囁きは波音に融け込んで






夜中に突然目が覚めた。

『海が見たい。』

漠然とそう思った。

 

暗くて黒い海を見に行こう。

あの人と。

 

だから、俺は隣りで眠る彼を揺り起こした。

「マイクロトフ、起きて。」

穏やかな口調ではありながらも、布団を剥いで乱暴に肩を揺さぶる。

「………ん、カミュー……何なんだ……」

彼は眠そうな目をこすりながら抗議の色のこもった声を上げる。

「海を見に行こう。」

「……は?何を、いきなり…」

「海を見に行きたいんだ。」

俺は彼の腕を強引に引っ張った。

「さ、立って。

海を見たいと思うときに見ておかないともったいない。」

「……俺は、別に見たくないが……」

そんなことを言いながらも彼は立ち上がる。

 

2人とも夜着のまま海へ向かった。

 

潮風の臭いが鼻につく。

潮風に彼の夜着が軽くはためいて、少しの目眩を覚えた。

 

海は暗くて黒かった。

 

その情景があまりにも頭の中で思い描いていたものと重なり過ぎるので不気味に思えた。

 

「夜の海もなかなかいいものだな。」

彼がそういうので、俺は調子に乗って、返答する。

「ね、来て良かっただろう?

夜の海の良さを知れたのも俺のおかげだよ。」

「ああ。」

あきれたような言葉が帰って来るかと思ったのだが、彼は素直に肯定の言葉を述べただけだった。

彼のそういうところが好きだと思った。

静かにうなづく仕草が好きだ。『ああ』と言う時の声のトーンが好きだ。

同時に、彼のそういうところが嫌いだった。

時に素直さは凶器になった。誰かを、俺を、傷つけた。

これからも素知らぬ振りで、俺を傷つけ続けるんだろう。

そう思うと、腹が立って、

彼など、海の底に沈んでしまえばいいのに、と思った。

 

「マイクロトフ。」

ふいに彼の名を呼んだ。

「何だ。」

俺の顔を見る彼。

「おいで。」

手招きの仕草をする。

すると彼は素直に俺に近寄って来て。

 

彼の腕を力任せに引き寄せて、彼の顔に自分の顔を接近させる。

彼は反射的に目を閉じて、わずかに身を引いた。

 

キスをされる、と、思っているのだろうか。

 

間近で、目を閉じて少し震えている彼を冷静な気持ちで眺めた。

俺は薄く笑って、彼の腕を放し、少し突き離すように押し返した。

その後、彼に背を向けて、一人で砂浜を歩き出す。

 

彼が慌てて自分の後を追いかけて来るのが分かって、

優越感と罪悪感と彼をいとおしむ気持ちで胸が潰れそうだった。

 

俺より少し後ろを歩く彼の手をそっと取った。

決して後ろを振り向くことはしなかったが。

 

「――――。」

 

俺はやはり前を向いたまま、彼へと言葉を投げかけた。

囁くように、しっとりと。

けれど、言葉は、波に、さらわれた。

声は波の音に飲まれてしまい、自分でも何を言ったのか耳で判別することが出来なかった。

彼は、俺の言葉を、決して聞き取れていないだろう。

「ああ。」

けれど彼はおれの言葉にそう答えた。

聞き取れて、いるはずが、ないのに。

『ああ』という時の声のトーンが好きだ。

再度そう思った。

彼の手を握る力をほんの少しだけ強めた。

彼には決して気付かれないように。

そして俺はずっと、振り返ることはしなかった。





おわり。



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