知ってしまう運命。せつないね。
【イノセント・ペイン】
ベッドの上、英士にキスしようとしたら、拒まれた。 「よせよ」 「なーんで。だって暇なんだもん」 「お前は暇だったらキスするのか」 「うん」 「うんって…」 「あー、つまんね〜。英士つれないしー。つまんねー、つまんねー、暇、すっげえ暇、暇過ぎて死ぬ」 「ジャンプでも読んでろ」 「つまんねーよ。三獣士終わっちゃったしさあ。これだからジャンプは…」 そうだよ、これだからジャンプはやだ。打ち切るんならもっと、三獣士以外にもあったはずなのに(根に持ってる)。例えばアレとかアレとかさー。あー、やだね、ほんと(とか言いつつ毎週買っちゃうんだけど。毎週っていうか、よくよく合併号とかになるもんだから必ずしも毎週ってわけでもないんだけど。これだからジャンプは) 「暇」を連発して主張してる俺を、英士は呆れたような様子で軽くあしらいながら、文庫本を読んでた。安部公房のカンガルー・ノートとかいうの。人にジャンプ勧めといて、自分は安部公房だってさ。活字ばっかの本なんかよく読むね。しかも安部公房って。ちょっと暗くない? いや、よく知らないんだけど。読んだことなんかないから知らないんだけど。でもなんとなく暗いというイメージだけはある。なんか小難しそうだよ。英士は、漫画にしろ小説にしろ映画にしろ音楽にしろ、なんだか小難しいのが好きみたい。まあ趣味被るとこも多いけど。英士は、喋ることとかも、たまに小難しい。大人びたい年頃? なーんて思ったりもするけど、そんなふうなからかいは奥ゆかしくないのでしない。(やっぱり、冗談とかにも奥ゆかしさは必要だと思うわけ) 小難しい英士。一馬と足してニで割ったらちょうどいいのにな、なんて。ほら、一馬は、簡単だから。 結局、なんだかんだいって、暇を持て余してた俺と英士は、した。キスもその先も。英士とする度思う。セックスって無邪気だなって。なんとなく暇で、そこそこ気力や体力が余ってたなら、こうやって戯れるのは楽しい。楽しい上に痛くて気持ち良くてそれなりにスリルもあって。本当に罪の無いコミュニケーション。甘ったるくも切なくもない。罪が無い。とりとめのない無駄話をして時を過ごすのも良いけれど、こんなふうに無邪気に抱き合って時間を共有するのも悪くない。しかも相手は英士、申し分無い。 あ、ちなみに俺達はジャンケンで上下を決めてる。ここんとこ俺ってば連勝で上続き! まいったか英士。そんな感じ。 「いつかやらしてくんないかな〜、一馬」 事を終えた後、裸でベッドに寝転がったまんまで言ってみると、 「無理無理」 既にきちんと服を着てる英士が即答した。 「無理かなあ」 「無理だろ」 「俺いつか三人ですんのが野望なんだけど」 「お前って最悪、悪趣味」 つまんねーの。なんだ、案外、英士って健全なんだ。結構真っ直ぐに一馬のことを好きだったりして。いや、いいんだけどさ。なんで冗談でも「そうだな、三人でやったら楽しいだろうな」とか言えないんだろ、英士は。そんで、悪ノリして、具体的なシチュエーションとか考えたりすんのな。うん、楽しそう。 英士はいつも余裕あるふうに装ってるくせに、たまに素になったりして、そういうところ何気に可愛いよって思うけど。英士は一馬のこと好きだからなあ。そういった意味でも、ああいった意味でも。けど英士は、ああいった意味の方での自分の気持ちには気付いてない。多分ね。それは幸せなことかもしれないし、不幸せなことかもしれない。もしかしたら気付いてるには気付いてるけど認めてないだけなのかも。だったらそれは不幸せだ。 ・・・・・・ 学校が休みの日は、俺達は三人でつるむのがほとんどだ。