徹底的な憧れ! 徹底的なアプローチ!

・drastic・


 スーパーから帰って来た松下を、「おっかえりなさ〜い!」と藤代は元気良く迎えた。松下はただただ唖然とする。
「なんなんだ、お前は」
「藤代誠二です! 武蔵森の」
「それは見れば分かる。そういうことを訊いてるんじゃない」
「はあ」
「なんで武蔵森の藤代誠二がこんなとこにいるのか訊いてるんだ」
「はあ。あなたに会いに来たんスけど」
「何か用があるのかな」
「用っていうか。会いたいから会いに来ました」
「はあ?」
「俺、あなたのファンなんですってば。だから、憧れのあの人の御宅拝見〜とかそういう気持ちもあって」
「はあ」
「というわけで、来ちゃいました!」
「…よくここが分かったな」
「ああ、それは。情報網がありますからねー色々と!」
 妙に得意げな様子の藤代をどうしたものかとしばらく眺めていた松下だったが、どうにも相手が悪い。目の前でにこにこと余裕たっぷりに微笑む男子中学生にどう対処するのが一番適切であるのか、いまいち思い付かなかった。
 いつまでも外で突っ立っているわけにもいかず、とりあえず松下はジャケットのポケットから家の鍵を取り出してドアを開けようとする。
 ドアが開くと、藤代は当然のように松下の後からついて入って来た。
「失礼しまーす」
「誰が入っていいって言った」
「まあまあ、いいじゃないですか。そんな堅いことは言いっこ無しですよ。こんな寒い中、一時間もあなたのこと待ってたんですよ、俺。ここで追い返したら、あなた、人間失格ってもんですって」
 藤代が勝手に待っていただけのことなのだから、そんな道理は通用しない。藤代の理屈は無茶苦茶だ。しかし、今は十二月。しかも夕方。かなり気温が低い。この寒空の下、一時間もの間自分を待っていたのだとしたら、やはり人として無下に帰れと言って追い払うのは気が引ける。松下は、仕方無いと思って諦めた。(彼は諦めの良いタイプなのだ。)藤代は律儀に自分が脱いだ靴をきっちり揃えている。そんな藤代の様子をどこか不思議な気持ちで松下は眺めた。

「へっへー、ほんとは、十五分程度だったんスよ」
 部屋に入り、意外なくらいきちんと正座している藤代が突然そんなことを言った。
「は?」
「左右十さんを待ってた時間。一時間っていうのは嘘なんです」
 ちょっとしたいたずらを成功させた小さな子供のように満足そうに藤代が笑う。そう、この笑顔。この笑顔が曲者だ。松下は直感的にそう思った。ごく無邪気な笑顔なのに、どこか引っ掛かる。無邪気なのに、無邪気なだけでは終わらせませんよ、そういう笑顔。ひどく引っ掛かる。これは手強い、と松下は思った。
 スーパーの袋をテーブルの上に乗せて、中身を取り出している松下を見つつ、藤代が口を開く。
「今日の夕飯のメニューは何ですか〜?」
「おでん」
「おでんですか! いいっスね! 最近ほんと寒いし。おでんの美味しい時期ですよねー」
「そうだな」
「いや〜でも一人でおでんって寂しくないスか? ちょうどいいから、俺もご一緒しちゃおーっと」
「…お前、そんな、なんて勝手な」
「まあまあ、そう堅いこと言わないで!」
 ものすごい図々しさだ。松下はあからさまにため息を吐いた。藤代は、聞こえない振りをした。

「遠慮ってものを知らない奴だな」
 ガツガツとおでんを食べる藤代を見ながら、松下はいっそ感心してしまう。
「育ち盛りだから食欲旺盛なんですよ〜! 仕方ないじゃないですか。それに、この年で妙に遠慮深い奴の方が変な感じだと思います」
 言いながらも、藤代は箸を進める手を止めない。

