春はまだ遠いっていうのに、日に日に色気づいてく私に注目してネ。

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着々と色気づいてく私をあなたは見て見ぬ振りする気なの!?
(信じられない!)(首を絞めたい!)

色めくも華やぐも

 二月に入ったばかりで、まだその日までにはたっぷり二週間あるというのに、世間はもうバレンタインムードだ。ふと立ち寄ったコンビニでも、ドアにはバレンタインの垂れ幕が掛かり、レジカウンター前の棚に目立つように綺麗に包装されたチョコレートがずらりと並べられている。クリスマスだといって浮かれてケーキを食らい、正月だといって浮かれて御節を食らい、そしてバレンタインデーだといって浮かれてチョコか。おお嫌だ。一馬はさり気なくチョコレートの並べられた陳列台から目を逸らそうとしたのだが。
「バレンタインか」
 いかにも今思い出しました、といったふうに、英士が、一馬が避けたいと思っている話題を口にする。
「そうだな。まあ、どうでもいいけど。それよりさ、昨日結人が、」
 一馬はなんとかして話題を逸らそうと試みたのだが。
「一馬はいっぱい貰うんだろうね、チョコレート」
 試みはあっさりと失敗に終わった。
「…英士こそ」
「俺? 俺はそんなことないよ」
「またまた〜」
「一馬はいっぱい貰うでしょう」
「そんなことないよ」
「またまた」
 なんなんだろう、この主婦同士の会話のような調子は。一馬はどこか不吉な気分になった。
「ま、好きな子以外から貰ってもアレなんだけどね、意味がないっていうか」
 英士はそう言った後、わざとらしいくらい爽やかに笑った。
「そうだな」
 一馬もとりあえず爽やかに笑い返した。幾分口元が引き攣ってはいたが。
「一馬は好きな子から貰えそう?」
「いや、俺は好きな子とかいないし」
「またまた〜」
「いや、いないって、ほんと」
「またまた〜」
「いねえよ」
「うそだね」
「いないってば」
「え〜うそ〜」
「ガーッ! ああもう! うざい! いないって言ってるじゃん!!」
「お、怒らなくてもいいでしょ」
 思わず声を荒げた一馬に英士は怯んだ。
「お前がしつこいからだよ。ていうかお前はどうなわけ?」
 もういい加減追及されるのは嫌なので相手に話を振ったのだが、振ってしまった後で、一馬は後悔した。
「どうかなあ。貰えるかなあ」
 そう言って英士は意味深な目付きで一馬を見つめた。
「……」
(こわい。こわすぎる)
 一馬は背筋が冷たくなるのを感じた。
「ああチョコレートがほしいなあ」
 英士はやっぱり一馬を見つめながら言った。
「あはは、貰えるといいな」
 目を逸らしながら一馬はそう返答する。
 そんな一馬の様子を見ながら、
(一馬って鈍感だなあ。どうして俺の気持ちに気付いてくれないんだろう…)
 と、英士は思っていた。
(英士ってどうしてこんなにあからさまなんだろう。怖いなあ…)
 と、一馬はさり気なく英士と距離を取りながら思っていた。
 二人の気持ちはこんなふうにして、常に割とすれ違っていた。
「あ、そうだ、俺、のど飴買わないと。のどが痛くて」
 いい加減このへんで話題を変えなければ、と思い、一馬はほしくもないのど飴を手に取る。
「えっ、一馬、のどが痛いの? 風邪の引き始め? 大変だ。帰ったらちゃんとうがいしないと駄目だよ。あと寝るときはちゃんとあったかくして
「あーはいはいはいはいはい」
「はい、は一回でいいよ」
「……」
 コンビニを出て、買ったのど飴を早速口に放り込んでから、一馬は手袋をした。
「あ、英士も食べる? のど飴」
「ううん、いい」
「あ、そう」
「チョコレート」
「…!」
 一馬は口の中ののど飴を思わず飲み込んでしまうところだった。
「いきなりなんだよっ」
「ちょっと呟いてみただけ。特に深い意味はないよ」
「やめろ。訳分かんねえ」
「まあまあ」
「あーもーお前は何なんだよ」
「チョコレート」
「いい加減にしろっ!」
「あはははは、一馬、何もそんな、顔を赤くしてまで怒らなくても。ほんの冗談じゃない。あはははは」
「……」
 一馬は英士に対して殺意らしきものをいくらか感じずにはいられなかった。
(ああ嫌だ…英士ってなんでこう…)
「いい加減にしないとグーで殴るぞ」
「殴っていいよー」
「鼻を潰してやる!」
「顔は駄目だよ。顔は男の命だよ?」
「潰す!」
「あはははは、嫌だなあ、一馬、目が据わってるよ。ただでさえ目付き悪いのに怖いこと怖いこと」
 常に気持ちも会話も噛み合っていなかったが、なんだかんだいって二人は仲良くやっていた。それなりに。