とある休日、三人一緒、午後一時、モスで昼ご飯。 「行儀の悪い食べ方しないの」 英士がそう言って、前に座ってる一馬の口の端に付いてるソースを、親指の腹で拭う。 「あ、付いてた?」 口の端を左手で押さえながら一馬が問う。 「付いてた」 「ごめん。ありがと」 一馬は素直にお礼の言葉を述べてから、右手に持っていたモスチーズバーガーに再び齧り付く。 「ほんとガキみたいなんだから…」 俺の隣りに座ってる英士が呟いた。呆れたような口調だったけど、表情は優しそうだった。一馬は聞こえてないみたい。なんか英士、一馬のお母さんみたい。いや、でも、さっきのはちょっとアレだったかな。ちょっと、やらしかった。なんかね。見てて照れた。 「公衆の面前でやらしいことしてんなよ〜。こっちが恥ずかしくなるからさ」 一馬がトイレに行くと言って席を外した時、俺はここぞとばかりに思い切りからかいを込めて英士に言ってやる。 「バカじゃないの」 英士が俺を肘で小突いてきた。いや、『小突く』なんてかわいらしいもんじゃない。けっこう力込めてやがる。肘鉄だ。やりやがったな、と言って、こっちも英士に肘鉄を食らわす。 「痛いって。俺そんなに強くやってないだろ」 言いながら、さらに英士はやり返してくる。くそ。英士は一見すげえ落ち着いた感じだけど、妙に負けず嫌いなとこがある。お前がその気ならこっちだって。負けてたまるか、と英士に肘鉄。まだまだ向こうもやる気で、肘鉄で応戦してくる。 「お前、今すっごい本気になってるだろ」 「全然」 英士は涼しい顔して答えた。表情はいたってクールだけど、肘鉄はかなり厳しい。こいつ、絶対本気だ。容赦ねえもん。こっちも相当本気だけど。 「…お前ら、何じゃれ合ってんだよ」 いつの間にかトイレから戻ってきた一馬が、顔を顰めつつテーブルに着く。まったく子供じゃあるまいし恥ずかしい奴ら…、とかなんとか一馬は文句を言った。うわー、一馬に『子供じゃあるまいし』とか言われちゃったよ。一馬にだよ。子供の代名詞みたいな一馬に。心外だよな。と、思ったけど敢えて口には出さなかった。だって一馬、こういうこと言ったら本気で怒るんだもん。 「ほんとお前らって仲良いよな」 一馬が拗ねたみたいにそんな事をボソッと言ってからストローに口を付ける。拗ねてる拗ねてる。俺と英士の仲を羨んだりしてるんだ。拗ねた顔してストローでジュース吸ってる一馬って、ほんと子供みたい。幼い。こいつって、迂闊なくらい率直だなあ。 英士は、一馬の言葉に一瞬驚いたような顔をしたけど、次の瞬間には、 「バカだね」 一馬にそんな一言を投げかけた。英士の奴、さっき俺にもバカって言わなかったっけ。やだね、英士は。バカって言う方がバカなんだよ。 一馬は、英士の『バカ』にすぐさま反応し、ジュースを飲むのを止めて、顔を上げて英士を睨んだけど、すぐにまたストローに口を付けた。ますます拗ねちゃった。どうすんの、英士。英士は、『こいつってほんと馬鹿だなあ』なんて顔して一馬を眺めてる。勿論、愛ゆえだよ、愛ゆえ。一馬を見つめる英士の眼差しは愛に満ちてしまってるんだから。なんか笑える。 なんだかんだいって、一馬は得だよなと思う。一馬は自分が得してるなんてことぜんっぜん分かってないだろうけど。 「嫉妬深くてやだね〜、一馬は!」 テーブル越し、戯れみたいに一馬の首に両手を回した。 「いきなり何すんだよ!」 ジュースを吹き出しそうになって一馬が怒る。俺は頭悪そうに、へへへ〜、なんて笑ってみせた。 「離せよ。恥ずかしい。うっとうしい」 「や〜だよ〜」 そうやって一馬にちょっかい出しながら、ちらりと横目で隣りに座ってる英士の様子を窺った。