それは本当にごく普通の土曜の午後で、
結人は何でもないことを言うみたく
「俺、彼女出来たんだ」
と、コタツの中でハーゲンダッツ(クッキー&クリーム)を食べながら言った。
俺は目の前にいる結人の言葉が理解出来なくて、ハーゲンダッツ(ストロベリー)を食べる手を止めて
「は?」
と、間抜けな声を発した。
それはもう本当にごく普通の土曜の午後で、
まさかそんなこと言われるなんて思ってもみなくて、
だって何の予兆も予告もなく、
突然お終いになってしまうなんて、
そんな。
口の中に広がる甘ったるい苺の味、飲み込むことが出来なかった。
舌と喉がカラカラして、唾液が出てこない。
「一目惚れなんだよ、一目惚れ」
アイスを食べ終わった途端、結人は興奮を隠し切れないように一気に話し始めた。
なんか一週間前だかに音楽室に行く途中廊下でぶつかった一学年上の女の人がどうとかこうとか。
「漫画やドラマみたいな話だろ? でも漫画とかドラマの話じゃなくて俺の身の上に起こったことなんだよな。あるんだな、こういうことって、うん、あるんだよ、こういうことは」
ベラベラと結人は喋る。
俺はただただぼんやりしてて、結人の話、右耳から入って左耳から抜けてく感じ。
なんだろう、結局、結人はその三年の女と付き合うことになったのかな。展開早いなあ。ああでもそういわれてみればここ一週間、結人の様子はおかしかったような気もする。うん、おかしかった。そっか、そういうことがあったからか。そっか。そうなんだ。
「一目見た瞬間ピンときた。遺伝子が引かれ合ったっていうか。ああこれが運命だって思ったね。アレは俺の運命の女だ」
「……すごいこと言うな、お前って」
「すごいことなんだよこれは」
「ごめんナ」
あ、俺、謝られちゃった。
「お前は俺の運命の人じゃなかったみたい」
あ、俺、運命じゃないとか言われちゃった。
涙も出なかった。
運命だと思ったのに。
馬鹿みたくじゃれ合っていっぱいキスして体中触り合ってぎこちないセックスをしてちょっと照れ合ったりしてそういうので相手のこと全部手に入れた気がして自分のことも全部分かってもらえた気がして愛し愛されるって素晴らしいとか本気で思ったりした。結人は気まぐれでたまに酷く素っ気無かったり乱暴だったりしたけどでもなんだかんだいっても俺のこと特別に好きでいてくれてるって自信あったのに。傲慢にもそんなふうに思わずにはいられないほど息苦しくて潰れちゃうくらい密接した距離で関わり合ってた時期があった、確かにあったんだ。『好きなんだ』と言ったら『アホめ』と返された。でも『アホめ』と言ったときの結人の顔が綺麗で可愛くて優しくてもう何があってもずっとこの人について行こうと思ったのに、運命だと思ったのに、この恋が全てだとこれが最初で最後だと思い詰めたりして、
なのに。
涙も出ない。
「一瞬でも、」
「ん?」
「一瞬でも俺のこと本気で好きだったことあった?」
我ながら女々しい台詞。
「あったよ」
「じゃ、いいや」
「よし、今日はなんかおごってやろう!」
どっかに晩飯食いに行くか、と明るい調子で結人が続ける。
俺はその言葉を遮るようにきっぱりとした口調で一言、
「いらない」
いらない。
もう何も。
一切何も、
何も結人から貰いたくない。
今後、二度と、もう、絶対。
友達には戻れない気がした。まだ好きだとか思ってる。まだ恋人同士に戻れるんじゃないかとか思ってる。まだキスしたいとか思ってる。納得いかない。恨んでる。裏切り者。許せない。苦しい。新しい彼女が明日あたりに不慮の事故とかで死んじゃえばいいのに。死んじゃえ。結人なんか死んじゃえ。死んじゃえ、俺なんか。酷い、酷い気持ちだ。気持ち悪い。友達には戻れない。もう会えない。会いたくない。顔も見たくない。嘘。会いたい。顔見たい。声聞きたい。触りたい。せめて友達でいたい。諦めきれない。全てが何もかもが諦めきれない。せめて友達で。だからこそもう友達には戻れない気がした。もう二度と。
「ちぇっ、せっかく人が珍しくおごってやろうって言ってんのにな〜」
拗ねたような表情になる結人。
あ、その顔可愛い、その顔好き、
