どうやって確かめればいい?
あなたの気持ちを。自分の気持ちを。
どうやって埋めればいい?
あなたの不安を。自分の不安を。


Watching everything


「俺はお前の何なのだ。」



 突然の質問。思い詰めた表情。張り詰めた空気。
カミューは思わず自分の耳を疑った。
「何、もう一度言っ…」
「ずっと前から思っていた。俺は、お前にとって、一体何なのだろう。」
カミューが言い終わらないうちにマイクロトフは言葉を重ねる。
カミューは唖然としてしまう。目の前の深刻な表情をした男に返すべき言葉がなかなか見つからない。

気まずい沈黙が流れる。永遠にこの重い空気が続くように感じられる。息が詰まる。息が出来ない。

「いい。さっきの言葉は忘れてくれ。」静寂を破ったのはマイクロトフの方だった。
彼はそれだけ言うと一方的に話を終わらせ、1人で部屋を出ていった。

バタン。


ドアの閉まる音は、今まで聞いたこともないほどに乾ききったものだった。
その音でカミューは冷静さを取り戻す。完全に凍結していた思考が急速に解凍していく。
(俺は何かマイクロトフの気に障ることでもしたのだろうか?)
カミューは必死で最近の記憶を呼び起こし、反芻する。しかしどんなに考えても思い当たる節がなかった。
(一体どうしたというんだ。)
その言葉を投げかけるべき相手は既にここにはいない。思い詰めた顔をして、思い詰めた質問をして、そして『もういい』などと言って去って行ってしまった。

 一人部屋に取り残され、一人戸惑い思い巡らす。
マイクロトフの表情はこの上ないほど深刻さを湛えていた。
カミューの性格と言動パターンから考えると、マイクロトフが『俺はお前の何なのだ。』とでも聞こうものなら、彼は『恋人だよ。』とあっさり答えて、その後気の効いた甘ったるい言葉を少し付け加えてさらにその上キスでも、というような感じなのだが、実際のところカミューはマイクロトフの言葉に対して何も答えることが出来なかった。とても甘い言葉で返答をすることが許されるような雰囲気ではなかったのだ。マイクロトフの表情は、自分の質問に対しての答えがどんなものであったとしても相手に拒絶の色を見せることを心に決めている、そんな類のものだった。『お前は俺の恋人だよ。』などと返答すれば『では恋人とは何なのだ。』とでも切り返してくるように思われた。だから何も答えられなかった。いや、答えることは許されなかったのだ。

彼を好きだと思う。心からそう思う。
彼のあの清浄な瞳に捕らえられると、その目に映る自分だけが全てであると思った。
それ以外の自分は、彼と関わりを持たない自分は、何の意味もないと思った。
そういう痛々しいまでの想いを彼は拒絶するつもりなのだろうか。今さら。

心の中がざらざらしてくるのをカミューは感じた。
(誰かに何か良からぬことでも吹き込まれたのだろうか。)
そんな考えが頭を巡るが、それよりもマイクロトフに対する抗議の気持ちの方が膨らんでいった。
先ほどの彼の態度は少し一方的ではないだろうか。
カミューはそう思いながらマイクロトフが出ていったドアの方を見遣る。
なぜか今は彼の所に行って、問い詰めようという気にはならなかった。


 自分の部屋に戻ったマイクロトフは椅子に腰掛け、壁の一点をただ見つめていた。
カミューにとって自分は何なのか。
そう思い始めたのはそんなに前の話ではない。
彼はずっと一番親しい人物であった。友人として良きライバルとして仲間として、共に日々を過ごしてきた。自分が騎士団を離れた時、彼もそうした。同じ道を歩んでいる。
そうだ、友人として良きライバルとして仲間として……
それだけであったなら問題はなかった。自分たちの間にはそれらには含まれない類の感情が存在していたのだ。それは恋愛感情だった。
ある日カミューは自分を好きだと言った。もちろん自分もカミューを好きなのでそのように答えた。するとカミューは『そういう意味で言ったのではない』と言った。そういう意味の好きは、わざわざ言葉にする必要がないと彼は言う。そういう意味とはどういう意味だ、と俺が聞くと、
『友人として良きライバルとして仲間として好きだって意味だよ。』とカミューは答えた。『俺は恋愛の対象としてお前を好きだよ。』彼は続けて言った。