英士は、何でもないような顔して、ポテトを食べてた。でもほんとは、英士が今あんまりいい気分じゃないってこと分かってる。そういうのってすぐ分かっちゃう。微妙な目の動きとか、仕草とか、そういうちょっとしたところで感情の動きって読み取れるから。俺は(幸か不幸か)そういう技術(?)に長けてる。 英士、平気な顔してたってほんとは『さっさと離れろよ』とか思ってること分かってるんだからな。嫉妬深くてやだね〜、英士は! 俺と英士はいっぱい肘鉄とか食らわし合って接触しまくっても全然やらしくない。でも、英士が一馬の口の端にくっ付いたソースを取るためにちょっと接触したのはやらしかった。もっと言うと、俺と英士はキスもセックスもするけどやっぱり全然やらしくない。なぜって? それは友愛! 俺と英士は友愛で結ばれているから。友愛、なんていい言葉なんだろ。スバラシイ。でも、一馬と英士はなあ。英士は、(英士が自分の気持ちに気付いているか・自分の気持ちを認めているかどうかはともかく)友愛以外のとこでも一馬のこと好きそうだもんな。なんとなく。 そう、なんとなく分かっちゃうんだよな、この手のことは。…幸か不幸か。(なんかどっちかというと不幸な気がする) 世の中には知らない方がいいことっていっぱいある。知らないでいいことばかり知っていく。やだな。 ・・・・・・ 最近、一馬の様子がおかしい。 ここ一週間くらい前からのこと。なんかさあ、やたらソワソワしてたりで。昔から感情が表に出やすい奴だったけど、最近は特に。あ、こいつなんかあったな、って、俺はすぐ察した。英士もどうやら察してたようで。「女かもな」って一馬の様子がおかしい理由を推察してみたら、英士は「それはないだろ」って否定した。でも、俺の予想が当たってたことは、しばらくしてすぐ明らかになった。英士と二人して一馬を追及したら、一馬は案外簡単に白状した。 どうやら、一馬には『気になる女の子』が出来たらしい。その女の子って隣りのクラスの子なんだって。委員会が一緒なんだって。可愛いくてしっかりしてて面白い子なんだって。顔とか雰囲気が矢口に似てるんだって。矢口に。 「え〜、それは嘘だろ」 一応俺は突っ込んどいた。 「ホントだって!」 一馬はちょっとムキになる。 「…矢口って可愛いの?」 英士が冷めた声でそう言った。 「「すっげえ可愛いじゃん!」」 あ、一馬とハモっちゃった。娘の中だったら、やっぱ矢口が一番かな。前までは市井だったけど。脱退はちょっとショックだったよ。ちょっとね。 「矢口見てみたいよな〜」 英士の部屋。一馬が帰った後、俺は英士にそう言った。矢口っていうのは、一馬の好きだという隣りのクラスの女子を指してる。だって、一馬の奴、好きな子の名前絶対に言わないんだもん。学校違うんだから、別に教えてくれたっていいのに。 英士は俺の言葉に、そうだな、と気の無いような様子で答えた。こいつ、何でもない振りしやがって。ほんとは内心穏やかじゃないくせに。 「でも、あの一馬がなあ」 別に俺に話しかけるふうでもなく、独り言のように英士が呟く。 「一馬に好きな子ができたのって意外?」 「まあ、意外っていうか、うん、…まあ…」 英士、歯切れ悪い。 「一馬だって、好きな子の一人や二人、彼女の三人や四人くらいはできるだろ」 「いや、三人や四人はないだろ。一人だろ、普通」 英士は、こういう細かいことも突っ込むべきところできちんと突っ込んでくれるから好きだ。 「で、どう?」 「どうって?」 「寂しい?」 「何が」 「一馬に好きな子とか彼女ができたら」 「別に」 英士は絶対そう言うと思った。『別に』。嘘吐きめ。 