 駅にて、別れ際、それじゃあまたな、と一馬が口を開こうとすると、英士が、あ、と言う。
「何?」
 また『チョコレート』とか言う気じゃないだろうな。そんな不安に一馬は眉を顰めずにはいられない。
「マフラーが」
 一馬の不吉な予感は幸運にも外れ、英士は一馬のマフラーに手を伸ばし、丁寧な手付きで形を整えた。間近にある英士の髪から清潔な匂いがして、一馬は思わずどきりとしてしまう。
(あ〜嫌だ〜!)
「はい、いいよ」
「ありがと」
 素っ気無く礼をして、じゃあな、と言って一馬は英士に背を向ける。
「一馬」
 呼び止められて、一馬はびくりとする。まだ何かあるのか? まさか『チョコレート』とか、言う気では…。そう思うと一馬は体が固まってしまい、振り返ることが出来なかった。
「家に帰ったらちゃんとうがい手洗いをするんだよ。じゃあまたね」
 不吉な予感はまたも外れた。一馬は一気に脱力した。


(俺は、英士に、チョコをあげないといけないんだろうか。人として)
 見ている方が息苦しくなるほどの難しい表情をして、電車の中で一馬はそんなことを考えていた。
(『あげないといけない』のだろうか? いや、そうでなくて。『あげるべき』なのか? いや、それも言い過ぎだ。『あげた方がいい』のか? という問題だな、これは)
 一馬は、うーん、と低く唸った。一馬の隣に越し掛けていた中年のサラリーマンは、気難しい表情を保ったままの一馬をちらりと横目で見、中学生も色々大変なんだろうなあ、受験生かな? そうか、追い込みの時期か、受験地獄、受験戦争、大変なんだろうなあ…、なんてことを勝手に思って、それとなく心の中で一馬に応援の念を送ってみたりしていた。
(うーん、あと二週間…)
 勿論受験まで、ではない。バレンタインデーまで、である。

 家に帰り、夕飯を食べた後、一馬は結人に電話をかけた。結人はことあるごとに英士と一馬からそれっぽい相談を受けることがあり、常々迷惑していた。
「なんか、英士ってヘンなんだよ」
『何を今更。変なのは元からでしょ』
 英士の口調を真似ながら結人は答えた。
「いや、そういうんじゃなくて」
『じゃ何』
「遠回しに『バレンタインにチョコ寄越せ』と言ってくる」
『わはは、英士らしいなあ、なんとなく』
「なんていうか、あの、あからさまなチョコくれオーラが俺の心臓を凍らせるんだよ」
『相変わらずお前らっておもろいね』
「あと、最近英士はいい匂いがする気がする」
『…は?』
「色気づいてきてるっていうか。いい匂いするんだよほんと。バレンタインが近いからなのか? そうなのか?」
『もう切っていい?』
「なあ、どう思う? 英士って最近きれいになった気がしない? 前にも増して」
『ぶっ!』
 さすがに結人もそこで飲んでいたジュースを吹き出してしまった。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
『変なこと言うなよ! 今! 一気に! 全身に! さぶイボが…!』
「チョコあげた方がいいのかなあ」
『お前人の話を聞いてないな? まあいいけど。ああもうチョコでもなんでもあげれば? あげたらいいでしょ』
「でもなあ、当日とか…、迫られたらどうしよう…」
『チョコより先におとなしく食われろ』
「いーやーだー」
『じゃあいっそ食え」
「それも嫌だな」
『じゃあチョコをやらなければいい』
「いや、それは、うーん」
『じゃあチョコはやるけどその他はやらんぞ、と。迫られたら拒めばいい』
「うーん、でも、なんか拒めない気がする」
『……』
「そんな自分が恐ろしい…」
『あ〜も〜! ああもう嫌だ! ホモ話はそのへんにして…。なんかもう、ジュースが不味くなる…腐る…口の中が酸っぱいよ…マジで…』
「うん、ごめん」
『うん、もうやめて』
「でもさあ、英士ってほんとに最近あれじゃねえ? きれいに
『や〜め〜ろ〜!!!』
 そこで電話は一方的に切れた。
「あっ、結人の奴勝手に切りやがった。なんて奴だ!」
 なんて奴、なのはお前の方だ! と、結人は言い返すところだろう。

