真田一馬、15歳、春、高校の入学式をうっかり(というかどうしても気が乗らなかった)サボってしまった彼は、河川敷とかそういうお約束な場所で藤代に出会ってしまうのだった。



春が悲しいのは別れの季節だからじゃない。

美しい死神の季節


「英士は俺のこと見くびりすぎだし、結人は俺のこと買い被りすぎだ」
「で、『だーれも僕のこと分かっちゃくれない〜><』っていう悲痛な心境なわけ」
「……」
「分かってやりたいよ」
「分かってやる、なんて、上から見下ろすみたいな言い方よせよ。ムカつく」

 結人は家から近い高校に行った。英士は結人と同じ高校に行った。
「いっそ一馬も一緒の高校行こうぜ、って結人に言われたんだ。冗談っぽくだけど。で、英士も、そうしなよ、って言ったんだ。これは素だったな。俺さ、そんとき、二人のこと殴ってやりたくなったよ」
「殴っちゃえばよかったのに」
「…他人事だと思って…」
「だってすっきりするじゃん」
 藤代があまりに屈託なく笑うものだから、真田は呆れてしまった。
「でも、殴ってなくてよかったかも。だって、殴ってすっきりしてたら、真田は今俺と一緒に居ないかもしれない」

 藤代に好きだと言われ、真田は大いに驚いた。
「冗談だろ?」
「本気だよ」
 真田は、ぼんやりとした目になって、
「俺、もう誰からも好かれないでもいいと思ってたんだ。すごく好きな奴がいて、その人のためならなんでもできる気がしてたんだけど、そいつが好きなのは俺じゃない。俺じゃないんだ。仕方ないって思うけど、でもなんか割り切れなくて。気持ちの持って行き場が分からない。色々考えてたら、俺って誰からも好かれないような人間なんじゃないかと。そんなふうに思えてきて、だから、」
「ひっくつ〜」
「…! 悪かったな」
「真田はもっと誇り高い人間だと思ってたよ」
「がっかりしたか」
「まあね」
「嫌いになっただろ」
「ううん、好きだね。自分のものにしたい。真田が俺のものになったらいいなあ」
「……最悪だ」

 藤代に掴まれた腕を、真田は乱暴に振り払った。
「気安く触んな」
 藤代は短く笑って、軽い笑顔のまま、真田を押し倒す。
「何すんだよ!」
「自分が、この世で一番高潔な人間だとでも思ってるんだろ」
「な…、」
「ほんとは高潔なんかじゃない。ただ神経質なだけなのにね」
 カッとなった真田は、藤代を殴ってしまう。藤代は、愉快そうに笑いながら、「アハハ、暴力反対」と。それがさらに真田を苛立たせ、藤代にもう一発。
「容赦ないなあ」
 やはり藤代は笑ってる。口の端が切れて、赤く滲んでいた。その赤で、真田ははっとなる。小学校三年か四年生のとき、クラスメイトを殴ってしまったときのことを思い出した。急に寒気を感じ、真田は震える。両手で顔を覆ってそのまま動かなくなった。
「もう殴らないんだ?」
 じゃあキスしよう、
 と、脈絡なく続け、藤代は真田の手を掴んで引き寄せる。
「いやだ」
 振り払われると、「あーあ、拒まれちゃった」とまた笑う。笑って、そして、何のためらいもなく真田の頬を叩いた。パン、と、乾いた大きな音がした。驚いた真田が何かを言う間もなく、藤代は今度は真田の腹に蹴りを入れる。真田はあっさりと床に倒れた。真田が頭を上げようとすれば、頭を踏み付ける。驚きのあまりか真田は抵抗できず、藤代の暴力が止んでも、床に伏したままぐったりと動かなかった。
「死んでないよね?」
 藤代が真田の腕を引き上げて、なんとか立たせる。真田の膝はがくがくと震えていた。顔は青ざめていて、目は虚ろだ。死人みたいだな、と思いながら、藤代は真田に口付ける。真田の唇はあたたかく、ああ生きてる、と藤代は少しほっとした。
 ふと、真田の中で何かがプツリと切れてしまい、狂ったように藤代に殴りかかる。藤代はポーズだけの抵抗をして、あとは真田にされるがままだった。真田は藤代を押し倒して、馬乗りになって、いつまでも殴り続ける。けれどしばらくして、動きを止め、藤代の上に乗り上げたまま嗚咽。
「俺、あのとき、殺す気だったんだ」
 あのとき、というのは、小学校三年か四年生のときのことだ。クラスメイトの男子に言われたこと(想像にお任せします)に激怒して、思わず殴ってしまったら、歯止めがきかずに殴り続けてしまった。真田はこのことを藤代には言ったことがないので、「あのとき」と言っても、藤代には分からない。けれど藤代は口を挟むことなく黙って聞いている。
「カッとなって、頭ん中が、真っ赤に。絶対殺してやるって、思って、本気で殴った。そしたら、止まんなくなって、今度は頭ん中が真っ白になって、それで、先生に羽交い絞めにされて止められるまでずっと…。誰かに止められなかったら、俺はきっと、殺してしまってた」
「うん」
 真田は拳を振り上げる。藤代は少しも顔を逸らさない。それどころか瞬きすらせず。真っ直ぐに真田を見つめ返すばかりだった。
「なんで…なんでだよ…」
「うん」
「なんで俺にひどいことを言うんだ。どうして殴られたのに笑った。どうして殴った。なんで…俺に近付いたんだ。俺は、望んでない。俺はこんなの、お前なんて、望んでないのに…!」
 振り上げた拳を力なく下ろした。涙が止まらなかった。
「あはははは」
 いきなり笑い出した藤代に、真田は目を見開く。
「何が可笑しいんだよ!」
 こんな状況で笑うか? ふつう。
「真田、鼻水出てるよ。顔ぐしゃぐしゃじゃん」
「お前だって、口の端から血が出てるし、ぐしゃぐしゃだ」
「それは真田のせいだろ」
「そうだけど…」
 こんな状況、笑うしかないか…。
 よいしょ、と言って、真田の肩に掴まって藤代は体を起こす。自分の血には一切構わずに、真田の鼻水を袖口で拭ってやる。
「俺は、望むよ。真田を。真田を傷付けたいだなんて思ってない。真田と分かり合いたいとも思ってない。でも望む。求める」
「……困るよ」
「だろうなあ(笑)」
 そんなににっこり笑うと、切れた口の端が痛むだろうに。
 腫れた頬が痛々しくて、鮮やかだった。目が眩むほど。自分の頬も、相手の目にこれくらい鮮やかに映っているだろうかと真田は思う。この男が大きらいだ。なのになぜか、キスしてほしいと思った。白々しい嘘だと分かりきっていても、好きだと言ってほしい。どうして。大きらいだし、好かれたくなどないのに。なのに。他でもない、目の前にいるこの男から愛の言葉が聞きたかった。

