知ってしまった甘い味、本当の、甘い味、落ちた、はまった、もうドボン、あなたに首ったけ、目の前が薔薇色で、でも真っ暗で、
 どうすればいい?
 知らなきゃ良かった…、でも知ってしまった、

・絶望チョコレート・



 結人が、彼女と別れたかと思ったら、また別の子と付き合うことになったんだって。英士から聞いて知った。
 …なんかやだ。結人にまた彼女が出来たんだ。やだなあ。俺はそのこと知らなかったけど、英士は知ってたんだ。やだなあ。

 嫌だ。嫌。なんか嫌。嫌な感じ。嫌な気持ち。
「美人だよ」
 というのが、新しい彼女ってどんな子? っていう俺の問いに対する結人の返答。
 ふうん、そうなんだ。美人なんだ。やだな。美人だよ、って答えたときの結人の顔が、なんだかやけに嬉しそうで嫌な感じがした。結人はその美人な彼女のことが好きなんだろうな。まあ、好きじゃなきゃ付き合わないだろうけどさ。…好きなんだろうなあ…。
 ああいやだ。
 結人の部屋で、俺と結人は、チョコレート(そのへんのコンビニやスーパーで売ってるようなやつじゃなくて、結人が親戚の人からお土産で貰ったとかいう高級なチョコレートの詰め合わせ)を食べながら、とりとめもなく時間を過ごしてた。
 チョコはすごく濃厚に甘かった。なんか普段は普通にそのへんに売ってるようなチョコ系のお菓子を食べててそっちに慣れちゃってるから、こういう高級なのは舌に合わない。味が濃くて、香り高くて、口に含むとすぐにとろけるような食感で、なんか、こう、異質な感じ。
 俺は、いかにも高級そうな箱の中のチョコを最初に一つ選んで食べた後は、もう手を付けなかった。対照的に、結人はぱくぱくチョコを食べてる。高級なやつなのに、そんなスナック菓子を食べるような調子でぱくつくのってどうなのかな。もっと味わえよ。(まあ、結人んちのだから、俺がどうこう言う筋合いじゃないけど)
「一馬も彼女作れば?」
 チョコレートを一つ口に入れながら、結人は気軽な調子で言った。結人の言葉になんだか無性に腹が立った。嫌な感じ。なんでそんなこと言うんだろ。
「別に彼女なんか欲しくない」
 乱暴な調子で答えると、
「あ〜、分かった〜」
 結人が唐突ににやにや笑い出した。分かったってどういうこと?
「…何が?」
「一馬、英士のことが好きなんだろ?」
 はあ?
「…違うよ」
 何言ってんの、こいつ。
「またまた〜」
「違うって言ってんだろ!」
 自然と声が荒々しくなった。ああもうすげえ腹立つ。
「そんな怒んなくてもいいじゃん…」
「だって俺、結人のことが好きなんだもん」
 そうやって言葉にしてしまうと、すごい薄っぺらくて嘘臭くて、なんか我ながらすごくやだった。結人のこと好きなのに、すっごい好きなのに、それはほんとなのに、好きって口にした途端に真実味が無くなる。
 ほんとなのにな。やだな。すごいやだ。言わなきゃよかった。
「知ってたよ」
 は?
「…知ってたって…?」
「一馬が俺のこと好きだってこと。俺ってそういうとこはすごい鋭いもん」
「じゃ、なんで、さっき俺に彼女作れとか英士がどうとか言ったんだよ」
「それは一馬をからかってみただけー」
 …最悪…。
「お前ってほんと性格わっるー!」
「でも、俺のことが好きなんだろ?」
 結人の顔は自信に満ちている。悔しいけれど、答えはイエスだ。ほんと悔しいけれど。お前のそういう『俺様』なとこ、好きだよ。
「二番目にしてあげよっか?」
 結人が突然そんなことを言い出して。
「二番目?」
「そ。だって、俺には今んとこ彼女いるじゃん? だから、一馬は二番目の恋人。そういうの、ダメ?」
 言ってから結人は、指に付いてたチョコを舐め、唇の回りのチョコも舐めた。その仕草が変に色っぽくて、どきどきしてしまう。
「二番目でもいいよ」
 あんまり深く考える前に口に出して答えてしまった。『二番目』っていうのは引っ掛かるけど、でも、『恋人』という言葉の響きに魅せられてしまった。
「彼女にしてるみたいなことして欲しい?」
 結人が訊いてきて、俺は少しだけ考えてから恐る恐る頷く。
「キスして欲しい?」
 続けて結人が訊いてきて、今度は一もニも無く頷いた。
 結人のキスはチョコの味がした。濃い、甘い、頭の芯が痺れるような、どうしようもないほどに、チョコレート。舌を絡められて、甘ったるい唾液が生まれて、それが喉の奥に吸い込まれてく。甘さで喉が震えて鳴った。ああ、甘ったるいものが体内に浸透してく。器官が甘さに侵される。いずれ体を流れ始めるだろう甘い体液、体が震える。強い、甘い、チョコの匂い。体がチョコレートに近付いてく感覚。甘い、とけそう、そんな感じ。『もう戻れない』とか思ってしまった。たかがキスくらいで、なんて、馬鹿にされるかもしれないけど、でも、もう戻れないってほんとにそう思う。だって、本当に甘いんだ。
 知ってしまった。戻れないよ。もう二番目でも三番目でも四番目でもいいから、明日も明後日もその次も、会う度キスして欲しいよ。ほらね、戻れそうにない。
 それにしても、結人、ちょっとキス長過ぎない? いや、望むところなんだけどさ。
(このまま夜が明けちゃってもいいよ)(あ、さすがにそれはちょっと言い過ぎか)
 そういうわけで、俺は結人の『二番目(の恋人)』になった。結人とはそれ以後、会う度にキスをした。事前にチョコを食べてるわけでも何でもないのに、結人のキスはいつだってチョコの味がした。結人との初めてのキスがよっぽど心に残ってるから、キスの度その時のことを思い出して、チョコの味がするように感じるのかな。それとも、結人自体が、チョコの味がする生き物なのかな。チョコレート人間。だって、結人はこないだ、ほんとにいっぱいチョコを食べてたから、だからチョコになっちゃったのかも。だとしたら、俺もきっとそのうちチョコになっちゃう。だってキスの度、結人から俺に、甘いものが流れ込んでくるんだから。
 そういうことを考えてると、すごく甘ったるい気持ちになってくる。嬉しいような恥ずかしいような苦しいような甘ったるい気持ち。
 でも、ちゃんと分かってるよ。二番目だってこと。寂しい。辛い。でも、仕方ない。
 そういえば結人にとっては俺ってほんと二番目だよな。
『二番目(の恋人)』(一番は美人の彼女)
『二番目(の友達)』(一番は英士)
 なんか、涙が出そう。
 仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない、
 呪文みたく心ん中で唱えた。
 仕方ないよな。誰かの心を自分の自由に動かすことなんかできない。どんなにキスを重ねても。