 もう一回電話かけてやろうか、と一馬が思っていると、部屋のドアがノックされた。
「一馬、英士君が来てるわよ」
 母親に言われ、一馬は驚きのあまり返す言葉を失った。
「何の用…?」
 今日会ったばかりだというのに。一馬は不審に満ち満ちた表情で、目の前で涼しい顔をして座っている英士に問う。
「別に用はないんだけど。なんとなく会いたくなって」
「数時間前まで会ってたじゃん」
「うん、でもまた会いたくなったんだよ」
「なんだそれは!」
(こわすぎる!)
「ちょ」
「チョ!?」
 チョコか? またチョコの話なのか? 一馬は思いきり身構えた。
「直感だよ、直感」
「直感…」
「そう、唐突に、一馬に会いに行かなきゃ、と直感して、それで、その、ちょ」
「チョ!?」
「直後。直後に。ちょ」
「チョ…」
「直行。一馬んちに直行だよ」
「……」
「俺って割と、ちょ」
「……」
「直情径行。意外にも、直情径行の気質も持ち合わせてるんだなあ、とこういうとき思うね」
「お前…」
「何」
「わざとだろ」
「何が?」
「なんかわざと言ってない?」
「だから何が」
 英士はやはり涼しげな表情を浮かべたまま綺麗に正座している。
 うーん、一馬は唸って、目を閉じて、この事態にどう対処すべきなのか考えてみた。
「一馬?」
 英士は姿勢を崩さないままそっと一馬の側に寄った。英士の清潔な匂いを感じて、一馬ははっとなって目を開ける。
「英士…、風呂入ってきたのか?」
「まだだけど。どうして?」
「お風呂上りみたいな匂いがするから」
「そう? でもまだだよ」
「あ、そう」
でもやっぱりいい匂いがする。何故だか一馬は泣きたいような気持ちになった。
「一馬? どうしたの?」
 英士がそっと一馬の頬に手を伸ばそうとすると、
「俺に触るな!」
 一馬はそう言って、さっと上半身を後ろに引いた。
「えっ」
「俺に近寄るな! 俺に話しかけるな! 俺を見るな!」
「ど、どうしたの?」
「いい匂いをさせるな! 俺に構ってる暇があったら彼女でも作れ!」
「……か、一馬…」
 唐突に激しい剣幕でまくし立てる一馬に、英士は唖然とし、その後徐々に青ざめていった。
「家に来たことを怒ってるんなら謝るよ…、ごめんなさい、訳分かんないことして」
「……」
「悪かったよ。迷惑だよね、そりゃ」
「……」
「迷惑っていうか気持ち悪いよね…」
「うん」
「あっ肯定した!」
「そりゃ、きもいよ。でも迷惑とかそういうんじゃなくて」
「うん」
「怒ってるわけでもなくて」
「うん」
「だから謝んなくてもいいよ」
「うん」
「えーと、なんて言ったらいいのか分かんないんだけど」
「うん」
「だから、その」
「うん」
「ああ、えーと」
「うん」
「とにかく迷惑とかではない」
「でもさっきすごい剣幕だったけど。怖かったよ?」
「うん、ごめん、っていうか、いや、それは怒ってたわけではなく」
「うん」
「ああ、いや、なんていうか、なあ、あれだよ」
「あれってどれ?」
「あーだからあれだよあれ」
「どれだよどれ」
「だから! ほら!」
「うん」
「……い、言えない」
「えー…」
「何と言ったらいいのか分からない」
「うーん」
「いや、分かるんだけど言えない…」
「うーーーん」
「察して…」
「察してって言われてもねえ」
「だから迷惑じゃないんだって。怒ってないんだって。その逆なんだって」
「えっ」
「もういいじゃん、そういうことなんだよ…」
「えっ、何、それってつまりそういうことなの!?」
「そうだよ…もういいよ…」
「えっ、そんな、そうなの? え、俺の都合の良いように解釈してもいいの!?」
「いいよ…もうどうでもいい…」
「そんな! 投げやりにならないで! これからじゃないの!」

 と、まあ、かくも面倒臭いやり取りの末にひとまず気持ちは通じ合った? ようで。
「あーバレンタインが楽しみだ」
「そう…?」
「待ち遠しいよ」
「怖いよ」
「あ、そうそう、節分には二人で豆まきをしよう」
「えー」
「俺が鬼でいいよ。好きなだけ豆ぶつけていいよ」
「いや、いいよ、別に、そんな」
「本気でぶつけていいいよ、うん」
「何、お前、なんでにやにやしてんの? …なんか怖いよ…」


 ハッピーエンド!





Jan.30,2002



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