、
 バタン
 !
 一瞬、何が起こったのかと思った。目の前で、ドアが閉まった。おいおい。しんじらんねえ。
「てめえ! ふざけんなよ! 開けろ!」
 必死になってドアを叩くと、中から結人がギャーッハッハッハと大笑いしてる声が聞こえた。悪魔だ。悪魔がいる…!
「ナーンテネ!」
 唐突にドアが開いたせいで、ドアにしがみついてた俺は前につんのめってこけそうになってしまった。
「ワハハワハワハおもろ〜い」
「し、死ね! 死ね死ね死ね!」
「あ、一馬、ちょっと涙目? こんな他愛無い冗談で泣いちゃヤダー」
「泣いてねえよっ!」
 でもほんとはちょっと泣きそうだった。だってあんまりじゃないか。結人はたまに、シャレにならないことを言ったりやったりする。悪気があるのかないのか、よく分からない。俺はいつも傷付いて、結人はいつも笑ってる。
「あーなんだ、苺か。オレンジとかグレープフルーツとかレモンとか、柑橘系がよかったのに」
 アイスを袋から出して冷蔵庫に仕舞いながら結人が文句を言った。
「フルーツならなんでもいいって言ったじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ。なんなら自分が送ったメール見るか?」
「別にいい。うざいよお前」
 うざいのは、どっちだよ。
 結人は目に見えて不機嫌な表情になっていた。バタン、と壊れるんじゃないかと思うくらい冷蔵庫のドアを乱暴に閉める。その音に心臓が竦んだ。怖かった。結人の機嫌を損ねるのが、とても怖い。
「あ、なに傷付いた顔してんの」
 むかつく、と言われると思って身構えた。これ以上傷付くのは嫌だった。俺の心よ、鉄になれ。
「一馬はほんとデリケートなんだから。かわいいやつめ」
 さっきまで怒った顔してた結人は急に笑顔になって俺の耳をぎゅーっと引っ張った。結人の気まぐれにはついていけない。でも、心底ほっとした。すぐに機嫌が直ってよかった。
「いちごもいいよな、いちごもさ、いちごひゃくぱーせんと」
 陽気な調子で独り言を言ってる結人の後に付いて行く。結人は賢いのかバカなのかよく分からない。どっちでもいいけど。
 結人の部屋は相変わらず散らかっていて、今すぐにでも掃除をしたい衝動に駆られる。散らかってる方が落ち着く、と結人は言う。俺は逆だ。散らかってるとそわそわしてたまらない。
 ビデオ見て、ビデオが終わって、アイス食って、アイスがなくなって、ゲームして、ゲームに飽きた。
「暇〜暇暇。一馬、なんかおもろい話して」
「えー…」
 お前が聞いて喜ぶようなおもろい話なんかねえよ、と返すと、何でもいいから話して、と結人が言うので。適当に、昨夜見たテレビのこととか、今日電車ん中で見かけたカップルのこととか、そういうことを話したら。
「ぎゃーっはっはっは! まじでおもしろくねえ! お前の話ってほんとつまんねえな!」
 つまんねーつまんねーと言いながら結人は笑った。もう。なんなんだ? こいつは。
「つまんなくて、死にそう」
「…死ねば?」
 ひでえ、と言いながら結人がキスしてきた。触れるだけの軽いキス二回。
「ちょっとつまんなくなくなった」
 少しだけ満足した様子で結人は寝転がる。なんだ。こんだけか。色々期待してしまった俺はがっかりした。
「俺、もう帰ろうかな」
 時計を見ると午後3時半だった。帰るにはまだ早い時間だとは思うけど。
「えーもう帰んのかよ」
「うん、なんか眠いし」
「俺と居てもつまんない?」
 それは、俺がいつも結人に対して思い続けてることだ。
「今日はもう帰るよ」

「あ、雨」
 ふと気付いたように窓に目をやる結人に倣って視線を外に向けると、ガラス越し、雨、無数の細い線が見えた。
「天気予報では一日中晴れるっていってたのに」
「そういや英士が、今日は午後から雨になるかもとか言ってた気がする」
 さすが英士。大当たり。
「傘貸して。帰るから」
「やだ。うちには傘なんてものは一本も置いてませーん」
「うそつけっ」
 こうなってくると意地でも帰りたくなる。結人んちには昔から何度も出入りしてるから、傘がどこに置いてあるのかだってちゃんと分かってる。玄関に傘立てがあるはずだ。
「ないんだよ、ほんとに」
 妙に自信ありげな結人の様子に嫌な予感がした。そして嫌な予感はピタリと当たる。アイス買ってきてメールんときと同じく。
 傘は見当たらなかった。玄関から傘立てそのものが消えてなくなっていたのだった。
「ほーらな」
「どこに隠しやがった」
「隠してなんかないって。ないんだよ、もとから、どこにも」
 もう濡れて帰ろっかな…、と考えていたところで、
「なあ、一馬、かくれんぼしない?」
 突然結人が訳分かんないことを言い出した。
「はあ?」
「これを見よ!」
 と目の前に差し出されたものは。
「あーっ! 傘!」
 といってもそれは折り畳みで、いや、折り畳みなのは全然問題ないんだけど、ピンクでしかも花柄で、それなら濡れて帰った方がマシなんじゃないかと思ってしまうような代物だった。
「かくれんぼな、家ん中で、かくれんぼ。お前が鬼。みごと俺を20分以内に見つけることが出来たならばこの傘を貸してしんぜよう」
「え、ちょ
「60秒数えて。そいで、も〜い〜かい、って言
 わなくていいから、数え終わったら探すこと。以上!」
 言い終わると結人はさっさと背を向けて家の奥に走って行ってしまった。えー…、そんな、強引な。でもここで、勝手に帰ってしまえないのが俺の弱いところだな。
 い〜ち、に〜い、さ〜ん、し〜い…、って律儀に60数えて、も〜い〜かい、って言
 わないで、結人を探しに行く。

