熱。
夏の終わりのとある日の話。 いつもは朝の早いマイクロトフが今日はいつになっても起きて来ない。 事前に何の連絡もないのに朝の鍛錬に顔を出さない彼を心配して、1人の青騎士がマイクロトフの部屋のドアをノックする。 トントン。 青騎士は少し遠慮気味に扉をノックする。 何の反応もない。 今度はさっきよりはもっと強く扉を叩いてみた。 すると、扉の向こう側から、こちら側に人が近付いてくるような気配と物音がかすかにした。 カチャリ。 「……すまない……。何の連絡もなく練習に出なくて……。」 扉を開いてすぐに、マイクロトフは青騎士に謝罪の言葉を述べる。 マイクロトフの頬は赤みを湛えていて、誰が見ても彼が熱気を帯びていることが明らかなほどだった。 「マ・マイクロトフ団長!お体の調子が悪かったのですね!」 マイクロトフの具合の悪さを感じ取った青騎士は、驚きと心配を含んだような声で言う。 「いや。大したことはないのだが……。昨晩から少し頭痛がしてな…。一晩眠ったら直ると思っていたのだが…朝起きようとしても起きることが出来ないくらい体がだるくて……。何だか熱もあるようで……。 情けないことだ。自分の健康管理が成っていないせいだ。しかしゆっくりしていたら今日中に直る。すまないな、迷惑をかけて。」 マイクロトフは具合が悪いにもかかわらず、はっきりとした口調で言葉を発する。 このような誠実さと心の強さ・清さを感じる姿勢と物言いは、この人の素晴らしいところの一つだ、と青騎士は今更ながら改めて感じた。 下の者にも潔く謝罪することが出来る素直な心。自分に厳しくある姿勢。人の信頼を受けるに相応しい人柄である。 「そんな!迷惑だなんて!どうかゆっくりなさって下さい。 団長が健康管理がなっていないだんてとんでもないです。時期がら体を壊しやすいですから。 体調が非常に心配です。どうか今すぐにでもホウアン様に診てもらって下さい。」 「いや、本当に平気だ。寝ていれば直る。」 「ですが……。」 「大丈夫だ。心配かけてすまないな。朝練頑張ってくれ。」 マイクロトフは青騎士をなだめるように口元に少しだけ微笑みを湛える。 「……分かりました。どうか本当に無理しないで下さいね!では。」 それから少し時間が経って…… ホウアンに診てもらうつもりは全くなかったマイクロトフだったが、彼の体調を知ったカミューがそれを許すはずがない。 「いや。大丈夫なんだ。本当に。ホウアン殿の手を煩わせるほどのものではない。ただの熱だ。今日一日ゆっくり寝てたら直る。」 「そんな赤い顔して何が大丈夫なんだか。説得力ないなあ。行くぞ。」 毅然とした口調で言うマイクロトフの左頬にそっと右手を当てて、カミューはため息をつく。 「行くぞって…お前!大丈夫だって言ってるのに!」 マイクロトフの言い分に全く耳を貸さず、カミューは彼の腕を引っ張ってホウアンのところに向おうとする。 強引なカミューの態度に、結局マイクロトフは折れることになった。 「風邪のひき始めですね。季節の変わり目は体を壊しやすいですから。体を温かくしてしばらくゆっくりと休養して下さい。 すぐによくなりますよ。3日分ほど薬を出しておきますね。」 ホウアン医師はそう言った。 「な。診てもらって良かっただろ。薬も貰ったし。」 部屋に帰る途中でカミューがマイクロトフに話しかける。 「診てもらうほどのものでもなかったのに。」 「マイク、俺はお前を心配して言ってるんだよ?そういう言い方はないだろう。」 「……分かっている。………すまない。」 マイクロトフは先ほどの自分の言葉に反省してそう言う。俯きがちに。 彼は、カミューが風邪気味の自分を心配してくれていることなんて痛いほどに承知していた。 しかし、カミューに対してはいまいち素直になれないことがあり、彼の厚意を邪険にしてしまうような態度を取ってしまうことがたまにあるのだ。 素直になれないのは…単純に照れのせいであるのだが、そんなことをマイクロトフがカミューに言えようはずもない。 しかし言葉にしなくとも、カミューはマイクロトフのそういう不器用さを理解し、同時に好意を抱いていた。 「お前のそういうところが好きだよ。」 カミューは微笑して、まだ俯いたままのマイクロトフの頭を少しだけ小突いた。 「カミュー!」 カミューに小突かれた部分を押さえてマイクロトフが声を上げる。 カミューはその様子を見て、口元に湛えていたかすかな微笑みをもっと深いものにした。 それからそれぞれの部屋に戻る。 『ゆっくりと眠るんだよ。』というカミューの別れ際の言葉に従って、マイクロトフは部屋に入るなりベッドに横になった。 どれくらい眠っただろうか、 マイクロトフは重い瞼をゆっくりと開けた。 外は少しだけ日が暮れかかっている。空の色でそのことに気が付く。 (……随分と長い間眠っていたのだな……。) 「起きたんだね。よく寝てたなあ、本当に。体調はどう?少しは良くなった?」 聞きなれ過ぎた声。口調。そして見慣れたその姿。 目を覚ましてすぐのマイクロトフの五感を刺激したのはカミューの声と姿。 カミューはベッドの脇に腰掛けている。 