私はあなたに捨てられるのが恐ろしい。私はあなたを捨ててしまいたい。
私と寝れる? 私と死ねる?
不倶戴天の恋人
私を愛せる? 私を殺せる?
あんたなんかあんたなんかぐちゃぐちゃに叩き潰して粉々に磨り潰して鼻をかんだ後のティッシュペーパーにくるんで明日学校に行くついでにコンビニのゴミ箱にポイと捨ててやるんだから。せいせいするわ。
私はあなたとあらゆることを共にしたい。愛し合ったり抱き合ったり憎み合ったり殺し合ったりさんざんもがいた挙句無理心中を図って失敗して死ねなくて情けなくてでも自分の情けなさを受け入れることが出来なくて相手のせいにして罪を押し付け合って罵り合って性懲りもなくまた傷付け合ってケンカをするのにうんざりしたら誤魔化しとしか思えないような白々しい愛の台詞を囁き合って一緒のベッドに入って手を繋いで眠って翌朝には罵倒の言葉を投げ合ってそんなふうに過ちを繰り返しながらその度に後悔しながら死にそうになりながら生きていきたい。
「あんたまだ宿題出してないんだって?」 二時間目と三時間目の間の休み時間。廊下を歩いていると、聞き慣れた声に呼び止められた。 今日会って第一声がそれなの? 麻衣子は苛立ちを露にした表情で振り返った。 「もうすぐ10月よ。呆れるわ!」 声の主は有希。麻衣子が言い返す前にまた言葉を紡ぐ。大げさに呆れてみせる有希の表情はどこか楽しげだった。 「うるさいわね!」 麻衣子が怒鳴ると、有希は耳を塞いで眉を顰めた。 「うるさいのはあんたの方でしょう。廊下で大声出さないでよ、恥ずかしい」 人を馬鹿にしたようなその言い方に頭に血が上るのを感じたが、言葉で有希に敵うはずがない。ここは我慢した方が利口だと思い、麻衣子は口を噤んだ。 「何も言い返さないのね? 珍しい」 「……」 「学習能力あるじゃない」 そう言って有希は口元だけで微笑んでみせた。 なんて傲慢な女だろう。なんて憎らしいんだろう。それこそ世界で一番憎らしい。こんな女は死んでしまえばいい。そう思いながらも有希のその傲った表情を美しいと感じられずにはいられない自分が恨めしい。 両手に持った授業の道具を胸に抱き締めることで気持ちを押さえ付けるようにし、麻衣子は有希に背を向けた。 「遅れるからもう行くわ。次の授業は音楽なの」 「手に持ったリコーダーを見れば次が音楽だってことぐらい分かるわよ」 何も言い返してこない麻衣子が珍しいのか、有希はいやに揚げ足を取ろうとする。そんな有希に構わず麻衣子は早足で歩いた。有希は少し小走りになりながら麻衣子について行く。 「ついて来ないで」 有希の方を少しも見ないで麻衣子が言った。 「夏休み開けのテストの結果、酷かったでしょうね」 相手にしないでいようと決めていたが思わずかっとなった。麻衣子の我慢の臨界点は低いのだ。 「もういい加減にしてよ! ほっといて! そんなことあんたには関係ないでしょう!」 他の生徒が振り返るほどに大きな声だった。怒鳴ってしまってから麻衣子ははっとする。 また笑われる、そう思った。ところが、 「そうね。関係ないわ」 返って来たのは恐ろしいほどに冷淡なその台詞のみ。有希は少しも笑っておらず、かといって怒っているようでも馬鹿にしているようでもなかった。ただただ無表情だった。 「じゃあね」 くるりと背を向け、有希は自分のクラスへと戻って行く。 ちょっと待ってよ!! 声を上げて、引き止めてしまいそうになった。大声で名前を呼び、腕を掴み、行かないでと切羽詰まった声で懇願し、それでも行こうとするなら跪いて足にしがみ付いて泣き喚く。たとえどんな罵倒を浴びせられも、唾を吐き掛けられても、髪を掴まれて引き剥がされそうになっても、もう片方の足で体を思いきり蹴り上げられても、決して離さない、行かせない。 湧き上がってくる衝動を唇を噛み締めることで堪えた。 麻衣子はいつまでも有希の後ろ姿を見ていた。有希は一度も振り返らなかった。有希の姿が視界から消えてしまっても、麻衣子はその場に立ち竦んでいた。チャイムが鳴った。 放課後、教室を出た麻衣子は一瞬心臓が止まるほどに驚いた。 「なんであんたがここにいるの!?」 「早く終わったから待ってたのよ。悪い?」 そう言って有希は人を食ったような微笑みを浮かべる。 ああ、いつもの小島だ。麻衣子は有希の様子に心底ほっとした。有希の傲慢な態度。それは自分だけに向けられるものだ。そのことがとても嬉しい。そのことを嬉しがっている自分がとても気味悪い。 「別に、悪くはないわ」 教室の前で有希が自分を待っていた。それがどれほど嬉しいことか。有希に振り回されていることは分かっている。それでも今自分は確かに死ぬほど浮かれている。けれど相手にはそのことを悟られたくない。 懸命に素っ気無さを装う麻衣子に有希は笑って言った。 「部活、早く行きましょ」 さっさと廊下を歩いて行く有希に遅れないよう、けれど横には並ばず少し後ろをついて行く。真っ直ぐに伸びた背筋。華奢だけれどしなやかな体。なんてきれいに歩くんだろう。今夜の夢に出てきそうなほどに鮮やかな後ろ姿だった。有希の容姿は目立つ。他の生徒が振り向いて有希を見る。 「皆があんたを見てるわ」 麻衣子の呟きに、有希はゆっくり振り返った。 「あら? 皆が見てるのは私じゃなくて上條麻衣子お嬢様なんじゃなくって?」 麻衣子の口調を真似て、からかうように有希が言う。 「…馬鹿にしないでよ」 反論の言葉は、麻衣子自身驚くほどに弱々しい声だった。訳の分からない悲しみが、麻衣子の胸に広がる。 「馬鹿になんかしてないわ。だってあんたは可愛いもの」 ふと有希が手を伸ばし、麻衣子の長い髪にそっと触れた。 麻衣子は思わずビクリとする。心身が強張る。 (ああ、私は、この女のものになりたい) 麻衣子が悦びに浸る間もなく有希はすぐに手を引いた。 「さあぐずぐずしてないで、早く行くわよ」 階段を下りる途中、麻衣子は先ほどのことを蒸し返す。 「可愛いなんて、ほんとはそんなこと、少しも思ってないくせに」 「思ってるわ。あんたは可愛いわ。でもまあホームズには負けるかもね」 「…ホームズ?」 「あら、知らなかったっけ? 水野のところの犬よ」 「水野と仲がいいのね」 「なんでそうなるの? 嫉妬? 馬鹿みたい」 有希は鼻で笑い、麻衣子は俯いた。 麻衣子の傷付いた様子に満足した有希は、さっきと打って変わって甘ったるい声を出す。 「嫉妬深い女は嫌いじゃないわ」 「嫉妬深くない女なんているの?」 負けずに切り返した麻衣子に有希は少しだけ驚き、そしていつものように麻衣子だけに向ける傲慢な微笑みを浮かべ、 「あんたってほんと生意気ね」 込められるだけの愛しさを込めてからかうように罵る。 「生意気なのはどっちよ。あんたには負けるわ」 |
Sep.29,2001
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