「俺は寂しいけどな〜」 素直ぶって言ってみたけど、なんかヤな感じの言い方になってしまった。 「英士、ほんとに寂しくない?」 「別にって言ってるでしょ。お前しつこい」 「でもほんとは寂しいだろ」 「全然」 「ほんとのこと言ってみ」 「……」 英士はうんざりしたような顔をした。 「寂しい?」 それでもしつこく訊く。 「分かった分かった。じゃあ、もうそういうことにしといてあげるよ」 呆れたように投げやりな調子で英士が答えた。 「じゃ、やっぱり寂しいんだ」 「はいはいはい。」 「チューしてやろっか」 突然の俺の提案。 「どうして。暇だから?」 「ううん。英士が寂しがってるから慰めてやろうと思って」 「お前ってほんとに馬鹿だね」 そんでキス。罪のないキス。やらしくないキス。英士の唇はいつもよりちょっと冷たかった。きっと寂しいからだ。 罪のある一馬。英士、寂しいんだってさ。一馬のせいだよ。 「一馬ともチューしてみたい?」 罪のない問い。純粋な疑問。 「いや、したくない」 表情の読み取れない顔で答える英士。 「ほんとのこと言ってみ」 「したくないって」 「したいだろ?」 「…お前なあ…」 英士はやっぱりうんざりした表情。でもその後、呆れたような諦めたような穏やかな笑みを少しだけ口元に浮かべた。 「ほんとにしたくないよ。一馬にそういうことは望んでない」 「なんで?」 「さあ」 とぼけちゃって。 望まない理由。そんなの、『好きだから』に決まってる。近付くのが怖いんだ。でも、怖いけど、ほんとのほんとは、したいだろ? 夢見てるだろ? 無邪気じゃないキスとかそういうの。だけど、そういうことを知ってしまうのは切ないね、ちょっと。なーんて。 「しよっか」 何気なく聞いてみた。 うーん…、なんて、英士は曖昧な返事をする。 「俺が下でいいからさ」 「いや、今はそういう気分じゃない」 「そっか。残念」 いつもなら、もう一押しするとこだけど、今日はここで止めとこ。 また今度な、って英士が言った。うん。また今度。 だめだ、なんか。すごい切なくなってきた。 英士の家を出て駅に向かう道の途中、じわじわと沸き上がってきた気持ち。なんだろう。変だな。胸が痛い。不快な痛さじゃないけど。 痛い。太陽、すごい赤い。 駅まで走ろ。太陽、ほんとに赤い。人を馬鹿にしてるみたいに赤い。胸が痛かった。 次に生まれ変わるなら絶対一馬だ。一馬がいい。一馬に生まれ変わったら、きっと俺は矢口じゃなくて、英士の気持ちに気付いて英士を好きになるだろう。なんて。冗談。馬鹿みたい。生まれ変わりなんて信じてない。そんなの馬鹿馬鹿しい。でもだからこそ、一馬と仲良しでいたい。少しでも繋がってたい。あの健全さに触れてたい。なんてね、ホント、いつだって無いものねだり。自分が絶望的に持ってないものを絶対的に持ってる人間は、嘘みたいに輝いて見える。目が潰れるんじゃないかと思うくらい。 走りながら、そんなくだんないこと、考えてた。 真っ赤な太陽の下、全力疾走。青春全開? 駅に着く頃には、心臓が怖いくらいバクバクいってた。動悸のおかげで胸の痛みが紛れた。自分が走ってきた道を振り返る。夕日のせいで赤い。嘘みたいに赤い夕方。 真実の光はどこにあるんだろ。
・終わり・ |
Aug.25,2000
マヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』の中で、
主人公が「セックスは無邪気だ」とか言ってて、
あー若菜に言わせよ〜と思いました。
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