「英士、痛いってば」

 世界は、悪意に満ちている。

「どうか〜わ〜か〜って〜そんなことをいっているんじゃない〜の
 どうか〜き〜づい〜て〜こんなものがほしいわけじゃ〜ない〜の」
「なにその歌」
「あゆ」
「あゆ…」
「今、魚を思い浮かべただろう」
「人を馬鹿にして」


 悪意は世界に満ちている!

「いたいいたいいたい!!」

 世界は、

「でもお前は、こういうの、スキなんでしょう?」

 悪意だ!!!

「な、な、何を言うか、違う、お、俺は、お前に、付き合ってやってるだけであって、」
(目を見て反論できないあたりがね、かなりね、説得力ないよね、我ながら。どもってるしね)


 しかしながら僕の人生はバラ色なのである。

「む〜じゅ〜ん〜だら〜けの〜こ〜ん〜な〜わ〜た〜し〜で〜も〜ゆ〜る〜さ〜れま〜すか〜」
「あゆはもういいよ」


 どうして?
 それでも(それゆえ)世界は愛に満ちている。
 ねえどうして?

 あ、悪意。
(目に見えたり、
 見えなかったり、
 あらゆるかたちで、
 わたしを縛る、
 それは、

☆・☆・☆・☆・ロープ・☆・☆・☆・☆
〜愛と悪意のルンルン緊縛あそび、すてき〜

☆・☆・☆・☆

 麻縄とか荒縄とかシュロ縄とか紐とかゴム紐とかビニール紐とかガムテープとかビニールテープとかネクタイとかタオルとかスカーフとか大きめのハンカチとかコードとか、あ、服とかマフラーとか、ああ、縄跳びとか? あはは笑う。あと他にもあった気がするけど。とにかく思い付くあらゆるものを使ってみた。とうの昔にネタは尽きた。…ま、その日その日の気分でね。
 英士は、するとき、いつも、俺の手首を縛る。そうしないと駄目なんだ、と英士は言った。初めてそれを聞いたとき、俺はとても驚いて、じょ、じょうだんだろ…? と、顔を引き攣らせながら訊いた。冗談だろ、と言いつつも、英士だったらそういう異常な性癖を持っていてもおかしくないな、と思ってもいた。でも、ほんとに持っているとは。
「そういうわけだから、縛ってもいいかな」
 そう言ったときの英士は、いやに神妙な表情だった。変態! と罵倒して、冗談じゃねえ! と怒鳴って、お前とはもう終わりだ! と一方的に別れを告げたらどうなるんだろう。英士を一ミリくらいは傷付けることができるのだろうか。そんなことを黙り込んで考えていると、
「手首だけでいいんだ。縛らせてほしいのは、手首だけなんだ。お願い、結人、一生のお願いだよ」
 深刻な口調で英士が言った。不覚にも、胸を締め付けられてしまった。英士との付き合いはかなり長いのだけど、俺は英士があんなふうに懸命に、人にものを頼むのを見たことがない。そして今後もずっと見ることはないような気がした。一生の、お願い、だなんて。
 急に英士が可哀相に思えてきて、肩を抱き寄せて髪の毛をゆっくりと撫でてやりたくなった。でも英士が俺に望んでいるのはそんなことではない。
「分かった。いいよ」
 そう答えると、英士はぱっと明るい表情になって、ああ良かった、と言いながら、鞄の中から、一メートルあるかないかくらいの麻縄を出してきた。用意がいい。俺は大いに呆れて、少しむかついて、なんだか可笑しくて、ちょっとだけ笑ってしまった。それが一番初め。もうあれから一年が経つ。俺は自分でも驚くほどにあっさりと、英士とのその行為を受け入れ、はまり込み、一時はもう本当に、頭がおかしくなってしまったんではないかと思うくらい、それ無しでは生きていけない、なんて思い詰めていたりもした。でもそういう時期も過ぎ、今はもう強烈で新鮮な快感とか、そういう激しいものは無くなって、それが当然のことのようになってしまった。慣れてしまったのだ。慣れるのは良いことでも悪いことでもない。また、良いことでもあり悪いことでもあると言える。
 強く縛られたときは、しばらく赤紫色の跡が手首に残る。でも英士は手加減するのが上手なので、酷い跡を残されたことは一度もない。いつも、薄っすらとだけ、赤い跡が付く。それは一晩眠ると薄くなって、もう一日経つとほぼ見えなくなってしまう。一生消えないような酷い痣がほしいとか、そういうふうに思ったことがある。それはやはり、はまり込んでいた時期だった。その頃俺は、本当に、英士との行為に溺れてしまっていて、今思い出すと寒気がするのだけど、英士の前で何度も泣いた。ちょっともう今となってはあれなので具体的なことには触れたくないのだけど、死ぬほどマゾっぽい台詞を、泣きながら、英士に、…いや、まあ…。
 英士はというと、いつでも冷静だった。俺が異常なくらい興奮していても、逆にそこまで乗り気じゃなくても、そんな俺の様子とは一切関係がなく、英士は冷静だった。俺の手首を縛るときの、伏せられた英士の目が、短く細く多い繊細な睫毛が、神経質そうな白く細長い指先が、ほんの少しの澱みないさえ無い確かな手付きが、美しいロープの結び目が、とても好きだ。でも英士本人というか英士そのものというか、を、好きだと思ったことはなかった。不思議なくらい、なかった。一人でいるとき、ふと思い出されるのは全て、行為中の英士の仕草や表情であって、行為中以外の英士を思い出すことはなかった。


