側に居られればそれでいい、本気でそう思っていた頃もあった。






れる。



悪い病気のようだった。
彼を目で追う。
側に居ても目で追いかけた。
彼に視線を移していなくても、俺の神経は彼を見つめていた。
見つめるために追いかけて、追いかけるために見つめた。

それで?それでどうする?

彼が微笑むと幸せだ。彼の微笑む顔が見たくて。

それで?それだけで本当に満足?

それだけで満足だ。本当に。

本当に?

本当だ。

本当の本当に?

本当の本当だ。

「嘘もつきとおせば真実になる」なんて言ったのは誰だろう。
一度嘘をついたなら、その嘘のためにいくつもの嘘を重ねなくてはいけない。
嘘をつきとおそうとすればするほど嘘は膨らみ、その色の濃さを増し、嘘を極めゆく。
極まった嘘は真実に肉薄しているのか。それともやはり嘘は嘘でしかあり得ないのか。


「側に居られればそれでいい」なんて思っていたのはどれほど前の話だろう。
「側に居られればそれでいい」なんて振りをいつまで続けなくてはいけないんだろう。

彼と肉体的につながり合えたら、と心から思う。俺と彼とは精神的につながり合えているかどうかも不確かであるというのに。けれど、自分の中の動物的な欲望を嫌悪する気持ちはあまり無かった。むしろそういう欲望を肯定することが出来た。「好きなのだから当然だ」とか「男なのだから当然だ」とかそういう理由で自分の欲望を肯定している訳ではない。ただ俺は本当に彼を想っていて、彼の精神を愛し憧れていて、それと全く同じように、肉体にも憧れを感じている。そういう主観的な想いに由来する欲望であるので、純粋で一途なものに思えたのだ。好きだから、男だから、ではない。俺だから、相手が彼であるから、なのだ。

自分の欲望は純粋なものだ。けれど、彼にそれを打ち明ける勇気は全く無かった。彼はそういうことに関しておそろしく疎いのだ。とんでもなく偏った考えを持っているかもしれない。俺が欲望を打ち明けた時の彼の反応を思うとどうしようもなかった。もしも、汚いものを見るような目で見られたら?軽蔑されたら?その先無視されてしまったら?怖がられたら?気持ち悪がられたら?…そういうことになったら俺は立ち直れないかもしれない。自分の中で純粋なものとして位置付けられていた欲望も、醜悪なものに思えてしまうだろう。彼にきっぱりと否定されれば。俺はそれが恐ろしい。傷つくのは嫌だ。

結局俺は、彼を困らせるのが辛いのではなく、自分が傷つくのが嫌だから、欲望を打ち明けないのだ。

欲望は募り募った。独りで抱え込めば抱え込むほど。消化されない欲望は自家中毒を起こす。心身ともに満たされない欲求で不振である。どうしようもない。彼とのことを想像しながら自分でしても全然だめだ。余計思いが募る。実際だったらどんな感覚を呼び起こすのか、それを考えずにはいられない。


こんなことばかり考えていては駄目になりそうだな、というか本当に自分で自分が嫌になってしまいそうだ。気分転換に城の回りを散歩でもするか。


 ゆったりとした気持ちで城の周りを歩いた。こうしていると気分が落ち着いてくるように思う。やはり部屋の中で閉じこもっているのは、体だけではなく心にも悪いな、なんてことを考えたりした。

マイクロトフとばったり出会えたら素敵だな、とふと思う。いや、散歩しようなどと思いついた時から、それが目当てだったのかもしれない。その気持ちに今気づいただけの話で。彼は数時間前から部屋を空けているようだった。偶然、城外などで出会えて2人で散歩が出来たら本当に楽しいだろう。想像すると微笑みがこぼれそうになる。その後、そんな自分の思いに苦笑がこぼれた。

 何が偶然出会えたら、だろう。俺は図書館まで彼を探しに行った。何とかして彼に会おうとしている。しかし図書館には彼の姿は無かった。

もう、部屋に戻ったのだろうか、そんな考えが頭を過ぎり、来た道を引き返す。

「顔が見たい」と思い始めるともうだめだ。止められない。是が非でも彼に会いたくなる。そういう子供じみたわがままな気持ちは無邪気でいいな、と我ながら思う。情欲なんてものとはまた別のところにある恋心だ。ただ顔が見たい、本当にそれだけだった。こういう幼くてわがままな気持ちだけで彼を愛せたらいいのに。だったら、いろいろとうっとうしい悩みを抱えることなんてないのに。


トントントン。

彼の部屋をノックする。ノックの音は3回で。しばらく間を置いてもう一度3回。その後にノブを回す。

これは柔らかいルールだ。ルールという言い方は語弊があるな。単に俺達の間でそれとなく培われた決りごとというか、むしろ合図とでもいうか。

3度のノックを2回しても返事がないのでドアノブを回す。
ドアは静かな音を立てて簡単に開いた。

「マイクロトフ?」彼の名を呼びながら、部屋の中へと足を踏み入れる。
留守かな、という俺の意図に反して彼は居た。
机の前の椅子に腰掛たまま眠っている。机上には一冊の本が開いたままになっている。
本を読んでいる途中で眠ってしまったのだな、と思うと微笑みがこぼれた。