 ある日のこと。俺は学校帰りに英士の家に寄って、二人でビデオを見たり雑誌を見たり他愛の無い話をしたりして過ごしてた。
「一馬が結人のこと好きでもいいよ」
 ふと英士の口から出た言葉は、さっきまでの会話と全然脈絡の無いもので。その言葉の真意を探る前に、俺はまずびっくりした。
「なんで知ってんの!?」
 なんで、英士は俺が結人を好きなこと知ってんだろう。あ、もしかして結人に聞いたとか? …どこまで聞いてるんだろ…。
「そんなことぐらい、見てたら分かる」
「…俺って、端から見てそんなあからさまに結人のことが好きそう?」
 だとしたら相当恥ずかしい。
「そういうわけじゃなくて。俺だから分かる、ってこと。一馬のことはよく分かるよ」
 息が苦しくなるくらい、英士が真っ直ぐに見つめてくるから。どうしようかと思った。なんで、英士、そんな真剣そうな顔。
「俺は一馬のことが好きだから」
 言った後、英士はちょっとだけ苦笑いをした。俺はびっくりして、そんで困って、なんて答えたらいいのか分かんなくて、ますます息が苦しくなった。知らなかった。そんなの全然知らなかった。
「俺は、一馬が結人のことを好きでもいい」
 もう一度そう言って、英士がキスしてきた。俺は身じろぎ一つ出来なかった。