☆・☆・☆・☆

『今から家に来て』
 帰宅途中に英士からメールが入る。こんなふうにして俺は簡単に呼び出され、縛られて、一通りのことをやって、風呂を借りて、何事もなかったようにして自分の家に帰るんだ。どうということはない。
『分かった』
 どうということはない、はずなのに、いつも、送信ボタンを押す瞬間に親指が震える。
 どうして?

「いらっしゃい」
 英士に迎えられて玄関に進むと、甘い匂いが鼻を突いた。
「あ、いい匂い。これ何の匂い? 苺?」
「いや、ピーチ。昨日、母親が、新しい部屋の芳香剤を買って来て、それで」
 きつ過ぎるから嫌いだ、眉を少し顰めて英士がそう付け足した。英士には、甘い匂いは似合わない。
「先、風呂借りるな」
 荷物を置いて、勝手知ったる他所の風呂に向かおうとすると、英士に肩を掴まれた。
「今日は、いい」
「え、風呂入らしてよ。体育あったから汗かいたし」
「そうじゃなくて」
「何?」
「今日は、しない」
「なんで?」
 初めてしたとき以来、二人きりでいて、しなかったことがあっただろうか。英士がこうやって俺を呼び出すときは、それが目当てなはずなのに。
「酷い。まるでそれじゃあ、するためだけに会ってるみたいじゃない」
「えっ、違うのか?」
 素で返したら、英士はまた、酷い、と言った。
 酷い? なにが? 俺が? どうして?

 二人で近くのレンタルビデオ店に行って、ビデオを二本借りた。
 ビデオを物色するのは楽しかったけど、いざ再生すると急に退屈になって、眠気が襲ってきた。
「眠いよ」
「寝たら?」
「膝枕して」
「馬鹿だね、お前って」
 馬鹿、そうか、馬鹿か。英士にそうに言われるのは、悪くない。結局英士は膝枕をしてくれなかった。だから、英士の肩に頭を預けて眠った。
 夢の中で、俺は英士に縛られていた。そうだ。俺は、きっと、とてもとてもがっかりしていて、するために呼び出されたものだと当然のように思っていたのに、当てが外れてしまって、だから、残念でたまらなくて、ビデオなんかどうでもよくて、膝枕もどうでもよくて、俺は、縛られたくてたまらなかったのだ。夢の中で、俺は、とても幸福そうで、それが、何故か強烈に哀しくて、心が少し傷付いた。英士は、夢の中でもやはり冷静だった。 目が覚めると、もうビデオは終わっていた。
「肩が凝ったよ」
 もう頭、除けてね、言いながら英士が俺の頭を手で押した。
「ビデオ、面白かったか?」
「まあ、普通」
「そっか」
「うん」
「暇」
「そう?」
「しようか」
「だから、今日はそういう気分じゃないんだって」
 だったらなんで、呼び出したんだ。ただ会いたかっただけだよ、なんて答えようものならば、俺はお前の頭を、棚の上に置いてある大きな花瓶で殴ってやりたい。
「あいしてるんだ」
 唐突に、英士はそんなことを言った。聞き間違いだろうか。耳が壊れたのかと思う。
「…今、なんと?」
「ほんとは聞こえたんでしょう」
「あいってゆったか?」
「やっぱり聞こえたんじゃない」
「あい!!!」