机に突っ伏す姿勢にはなっていなかった。彼は、椅子の背もたれに自分の背中を思い切り預ける姿勢で眠っていたので、顔は上向き加減になっていた。無邪気な寝顔を可愛いと思う。こんな彼を見ることができてラッキーだな、などと考えた。それと同時に胸が締め付けられるような痛みを感じる。

こんな罪の無い表情をして、鍵も掛けずに眠って。こんな寝顔を俺にさらして。
心も体も疼いた。こういう気持ちを彼は全然分かってないだろうな。

触れることどころか見つめることさえ罪になるような清らかな寝顔。
彼の頬にそっと手を伸ばす。
自分の心臓が、潰れるほどに高鳴るのを体中で感じた。
指でゆっくりと彼の顔の輪郭をなぞる。
指にすんなりと馴染みゆく、さらりとした白めの肌。
ほんの少しだけ躊躇った後、人差し指を唇へと伸ばした。
少し表面の渇いた、柔らかい唇の感触にうっとりとする。
指先から、堪え難いような心地良さが、脳に、体の芯に、伝わってくる。

彼の唇に指で触れる、ただそれだけの行為のせいで、頭の中では体を融かすような妄想が巡り巡った。

彼と抱き合ったことなどない。だから、彼と抱き合うことで得られる感覚など分かるはずなど無い。けれど、頭の中で、その感覚は、焼きつくような鮮烈さで俺を飲み込んでいく。

何度も抱き合った。何度も犯した。
何度も何度も何度も。
犯しているのに犯されているような錯覚さえ覚えた。


ああ、彼に溺れていく。
独りで勝手に溺れていく。
暗い、海の、真ん中で。


「ん……」
彼が小さく声を上げる。
俺は驚いて、とっさに彼の唇に触れていた手を引っ込めた。

「……カミュー……?」
彼は、俺の姿に気づいた。まだ寝起きの、うつろな瞳。
「…不用心だね、鍵も閉めずに。」
「…別に平気だろう。」
彼の顔はもうすっきりとしていた。相変わらず寝起きのいいことだ。
「平気じゃないだろう。」
「平気だ。」
「だってもうすでに侵入者有りじゃないか。」
「侵入者とはカミューのことか?」彼はそう言うと、少し笑った。
ああ、無邪気な笑顔だなあ。人の気も知らないで。
「そうだよ。」
俺はそう言った後、彼の頬に手を伸ばす。

「キスをしてもいいかな?」
彼の目の奥を見つめて言う。
「…!い、いきなり何を…」
とたんに彼の顔は赤くなる。頬の熱が手に伝わり、俺の体も熱くなった。
いいだろう?という気持ちを込めて彼の目を見つめたまま少しだけ微笑むと、彼は戸惑うような素振りを見せながらもゆっくりとその黒い瞳を閉じた。

彼の顔に自分の顔を近づける。
彼の黒過ぎるほどに黒いまつげ。
彼のまつげが震えていたので、俺の胸も震えた。
目を開けたまま唇を合わせた。
限りなく幸福で、限りなく不幸な気持ちになった。


どうしてキスを許すんだろう。いっそのこと、強く拒絶してくれればいいのに。気味が悪いと言って突き放してくれればいいのに。とことん俺を罵倒して嘲ってくれればいいのに。もう視線すら合わせてくれなければいいのに。踏みにじって、踏みにじって、もう再生できないほどに俺を否定すればいい。

そうすれば諦めもつく。……本当に?諦められる?分からない。できないかもしれない。...なんてしつこいんだろう。けれどその気がないのに望みを持たせるような態度を取るからいけないのだ。残酷な話だなあ。同情なんて与えないでほしいよ。


唇を離して、椅子に座ったままの彼を抱きしめた。

「カミュー?」

もう何度もお前は頭の中で俺に抱かれているんだよ。
ああ、口に出すのがおぞまし過ぎて、それゆえに口に出したくなるそのセリフ。
破滅的な感情に心が揺さぶられる。
口にしてはいけないことというのはどうしてこんなにも口にしたくなるんだろう。


腕の中にいる彼を引き寄せてもう一度口付ける。
自分の口を塞いでおかないと、何を言い出してしまうか分かったものではないし。


静かに静かに口付けた。
重苦しいほどに熱を持った劣情を胸に秘めて。


この続きを、今晩の夢に見るだろう。
ゆめみるように甘いゆめをみる。

ただひたすら彼に溺れている。
彼に溺れていく。
彼に溺れつづける。
側に居るときも、居ないときも、現実の世界でも、想像の世界でも。

どこまでいつまで溺れればいい?
どうやって陸に上がろう。
側にいられればそれでいい、本気でそう思っていた頃に、戻れるものなら戻りたい。



長いキスに、息が苦しくなって、それでもキスをやめなかった。

今晩は、この続きを夢に見るだろう。

もう一度、確信的にそう思った。

終わり。

 




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