嗚呼オリハラミトを読んで涙を流したうら若く清く美しい在りし日の君よ…!



★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜ピンクの背表紙ティーンズハート★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜


 あれが恋だったのかそうでなかったのか、今になって考えてみるとよく分からないのだ。
(なーんてこんなクサイ出だし、恥ずかしい。けれど物語の始まりは、そう、ちょっと気取ってないと。最初の一文は肝心だよな、キウイに生えてる毛程度には)
「恋だったんだろうか」
 思考は、意識的にか無意識的にか口から零れ落ちた。
「恋じゃなかったんじゃない?」
 英士は雑誌をぱらぱらと捲りながら事も無げに答えた。驚きはしなかった。短い独り言の裏に隠された様々な思考を一瞬にして読み取ってしまう英士の勘の良さにももう慣れた。最初は奴のこういうところが興味深いと共に気味が悪くて仕方なかったのだけれど。
「恋じゃなかったんだと言われると恋じゃなかったような気もする」
 恋だの愛だの口にするのは恥ずかしい。頬が熱くなるような恥ずかしさじゃなくて背筋がひんやりするような恥ずかしさ。
「結人って小さい頃に保育園の先生や近所のずっと年上の女の人に憧れたりしたクチなんじゃない? ありがちだよね。根っこの部分がマザコンなんでしょう。そういうのは恋とは言わないよ」
 英士は雑誌から顔を上げることもなく淡々と言う。むかつくよりも呆れてしまった。素で言ってるのだから始末に負えない。遺伝子レベルで失礼な奴だ。罵るよりも憐れんでやりたいね。お前って可哀相。お前くらい素で失礼な奴見たことない。嗚呼可哀相。可哀相で、たまらないよ。胸が痛いの。こういう気持ちが恋ですか。恋です。と、自問自答。そう、これは恋だ! と、力強く思ってみる。そう、これは恋だが、これだけでなく、あれも、英士にはきっぱり否定されてしまったが、あれはあれでまた、幼いながらも、英士が言うようにマザコン的な因子が絡んでいたとしても、やはり、恋だった…、のかな?
 ハイハイいい加減に勿体ぶった言い方はやめようね!
 というわけで。あれは中学二年の夏でした。なんて回想シーンに突入するあたりがベタでやだ〜とゆう感じなんだけどそれがどうした突入する。

 始まりは一本の電話だった。隣町の図書館から何故電話があったのか。それはうちの兄ちゃんが、貸出し期限をとっくに過ぎてるというのに本を返さなかったため。ごめいわくをおかけしてほんとうにもうしわけありませんすぐにかえしにいくようあににつたえておきます。慣れない敬語を使ったものだから少しだけ声が上擦った。いや、緊張して、声が、上擦ったのは、不慣れな敬語のせいだけじゃない。受話器を通して耳に響く女の人の声が、あまりにもきれいだったので。低くも高くもないトーン。無駄なく、澱みなく、ただ淡々と、穏やかな、霧雨のような、言葉の調子。耳に染み入る、こんな声、こんな話し方、今までに聞いたことがなかった。きっと美人に違いない。いや、フェイントで、見苦しい見た目をしているかも。ただの、声美人。
 本は俺が返しに行くことになってしまった。兄ちゃんにハードカバーの本四冊を手渡され、「まあこれで手を打って」という言葉と共に強引に五百円玉を二枚握らされた。あまりにぎゅっと握らされたものだから、掌の真ん中に鉄の匂いが染み付いてしばらく消えなかった。日陰の多い道を選んでチャリを飛ばす。段差に行き当たる度、カゴに入れた本が飛び上がって落ちそうになる。ふと、泣き喚くセミの声の間から、鈴の音が聞こえた気がした。電話の女の人の声を思い出した。どんな人だろう。少しだけ胸が弾む。きれいな人でありますように、と軽く願いながら、きれいな人に違いない、という根拠のない確信が芽生えていた。
 その確信は一ミリたりとも裏切られることはなかった。カウンターに座っていた20代半ばほどの色白で髪の黒い女の人。電話の人だ、とすぐに分かった。おくれてすいませんでした、と謝りながら本を返す。
「これからは気を付けて下さいね」
 電話越しで聞くよりも滑らかな声だった。彼女は本を受け取って、慣れた手付きでバーコード処理をする。彼女の白く細い指は清潔というよりも潔癖といった感じで、見ていると息苦しくなった。一度も目は合わなかった。