『あいしてる』の主語と目的語は何?
 愛とかゆうな。不吉なことこの上ない。呪われる。一瞬でも、気を緩めた、その瞬間に、呪い殺されゲームオーバー。あ、愛の呪縛。あ、すてき。

 愛してるよとかお前が一番だよとか君の瞳の輝きはダイヤモンドのようだとかダイヤモンドは永遠の輝きとか私誕生日には永遠の輝きが欲しいわとかサラリーマン金融のご利用は計画的にとか利子の支払いだけでいっぱいいっぱいとか返済前に破局とか結局手元に残ったのは借金だけとか思い余って首吊り自殺とか生まれ変わってもまたおんなじことを繰り返すとか。すてき。愛は地獄だ。無間の。

 あ〜世界の悪意がキラキラと、僕の頭上に降り注いでは。
 降り注いでは降り注ぐ。

 どうして?

 愛とか、愛の言葉とか、ダイヤモンドとか、色々、そうゆうものが、ほしいのではなくて、では何が、ほしいのかと問われると、それは、手首の、痛みとか、そうゆうものでもなくて、ただ、ただ僕は、君の側に居れればそれでいいとか、そうゆうのでもなくて、何が、何がほしいのか分からない。何もほしくないわけではなく、本当は、本当にとてもほしいものがある、それは、酷く曖昧なイメージで、君のせいで出来た僕の手首の痣から溢れ出して、天に昇っていく、そして、虹色の雨となり、僕の上に、君の上に、ついでだから一馬の上にも、降り注ぐんだ、そういう、そういうイメージ、それが、どういうことなのか、それは、どういうことでもないのか、分からない。

 麻縄とか荒縄とかシュロ縄とか紐とかゴム紐とかビニ
 蛇とか…
 蛇は…?
 蛇はどうだろう!

「髪の毛はどうだろう」
 唐突に英士が言った。どういうことだ。愛がどうとか言っていたのに、どうしていつのまに髪の毛の話になっているのだろう。
「は?」
「いつかね、髪の毛をロープにしたいなって」
「えええ」
「長い髪を、たくさん、こう、三つ編みとかにして、解けないように接着剤で固めて、それでロープに」
「こわ…」
「怖いところがいいんだ」
「呪われそうじゃん」
「だから、そこがいいんだ」
「怖い〜」
「どこかで手に入れられないかなあ。ねえ、結人、行き付けの美容院の人にでも頼んでみてよ」
「…嫌過ぎる…」

 俺は、
麻縄とか俺は、俺は割と荒縄とかシュお前とするのはロ縄と好きか紐だけどでも、とかゴム紐とかビいや、あいしている、ニールと言ってもいい。紐とかガ俺はムテープお前との行為をあいしている!とかビニールしかしテープとかネクタ俺は断じてお前のことを好きなわけではない。イとかタオルとか誓っていい。スカーフとか大きめ全然好きじゃない!全然だ。全然だぞ。一ミリもだぞ。どうだ。どうだどうだどうだ。とかだからコード結局とか、あつまり、服何がとかマフラー言いたいのとか、ああ、というと、縄跳びとか?あはは笑う。そうだ、あと他にもあった気がするけど。蛇は、とにかく蛇はどうだろうと、思い付くあらゆるものを使ってみた。そういうことなんだ。とうの昔にネタは尽きた。そういう、…ま、その日その日の気分でね。そういう、

「髪の毛。真っ黒なのがいいね。怨念こもってそうなくらい黒いの」

 どうだろう。

 どうして?

 世界は愛に満ちている。(どこにも蛇はいないのよ。)

 麻縄とか! 荒縄とか! シュロ縄とか!
 怨念のように黒く長い髪を生やした蛇とか…!!