「カミュー……お前…いつからそこに……」 マイクロトフは驚いていた。 「さっきだよ。ついさっき。安心して。ずーーっと居たわけじゃないから。」 カミューは冗談ぽく微笑む。 「………。」 マイクトフは少し戸惑いがちにため息を吐いた。 「で、食事をしなきゃね。朝から何も口にしていないだろう。」 「ああ…そういえば…。」 「なるべく口にしやすくて胃に優しいようなものを頼んで作ってもらったから。」 カミューはそう言って腰を上げ、テーブルの上に置いているトレイをベッドのところまで運んで来る。 「すまないな……。ありがとう。」 「いいえ。お礼ならハイ・ヨー殿に。 …食べれそう?」 「ああ。」 「じゃ、何から食べようか?」 カミューはスプーンを持ってトレイの上の料理に目を移す。 「・・…カミュー?…何からって……。」 スプーンを自分に渡そうとしないカミューの態度を、マイクロトフは不振に思う。 「食べさせてあげるよ。」 不振な目つきでカミューを見ているマイクロトフに、カミューはあっさりと言った。 「な!なんだって!そんなことしなくていい!自分で食べれる!」 マイクロトフは真っ赤になってカミューに抗議する。 「…そんな大声出すことないだろ。病人は病人らしくしましょう。 はいアーン。口開けて・口。」 カミューはスプーンにスープをすくってマイクロトフの口に近付ける。 「自分で食べれるって言ってるだろ!」 「……なあ、マイクロトフ。 今日くらいは俺に甘えてほしいものだな。いつもお前は、一人で頑張り過ぎるからね。 体調を崩したのだって時期がらのせいだけでもないだろう。無理してたんじゃないか? 病気になった時くらいは、いいじゃないか、こういうのも。 …もっと甘えてもらいたいよ。」 口元に微笑みを浮かべてはいるものの真剣な気持ちを湛えたカミューの眼に捕らえられて、マイクロトフはどきりとした。 そうだ…本当は、自分だって彼に甘えてみたい、そんな気持ちがそっとマイクロトフの頭を過ぎる。 同時に、そんな自分の思いを恥ずかしくて堪えられないという思いもあった。 けれど、今日、自分は熱を出している。今日くらいは許されるかもしれない。 今日くらいは、あっさり甘えてしまってもいいのかもしれない。カミューに。 「冷めるよ?」 スプーンを持ったまま言うカミューの言葉に答えるように、マイクロトフはゆっくりと口を開く。 カミューはマイクロトフの口に慎重にスプーンを運んだ。 マイクロトフは口元に訪れた食物を口に含み、充分に味わってから飲み込む。 それはトレイの上の料理が全て綺麗に無くなるまで何度も繰り返された。 会話はほとんど無かった。 静謐で神聖な、まるで儀式のような、そんな食事だった。 「ごちそうさま。」 食事の後、マイクロトフは丁寧に両手を合わせる。 カミューがそっと微笑むと、マイクロトフは少し頬を赤らめた。 その後、ホウアンに出してもらった薬を飲み、しばらくの間、他愛のない会話をする。 「この分だと明日の朝の練習には出れそうだ。」 ふとマイクロトフは言う。 「もう一日くらい休めばいいのに。」 「いや。もう本当に大丈夫だ。今はすごく体の調子が良い。」 「そう?それは良かった。熱も大分下がったみたいだね。」 そう言ってカミューは両手でマイクロトフの両頬をそっと覆う。 カミューの手はひんやりとしていて、まだ完全に熱の冷め切っていないマイクロトフにとっては心地よく感じた。 けれど、しばらくすると、触れられた部分から徐々に熱が生まれて来るのを感じ始める。 「…まだ、少し熱があるかな…」 頬に触れた手はそのままに、カミューは今度は自分の額をマイクロトフの額に当てる。 マイクロトフは、抗議をする気にはならず、カミューに倣ってそっと瞳を閉じた。 触れ合う額と額。 ただ胸がじんとした。 睫毛同士が触れ合うほどの、その密接した距離感を、目を閉じていても痛いほどに感じてしまう。 カミューの吐き出す息が自分の唇にかかるのを感じて、マイクロトフは更に胸を痛めた。 カミューは少しだけ目を開けて、ぎゅっと目を閉じているマイクロトフの表情を盗み見る。 「……どきどきして、心臓が痛いだろう?」 密接した距離を保ったまま、カミューはマイクロトフの胸を拳でトンと軽く叩く。 「……もう離れろ。風邪がうつる。」 「会話になってないよ?どうして『どきどきするよ』とか言えないんだ?可愛くないなあ。」 「うるさい。」 「嘘だよ。可愛いよ。」 「うるさい。」 「………お前って……本当に…」 「・・……本当に…何だ?」 「可愛いね。」 「〜〜〜うるさい上にしつこい!」 そんなふうに夜は過ぎて、朝が来る。 カミューが目を覚ました時、マイクロトフはとうに朝の鍛錬に出て行った後の時刻だった。 (本当に朝練に行ったのか…。回復の早い奴だなあ…。) カミューは少し驚き、少し呆れ、少し心配もし、 最後には何だか嬉しい気分になって一人で少し微笑んだ。 そして、ふと思い出したように自分の額に手を当て、昨夜の彼の温度に思いを馳せた。 終わり。 |
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