そう思った。
そんなこと思う自分が恥ずかしくて苦しくて、
何もかも好きで、もう、とても凄く酷く好き目眩がするほど、茶色い髪陽に透けると余計茶色くて明るい信じられないくらい明るい色になって眩しくて目も当てられないほどであとそう太い眉野暮ったくてからかったこともあるけど(からかったら殴られたけど)すごく気に入ってて大きな目玉もとても好きよく喋ってよく食べるよく動く口も好き口から出てくる声が好き言葉が好きその口で人の心を傷付けたり甘ったるくしたりしてさんざん弄んで心だけじゃなくて体も、
ってウワ何を言ってんだ俺恥ずかしいアホか俺は、
でも好きで、好きで好きでアホみたく好きだアホ、
こんな好きなのに捨てられてしまった。
いとも簡単に切り捨てられてしまった。
『お前は俺の運命じゃないよ』
それでおしまい何もかもおしまい。
息の根止められたサヨウナラ。
こんな好きなのに、まだ好きなのに、息の根止まってんのに好き。何が悪かったんだろう。ああそうか運が悪かった、運命が悪い、そうだ、そういうことなんだ、クソ。
・・・
何もかもが終わったように感じた土曜の午後、
何もかもが終わったように感じたのに日曜は来て、
月曜は来る、
何事も無かったかのように。
夕方、真っ暗な午後六時、
だから冬は嫌いだ、
夏の六時はまだ明るい、
明るい夕方が好き。
吐く息が白い。
暗闇に白い模様、
面白くてむやみに息を吐き出した。
隣りを歩く英士は、俺のそんな様子を見てちょっと笑ってた。笑ってんなよ。
「さむいなあ」
「ニ月だしね」
そんな淡々と答えられても。話が続かないじゃん。
「もっとあったかいとこに生まれたかったな」
「九州とか? 沖縄とか?」
「や、もっとあったかいとこ。年中夏みたいなそういうとこ。赤道直下とか」
「今すぐ行きたい、あったかいとこ、どっか、すごい遠く、信じられないくらいあったかいとこ、ずっと遠くの、行きたい、なんも持たないで、この身一つで、今すぐ」
「一馬、」
「どうしよう、英士、俺、」
何も持たずにこの身一つで今すぐにいざ南進この世で最もあたたかい場所へ…!
今すぐ、今すぐ、今すぐに、もうここには居たくない、居られない、こんな寒いとこ、居たくないんだ、あの人の匂いがする、苦しい、もうここには居られない、嫌、嫌、嫌、もうこの土地、運命は死んでしまった、死んでしまったんだ、凍え死んじゃった。
なんか疲れて、色々と急に疲れて、何もかも、とても。何もかもが諦めきれないからこそ何もかもを諦めてしまうしかない。救われない。救われたくなんかない。何にも救いを求めたくない。諦めたい。救いを求める必要なんかない。あたたかいところへ行きたい。全ては寒さのせい。全ては気温が低いせい。ほんとは救いを求めてるんだ。あらゆる救済はまだ見ぬ遥か遠くの暖かき地に眠る。行かなくちゃ。這ってでもそこへ行かなくちゃ。救われたい。救われたくないはずがない。救われないはずがない。
「俺は一人でも大丈夫。好きな人に好きになってもらえなくても、誰にも好きになってもらえなくても、誰も好きにならなくても、大丈夫なんだ。俺、サッカーあるし、だから大丈夫、なんてことない、こんなこと、なんてことない。何も無かった、悲しむようなことは何も」
でも寒くて、冷たくて、だからもう、
もう、
「もう絶対に誰のことも好きになったりしない」
運命は二度と無い。
ここにいる限り二度と。
生き返らない。
土の下。
「一緒に行くよ。一馬があたたかいところに行くっていうんなら、俺もそこへ行く」
「来なくていい。一人で行くから」
「俺も行く。勝手について行くからほっといて。
それが俺の運命なんだ」
息苦しい、とても息苦しい、運命なんて言葉はとても、息苦しくて、
「勝手にしろ」
どこにも行かなくてもそのうち春は来るからどこにも行く必要ないじゃないかと言わずに俺も一緒にあたたかいところへ行くよと言ってくれてありがとう、ありがたくて苦しかったよ、苦しかった、とても、
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