 結人はあまりにもあっさり見つかった。こんなバレバレなとこにはいないだろう、と思いながらもとりあえず開けてみた居間の押し入れの中に結人は隠れてた。何が20分以内だ。2分程度で見付けたぞ。
「あ、見付かっちゃった」
 全然驚いてもいないし悔しがってもいない。結人はただいつも通りに笑ってた。
「お前、ぜんっぜん真面目にやる気なかったろ」
「うん」
「傘貸せよ、帰るから」
 押し入れの中で体育座りをしてる結人の目の前に、傘出せ、と手を差し出すと、その手を思いきり引っ張られた。強引に押し入れの中に引き入れられ、結人の体に倒れ込む。
「なにすんだよっ」
 至近距離、不覚にも鼓動が高まる。
「ワリ、傘、どっかいった」
 そう言ったときの結人の表情があまりにも無邪気だったので、
「…てめえ、いつか地獄に落ちるぞ」
「いいよ」
「よくねえよ」
「一緒に地獄に落ちてよ」
「やだよ」
「いじわる」
 結人の目からポロリと涙が零れた。
「…なんで泣くんだよ…」
「空の青さが眼に染みるから!」
 見上げても空なんかあるわけなくて。押し入れの中は薄暗い。
 結人は嘘泣きが得意だ。結人のそういうところ、とても気持ち悪い、でもとても好きかもしれない。結人の目尻に溜まった涙を人差し指ですくって舐めてみた。
「きもいことしてんなよ」
 闇の中で結人が笑った。口元だけで。酷薄そうに。悲しいような嬉しいような思いで胸が締め付けられた。
「一緒に地獄に落ちてやってもいいよ」
 すぐに前言を撤回してしまった。
「あ、」
 今、ちょっと、胸がぎゅってなった、
 と、結人が言った。
 うそつき。
「狭いところでやるのもいいかも。やりにくいの、いいじゃん。不自由で、苦しくて、興奮する」
 耳元で囁かれて、なんだかそれだけでもう、陶酔、打ちのめされたみたいな気分になった。
 キス、息、詰まる。
(あつくてとけそう…)
 ↑バカ?

 落ちてゆける地獄なんてあるんだろうか? ここが地獄の底かもしれないのに? どうしてここが地獄でないと言えるんだろう。

 不自由で、苦しい。興奮する。

「ドキドキゆってる」
 俺の裸の胸にぴったりと耳を当てて結人が言った。
「生きてんだから当然だろ」

 でもここは天国かもしれない。

 なんだか知らないけどやることやっちゃって、結人の部屋に戻ってちょっとだけ眠って、疲れて満たされてでもちょっと虚しい気持ちだった。いつのまにか雨は止んでいた。
「雨止んだし、もう帰る」
「ん」
 結人はベッドに横たわったまま、眠たそうな声で適当に答えた。
 途端、胸に激しいものが込み上げて、抑えることができなくなる。
「引き止めろよ。帰るなって言えよ。側に居ろって、」
 言ってよ、お願い、
 声が掠れて、最後までちゃんと言えなかった。これで涙があれば完璧だった。寝転がる結人の肩を一生懸命揺さぶった。
「うーん、分かった、分かったから、やめて。話はまた今度ちゃんと聞いてやるから、な、眠いんだよ、すごく。だから、さ、寝かして。おねがい」
 涙を零しても無駄だ。結人は、目を瞑ってる。俺のことなんか見てないし。結人、今までお前が一度でも俺の話をちゃんと聞いてくれたことがある? 今度っていつ? そんな今度、一生来ない。一生、ありえない。
 机の上にあったカッターで、結人の喉を掻っ切ってやりたい、と、物騒なことを思ってみたけど、何の慰めにもならなかった。

 結人の家を出て、駅に向かう。

 さみしい あいにきて いますぐ

 メール見返して、なんかちょっとむかついて、でも、胸が、そう、胸が、ぎゅって、なって。
 さみしいのはいつも、俺の方ばかりじゃないか。











☆おしまい☆




May.6,200


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