 『結人のことを好きでもいい』
 何が? 何がいいの、英士。よくないよ。

 『二番目でもいいよ』
 …何が? 何がいいっていうんだろ。よくない。全然よくない。

 英士のキスは、チョコの味はしなかった。(そりゃ当然だけど)
 ごめん、ごめん、ごめんなさい、英士。

あなたとキスしてるとき
あなたと違う人としたキスのことを思い出してしまいました

 ごめん、英士。俺は結人が好きなんだ。『結人のことを好きでもいい』なんて、そんな言い方すんなよ。悲しくなるじゃん。なんで、俺、結人に『二番目でもいいよ』なんて言っちゃったんだろ。ほんとはよくない。全然よくない。ほんとによくない。だめ、だめ、だめ。『一番だよ』って言ってほしい。言ってくれたらどんなにいいか。言ってよ。言えってば。おねがい、おねがい。嘘でもいいから。いや、よくない。嘘はだめ。嘘はいや。でも二番目もいや。
「英士、ごめん」
 一粒だけ涙が零れた。
「謝らないでよ」
 みじめになるじゃないか、続けて英士が言った。
 ごめんなさい。
 結人、結人、結人、結人に会いたいなあ。
 そんで、キスしてほしい。
 二番目でいいから。いや、よくないんだけど。でもキスしてほしい。
(英士、こういうのを『みじめ』っていうの?)

 その後、気まずい雰囲気のまましばらく英士と過ごして、俺は帰路につく。帰り道、たまらなくなって、結人に電話した。三コールめで結人が出る。
「あ、一馬ー、どうした?」
 結人の声を聞くだけでほっとして、その後どきどきし始めた。携帯を持つ手が震える。
 今どこにいる? 今から会いたいんだけど、
 そう言おうと思って口を開いたその時、電話の向こうで女の子の声がした。『ねえ、誰?』って、確かにそう聞こえた。…最悪。結人は今、『美人な彼女』と一緒にいるんだ。
「ごめん、何でもない!」
 俺はそれだけ言ってから一方的に電話を切った。最悪。電話なんかかけなきゃよかった。ものすごく嫌な気持ち。ていうかさ、人の電話中に横から、誰からの電話? とかちょっかい出す奴ってどうだよ? 感じわる。感じの悪い女。でも、その感じの悪い女は、結人と付き合ってる。結人の彼女。結人の一番目の恋人。いやだいやだいやだいやだ。
 電話なんかかけなきゃよかった。

 家に帰ってふて寝してると、結人がやって来て、俺はすごく驚いた。
「機嫌悪そうだね〜、一馬」
 手土産のスナック菓子とジュースの入ったコンビニの袋を下に置きながら、結人がのんきそうに言う。
「…彼女と一緒だったんじゃなかったのかよ」
 どこか責めるような口調になってしまって、口にした途端に恥ずかしくなる。だって、俺には責める権利なんかないじゃん。
「一緒だったよ。でも、彼女はもう帰ったから。だから、こうやって一馬に会いに来てあげたの!」
 会いに来てあげた、だって。なんて傲慢な言い様だろう。会いに来て、だなんて俺がいつ頼んだよ。
「嬉しいだろ〜」
「べっつにー」
「照れちゃって」
「馬鹿じゃねえの?」
「あ、嫉妬してんだろ。俺の彼女に!」
「うるさい」
「二番目でもいい、とか言ったくせに」
「よくない。ほんとはよくない」
「あっそう。そんじゃ普通の友達に戻る? もうキスとかは抜き」
「…やだ!」
 思いっきり否定すると、結人はさも可笑しそうに笑った。…結人はほんとに意地悪だ。
「キスして、結人」
 自分から、こんなふうにせがんだのは初めてだった。恥ずかしくて悔しいけれど、やっぱり結人が好きで、ほんとは会いに来てくれたのが泣けるくらい嬉しくて、ほんとに今どうしてもキスしてほしい。
 いいよ、って言って、結人の顔が近付いてきて。
 やっぱり結人のキスはチョコの味。舌が、甘さで、じんとする。
 「キスの続きも知りたい?」
 って結人に聞かれて、俺は一もニも無く頷いた。
 性懲りもなく甘い味を知っていく。












・終わり・



Sep.8,2000



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