 結局その日、俺達はしなかった。英士は、次は寝るなよ、と言いながら二本目のビデオをセットし、俺は、分かってるって、と答えて、始まって15分で寝た。しつこく英士の肩を借りた。英士の肩は、枕には不向きで、目が覚めると、頭の片方がズキズキした。ああ肩が凝る、と言って英士が首を回した。その様子がおっさん臭くて、俺はそれをからかってやった。

☆・☆・☆・☆

 その次の次の日、練習だったのだけど、着替えのときに、俺は見てしまったのだ。一馬の手首に、赤い跡があるのを。あまりに酷く腫れていたので驚いた。

 …あのやろ。

 “あいしてるんだ”

 あのやろ〜〜〜〜〜(笑)
 笑うしかない。
 いつかは、いつかは俺が英士を縛ってやる。なんて。そう思った瞬間に取り消したくなったね。だってどう考えても、縛られる方が…、


 …蛇は。
 蛇はどこだ。




☆・☆・☆・☆







































☆・☆・☆・☆
≪以下はおまけだ≫

 どうやら英士が二股(…)をかけているらしいというのは、しばらくして一馬も知るところとなった。言っとくけど俺が言ったわけじゃない。一馬がどうやって知ったのかは分からない。英士が口でも滑らしたかな? まあいい。とにかく、知ってしまった一馬は、それはもう怒っていた。怒りの矛先はほぼ英士のみに向いているようで、俺は一馬に責められたりはしなかった。でも一馬はただただ不機嫌で、どう扱えばいいのか分からなくて面倒だった。
 とあるファミレスで。向かい側に座った一馬は絵に描いたようなしかめっ面。会話は特になかった。息苦しい。ついこないだはここで以下のような和やかなやりとりが交わされたというのに。
「すてきステーキ」
「は? いきなり何言ってんの結人」
「なんでそういうメニューが無いんだろう。俺にはそれが分からない」
「俺にはお前の言ってることが分かんねーよ」
「すてきステーキ」
「もーやだ今日お前変だよキモイ!」
「キモイゆうな」
「あ」
「何」
「すてきステッキは?」
「うーん」
「すてきステーキはよくてすてきステッキは駄目なのかよ」
「ステッキって、ほら、それ自体あんまり需要無さそうじゃん」
「需要…。マジシャンとか」
「西洋の紳士とか」
「西洋かぶれの日本の紳士とか」
「あ」
「何」
「英士似合いそうだな」
「ステッキがか」
「うん」
ステッキを持って街を闊歩する英士
街を歩くとき以外もステッキを手放さない英士
ステッキと生活を共にする英士
どこでもいっしょ(ステッキと)
試合中もステッキ
食事中も
就寝中も
夢の中でもステッキ
ステッキと結婚する英士
ステッキとの性生活、ステッキを縛る英士
別のステッキに浮気する英士
ステッキ(妻)にあっさり浮気がばれる英士
ステッキ(妻)・英士・ステッキ(愛人) ←泥沼
ステッキ(愛人)との関係を清算しようとする英士
ステッキ(愛人)に刺される英士
「不吉だ」
「まあな」
「あ、頭痛が」
「一馬は繊細だからなあ」
「あ〜駄目。頭が痛い。結人のせいで…。頭が…。すてきステッカーすてきステップすてきステテコすてきステンドグラスすてきステンレス鍋すてき捨てる神あれば拾う神ありすてきステディーアンドコーすてきステゴザウルスすて
「まあまあ落ち着いて」
「すてきスティック」
「うーんそれはちょっとやばいだろう」
「なんで?」
「なんでと言われても」
「なんで!?」
「分かんないならいい」
「なんで!?!?」
「まあまあ落ち着いて」
 これがついこないだここで交わされた会話。
 で、今はというと、
「まあまあ落ち着いて」
 とりあえず一馬をなだめてみた。
「落ち着いてるよ」
「顔めっちゃ怖いんですけど」
「顔が怖いのは…元からだ。ツリ目で悪かったな」
 取り付く島もないとはまさに。
「泣けばよかろ」
「泣いて人は大人になっていくんだよ、とかゆったら殴る」
「そーでなくて」
「なんだよ」
「お前の泣き顔は、結構イイ」
「はあ?」
「泣いたら俺様が慰めてやろう」
「……」
「黙るなよ」
「う〜〜〜〜ん」
「唸るなよ」
「“カッペ丸出し”」
「決め台詞を言うなよ」
「じゃあどーしろってんだよ」
「うーん、…俺としてみる?」
「…うん!」

 縛りは無しの方向でね。

☆・☆・☆・☆

続きがあるにはありますが



Jan.22,2002
プロローグっぽいところで若菜が歌っているのは、
あゆの「I am...」でーす。




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