 それから俺はちょくちょく図書館に行くようになった。漫画や雑誌しか読まないから、図書館なんて今まで全然縁がなかったので、図書館の雰囲気には全然馴染めない。ちょうど夏休みで、子供や学生が多くてちょっと騒がしいのが救いだった。彼女はいつも淡々と仕事をしていた。愛想無さ過ぎな感じがしたが、司書は彼女にとって天職だろう。図書館という場はあまりにも彼女に似合っていた。
 夏休みの宿題を机に広げて眺めてみる。ずらりと並ぶ数式は、目には入ってくるものの頭までは到らない。「家で宿題をやろうとしてもだらけてしまう人は、図書館でやればいいですよ。そうしたら結構集中できますから」なんてことを数学の先生は言ってたけど、あれは嘘だね。集中できる奴はどこでやったって集中できるし、集中できない奴はどこでやったって集中できないんだ。場所なんか関係ない。あ、言っておくけど、俺は別にバカってわけではない。やる気がないからやれないだけであって、やる気を出したらすごいんだ。今は8月の半ば。まだ本気を出す時期ではない。俺の本領は8月28日以降に発揮される。
 頬杖をついてぼんやりしてると、ふと足元にシャーペンが転がってきた。左隣の机に座ってる奴が落としたらしい。さっと拾って、はい、と言いながらシャーペンを差し出すと、俺と同じくらいの年であろう左隣の男は、不自然なくらいにっこりと微笑み、ありがとう、と言って丁寧な手付きでシャーペンを受け取った。ふと、インギンブレイ、という四文字熟語が頭を過ぎる。容姿・表情・口調・仕草、全てが、どことなく癪に障った。いかにも育ちが良くて頭も良さそうな、模範的な生徒、といった感じの雰囲気が気に入らない。男は夏休み中だというのに制服を着ていて、そこがまた嫌な感じだった。しかも夏なのに長袖。白いカッターシャツが目に痛い。絶対に友達になれないタイプだな、と思いながらも、とりあえず愛想笑いを返してから目線を机の上の数学の問題集に落とした。
「分からないところがあるんだったら教えようか?」
 左隣の男の言葉に顔を上げると、男はやっぱりインギンブレイな感じの微笑みを浮かべていた。教えようか、だって? 初対面の相手に何を言ってるんだこいつは。どう対応しようものか。訝しい思いで男を見返すと、男は少し慌てた様子で、「だって、ちっとも進んでないみたいだから」と、俺の机の上の問題集を指差しながら言った。なんなんだこいつは。いかにも常識がありますーなんて雰囲気を醸し出してる割には非常識で失礼な奴だな。
「数学は、得意なんだ」
 さらに言い訳のように男がそう付け足した。てめえの得意科目なんか訊いてねえって。こうなってくると、さすがに気味が悪い。相手が女の子だったら、あらあら逆ナンパかね最近の女の子は積極的だね〜なんて思うものだけど、男じゃなあ。
「せっかくだけど遠慮しとく」
 余計な揉め事は起こしたくないから、なるべく柔らかい言葉で、しかし絶対に関わりたくないから“もうこれ以上俺に話しかけるなよ〜!”というオーラを放ちつつ、男の申し出をお断りした。男はあからさまに沈んだ表情になった。そんな顔されても困るよ。少しだけ胸が痛んだ。俺は何も悪くないはずなのに。シャーペンを拾ってやっただけなのに。なんとなく居たたまれない気持ちになってきたので、今日はもう帰ることした。用事があるから帰るな、と言って、速攻で机の上のものを鞄に押し込んで席を立つ。逃げるようにして図書館を出た。ほっとしたところで、背後に人の気配がするのに気付いて振り返ると、さっきの男が立っているじゃないか。一瞬心臓が止まりそうになった。男は慌てて俺を追いかけてきたようで、息が切れているし、荷物も図書館に置いたままのようだ。