 たらふく食べた後、律儀に手を合わせて「ごちそうさま」をして、食後の温かい緑茶をすすっているときに藤代が言った。
「明日の夕飯のリクエストはハンバーグ!」
「は…?」
「俺、大好物なんス! ハンバーグが」
「お前の好物なんか聞いてないぞ」
「あっ、冷たいなあ〜、左右十さんてば。俺、傷付いちゃいますよ?」
「というか…、お前、明日も来る気なのか?」
「はい」
「『はい』じゃないだろ」
「えっ、なんでですか、酷い」
「もう用も無くいきなり訪ねて来たりするな」
「えーっ。用も無くって、そんな。来る理由はちゃんとあるじゃないですか」
「何だ」
「えーっ。だから、言ったでしょ、最初。『何か用があるのかな』って左右十さんが訊いたとき、『会いたいから会いに来た』って。理由はそれで充分でしょう。あ、あと夕飯も目当てかな」
「料理の腕には自信は無いがな」
「おいしいじゃないスかー、おでん!」
 そこで一息ついて藤代はお茶を一口。
「それに、」
 と、再び口を開く。
「あなたが作ったものだっていうことに意味があるんですよ。俺にとっては」
 何でもないことを言うような調子で藤代は付け加えた。
「何を言ってるんだか」
「思ったことをありのままに述べただけでーす」
「ほんと、率直な奴だな、お前は。呆れるほどに」
「呆れないで下さいよ。率直さは、俺の数あるチャームポインツのうちの一つです!」
「率直さは美徳だ」
「そうでしょう!」
「しかし、同時に悪徳にもなりうる」
「あ、な〜んだ、そういうオチ?」
「ま、そういうことだな」
 松下左右十、うーん、これは攻略のし甲斐があるなあ。藤代は心の中で微笑んだ。サッカーだってゲームだって強い相手とやってこそ楽しい。恋愛だってそうだ。壁が高いほど燃える。

 翌日。
「また来たのか」
「また来ました」
「今日はどのくらい待った?」
「一時間くらいですかねー」
「本当は?」
「あ、ばれました? 本当は十五分ですよ」
「そうか」
「嘘。本当の本当は三十分です。ね、手がすごい冷たいでしょう?」
 藤代は言いながら、松下の頬に自分の手を当てる。一瞬、松下は唖然としたが、次の瞬間、藤代の手をやんわりと払った。
「ちゃんと手袋をしろ」
「明日からはそうします」
「ハンバーグ」
「えっ?」
「夕飯のメニュー」
「ほんとですか!?」
「ああ」
「やったー!」
 大げさなほどに藤代は喜ぶ。
「出来合いのものだがな」
「なーんだ…」
 あからさまに藤代は落胆した。なんだ、こいつは、ちゃんと普通に可愛いところもあるんじゃないか。そう思って、松下は少しだけ微笑ましい気持ちになった。この手強い男子中学生は、どこか憎めない。正面からぶつかってこられることに戸惑いを感じずにはいられないが、この状況に一抹の面白さを感じていることもまた事実だった。

「ごちそうさまー! あ〜、おいしかった。あ、明日のメニューは何ですか?」
「腹一杯食べた直後によく次の食事のことが考えられるな」
「だって、気になるじゃないですか」
「明日も来る気か?」
「明日も来る気です」
 当然のように即答する藤代に松下はため息を一つ。
「その実行力には敬意を表するが、」
「敬意なんかより、」
 松下の言葉の途中で藤代が口を挟む。
「俺のこと好きになって下さいよ」
 どこか余裕を感じさせる笑みを含んだ藤代の口元。藤代の言葉に松下は驚きを隠せなかった。
「……いきなりそれか」
「へっへー、言っちゃった」
 言っちゃったも何も、好きになって下さいも何も、目の前の少年はまだ自分のことを好きだとは一言も言っていないというのに。松下のそんな心中を察したかのように、絶妙のタイミングで藤代が口を開く。
「好きですよ」
 あまりのタイミングの良さに、松下は思わず息を呑んだ。そう、世の中にはたまにいるのだ。こんなふうに、偶然訪れた機会を逃すことなく自分のものにする才能を持つ強かなタイプの人間が。
 藤代誠二、うーん、こいつはかなり手強い。松下は、心の中で苦く笑った。
「前からずっと憧れてたし好きだったし、今は前より好きだし、ずっと先のことはちょっと分かんないけど、多分明日や明後日や一週間後には、今よりもずっとあなたのことを好きになってる気がします」
 口元には笑いを湛え、軽い声の調子で言ってはいるものの、藤代の目は恐ろしいほどに真剣で、松下はつい目を逸らしてしまう。
「あっ、目、逸らしたましたね、今」
 藤代はすかさず突っ込む。
 まいったな、そう思いながら、松下はパックに入った豆乳をすすった。

「まだ帰りたくない」と言う藤代を、松下は「もう遅いから」と追い出すようにして玄関まで送る。
「毎日毎日俺の家に来るほど暇じゃないだろ、武蔵森のエースストライカーさん。来るなとは言わないが、程々にしとけよ」
「明日も来ますよ。明後日も。その次も」
 言いながら藤代は、松下の小指に自分の小指を絡ませた。
「約束します」
「なんて一方的な、
「じゃ、また明日!」
 松下が言い終わらぬうちに藤代は右手を上げて、この上なく綺麗に不敵に微笑んだ。

 ドアを開けて出て行こうとする藤代に松下は声をかける。
「明日は手袋するの、忘れるなよ」
 藤代は驚いたように振り返った。
「明日も冷えるからな」
「はい!」






Dec.5,2000


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