 すきだよ。
 と、藤代が言った。甘く、優しい調子で。これは嘘だ。でも別に、真実でもいい。そんなものには意味は無い。
 愛してるよ、とまで彼は言った。ああそうか。そういうことか。誰にも愛されてなくてもいいのだ。強がりなんかじゃない。ただ真田は分かってしまったのだ。今まで一番知りたかったことを。一番知りたくなかったことを。
 なんだか可笑しくなって、ちょっと笑えた。
「真田の笑った顔、すごくいいね。かわいい」
 それが嘘だろうがほんとだろうが。


 真田一馬、15歳、春、高校の入学式をうっかり(というかどうしても気が乗らなかった)サボってしまった彼は、河川敷とかそういうお約束な場所で藤代に出会ってしまうのだった。サボりだと知った藤代(ちなみに入学式はまだ。翌日くらい)は、一気に興味深げな様子になる。
「へ〜〜」
「なんだよ…」
「真田がサボりって、なんか変な感じ。しかも入学式」
「ほっとけよ」
「ほっとけないなあ」
「…なんで」
「だって、出会っちゃったじゃん。だからもう手遅れだよ」
 なんだそれは。意味が分からん。
「お前…、目が、」
「なに?」
「目がでかいな…」
「あはは、なんだよいきなり〜」
 藤代の目を見て、深い暗闇みたいだと思う。太陽みたいな奴だと思ってたのに。なのに、恐ろしく深い暗い穴のように思える。少しでも身動きすれば、穴の中に吸い込まれてしまう気がした。怖いのは、吸い込まれた先が恐ろしい場所だとは限らないことだ。闇の底が、寒くて暗くて寂しい場所だと、地獄だと、分かりきっているならこんなに不安じゃない。そこは、天国かもしれないのだ。暖かくて美しい場所かもしれない。それが怖い。とても怖い。
 藤代が手を差し伸べてくる。
「行こっか」
「は? どこへ?」
「真田が行きたいとこ」
「俺は、どこにも行きたくない」
「じゃあそれでいいや。でもとりあえず、」
 急に恭しい調子になって。
「お手をどうぞ」
 その手が、冷たいなら、汚れているなら。
 その手が導くのが酷い場所だと分かりきっているならば。
 こんなに苦しくなかったよ。


春が悲しいのは別れの季節だからじゃない。出会いの季節だからだ。



2005年1月19日の日記より。

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