「な、なんか用?」
 一体何だっていうんだ。どこかしら背筋が寒い。断ったこと、怒ってるのか? でも普通断るよな? 俺は悪くないぞ。
 男は黙ったままだった。ほんとに一体なんなんだ。急いでるから、とだけ言って、男に背を向けて早足で駐輪場に向かう。恐ろしいことに、男は俺の後を付いて来る。怖いね。どうしようかな。とりあえず無視、無視、無視だ無視、無視して先に進んだ。
「好きなんでしょう。あの、司書の女が」
 男の発したその言葉に、足が止まった。驚いて振り返ると、男は全くの無表情だった。おいおい。こいつは、なんで、こんなことを。なんて不気味なんだ。これはちょっと、やばいんじゃないのか。…無視、無視、無視だ無視! 何も答えず、俺はまた早足で歩き出す。やっぱり男は付いて来る。
「図書館に頻繁に通ってれば、あの女に自分のことを覚えてもらえるとでも思ってるんでしょう」
 後ろから聞こえてくる男の声、足音。
「そのうち覚えてはもらえるかもしれないけど、そこから先はないよ。だって、現実は、ドラマや小説とは違うもの」
 どうして俺は、見ず知らずの男にこんなことを言われなければならないんだろうか。
「ちょっと、聞いてるの? 少しは人の話を聞い、…ぎゃっ!」
 後ろでバタンという音がした。どうやら男は段差に蹴つまずいて転んでしまったらしい。さてはこいつアホだな。男は道にしゃがみ込んだまま、うう、とかなんとか唸ってる。
「大丈夫かよ…」
 ここぞとばかりに逃げてしまおうかとも思ったが、なんだか男が哀れになって手を差し伸べてしまった。俺って情け深いね。男は地獄で仏に会ったみたいにぱっと明るい表情になって俺を見上げた。男が俺の手を取ろうとした瞬間にさっと手を上げて避けると、男はバランスを崩してよろけた。
「わはははは。お前って見かけによらず間抜けだなあ」
 ざまあみやがれ。なんだか愉快な気分になってきた。
 男は俯き、地面に手を突いたままじっと黙り込んでいる。あまりに長く沈黙してるものだから、さすがに不安になってきた。大丈夫か? と声をかけてやろうとしたとき、
「呪ってやる」
 低い声で男が言った。
「えっ!」
「呪ってやる…」
「ご、ごめんなさい」
 呪われたら怖いので、謝っておいた。しかし、なんていうか、こいつ個性きっついなあ。こんな奴は初めてだ。きもいし、関わりたくないけれど、なかなか興味深いじゃないか。
「俺も最近、ずっと図書館に行ってたんだよ」
 言いながら、ゆっくりと男が立ち上がる。
「なるべく君の近くに、座るようにしてたんだけど」
 小さくて、弱々しい声で、付け足すように男が言った。
「そうなの? 全然知らなかった」
「ま、そんなもんだよね。ドラマや小説じゃあるまいし」
「…お前ってホモ?」
「そんな不潔なものを見るような目で見ないでくれる?」
「ホモこわい〜」
 どうやら何故か俺はこいつに好かれてしまってるようだ。恐ろしくも面白い事態だ。とりあえずあまり深く考えず、笑い事にしてしまおと思って、男をからかって笑っていると、男はひどくむっとした様子になった。あーあ、真剣なのかね。まいったね。
「一応名前聞いといてやるよ」
「郭英士」
「カクエイシ、カクエイシね、オッケーオッケー、覚えた」
 一応こっちも名乗っといてやろうとすると、
「若菜結人、でしょ」
 カクエイシは涼しい顔して人の名前を言い当てやがった。
「なんで知ってんだよ!」
「さあ、なんでかな」
「お前マジでストーカーじゃん!」
「失礼だね」
「警察に通報してやる」
「それは許して。いいこと教えてあげるから」
 いいことって? と訊いたら、カクエイシはインギンブレイな微笑みを顔に浮かべた。嫌な予感がした。

「結人の好きなあの司書の女ね、あれ、俺の姉さんなんだよ」

 …絶句。

 ああでもそう言われてみれば、似てないことは、ない、けど。
(それにしても馴れ馴れしく下の名前で呼ぶのはヤメロ)

 次の日も図書館に行くと、カクエイシ(今日もまた制服を着ている)は、当然のようにいた。俺が入って来たのにすぐ気付いて、例のインギンブレイな笑みを寄越してくる。さっと目を逸らして、奴の目の届かない遠くの席に座った。机の上に夏休みの宿題を広げた後、ふと顔を上げると、向かい側の席にカクエイシが座っているものだから驚いてしまった。ストーカーめ。カクエイシは無表情で俺にVサインをしてみせた。うわ怖い。慌てて目線を机に戻す。でもカクエイシの視線を感じて堪らなくなって顔を上げると、カクエイシはやっぱり俺を見ていた。こんなふうにしていつもいつも見られていたわけか。マジこえー。ただでさえ集中できないっていうのにこれじゃ宿題なんかできるわけない。諦めて机に突っ伏して寝た。寝顔を見られないように顔を下に向ける。寝てる間になんかされたらどうしよう、という不安はあるにはあったが、あっさり眠りに落ちてしまった。俺って度胸あるなあ。
 目を覚ましたときにはもう昼だった。
「おはよう」
 向かい側でカクエイシが笑ってる。インギンブレイに笑ってる。
「結人が寝てるとこしっかり観察させてもらったよ」
 まーた怖いこと言ってやがるよこいつは。
「暇な奴だね、お前って」
 苦笑するしかなかった。

 現実は現実ゆえに現実はドラマじゃないんです。でもね。ドラマチックなできごとって、あるものよ。ネ。そうでしょう?

「一緒に昼飯食うか?」
 まあね、そんな感じで、ね。誘っちゃった。カクエイシはすごく驚いた顔をして、その後ちょっと照れたように微笑んだ。頬を赤らめるなよ。きもいから。あーあ、始まってしまう。カクエイシにご飯奢ってもらっちゃった(誘ったのは俺の方だというのに)。携帯番号も交換しちゃった。あーあ、始まっちゃった。
「ていうかさ、お前ってなんでいつも制服着てるわけ? 休み中も学校行ってんのか?」
「行ってないよ」
「じゃ、なんでだよ」
「俺には制服がすごく似合うから」
 …絶句。
「学校が休みのときは制服着ちゃいけないって決まりでもあるの?」
「いや、別に、決まりはないけどさあ…」

「あ、そういえば、これだけは言っとくけどね、姉さん紹介してあげたりなんかしないからね!!
 なにも語尾にビックリマーク付けてまで言わなくてもいいじゃないか(しかも二つも)!!

 それからしばらくして、待ち合わせて二人で会った日曜日、昼飯食って映画を見た。これっていわゆるデ(略)
 その日の別れ際、「俺のオススメの本を貸してあげるVvv」なんて、語尾にハートマーク(三つも)付けて英士から渡された数冊の文庫本は、背表紙がピンク色だった。あれが冗談だったのか素だったのか、実は未だに分からないのだ。





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Apr.4,2002

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