今思えばあれが始まりだったのだ。すべての不安と疑惑の始まりだった。
『恋愛の対象として好き』って言われてもな。同性同志ではないか。カミューは本気なのだろうか。初めはそう思って戸惑った。けれど戸惑いの中に喜びが含まれていることも明白だった。カミューが自分に恋愛感情を抱いている。それは自分を甘美な気持ちにさせるのには十分だった。俺だって気づいてなかっただけでカミューに恋愛感情を持っていたのかもしれない、そうまで思った。そのうち戸惑いは薄れ、喜びの方が膨らんでいった。けれど戸惑いがなくなったわけではない。
喜びの中にはいつも戸惑いがあった。戸惑いの中にいつも喜びがあったのと同じように。

彼を好きだと思う。本当にそう思う。
彼のあの真摯な眼差しに捕らえられると、胸が詰まって何も言えなくなるどころか何も考えられなくなった。居たたまれない気持ちになるほどに、自分が許せないほどに、彼に惹かれていく。そういう痛々しいまでの想いを彼は分かっているのだろうか。本当に受け入れることが出来るのだろうか。実際カミューは何を考えているのか分からないところがあった。どこまでが本当なのかはっきりしない。いつも余裕があって、もしかして自分はからかわれているだけなのではないだろうかと思ってしまう。
…そうだ、自分は彼を疑っているのだ。
『俺はお前の何なのだ。』
この言葉をカミューに投げかけるまでに不安が高まったのは昨夜の夢のせいである。夢の中で俺は一人で、誰かを探していた。ずっと誰かを探していた。裸足で走っていた。心臓が潰れそうになるほど走った。心臓が潰れてもなお走り続けるほどの思いで走った。やっと、探し人の後ろ姿を見つけたけれど、俺は呼びかけることが出来なかった。
『お前は誰だ』と言われたらどうすればいいのだろう。
声をかけることが出来ずつっ立っていると、探し人の姿はどんどんと遠ざかっていった。
そういう夢を見た。
朝、目が覚めると、ただ空虚な気持ちが残っていた。夢の内容をきちんと反芻することが出来た。昼頃には空虚な気持ちは不安へと姿を変えた。「お前は誰だ」と言われたら何と答えればいいのだろう。そればかり考えていた。夕方にはカミューに自分は何なのかを問うた。彼は驚いているようだった。

そして今、一人で思い巡らす。
今日も誰かを探す夢を見るかもしれない。

一体、誰を探しているのだろうか。カミューを?それとも自分を?


 翌日。寝不足の体にむちをうって、身なりを整え、朝の訓練に行くため部屋を出る。
「おはよう。今朝は少し遅いね。」
ドアを出たところにはカミューが立っていた。
マイクロトフはひどく驚いた。挨拶を返そうとしたのだが、つい黙ってカミューの横を通り過ぎて行こうとしてしまう。そんな自分の態度に自分のことながらもっと驚いた。
カミューはその瞬間、何かが自分の中で切れるのを感じた。
「どういうつもりだよ!」
マイクロトフの腕を掴んで引き止めて抗議する。思わず声を荒げてしまったのを不本意に思いながらも、他の人が起きて来るのを考慮して、彼の腕を引っ張って2人で部屋に入る。

「カミュー……」
マイクロトフは明らかに戸惑っている。
戸惑うのはこっちの方だ、とカミューは思った。
「本当にどういうつもりなんだ。答えて。」
マイクロトフは何も答えなかった。
カミューはだんだん自分がイライラしてくるのを感じる。
「昨日、お前は自分は俺にとって何なのかって聞いたよね。その言葉をそのままお前に返すよ。それを聞きたいのは俺の方だよ。」
「…先に聞いたのは俺の方だ。お前が先に答えてくれ。」
少しの間を置いてマイクロトフはそう言った。
カミューはイライラした気持ちを抑えるために一つ深呼吸をしてから口を開く。
「俺はお前を愛しているよ。ずっとそう言ってるじゃないか。俺にとってお前はかけがえのない人物だ。もう随分昔からそう思っているし、これから先も変わりない。…これでいいだろう。次はお前が答える番だ。」
本当のことだけを言っているのになぜか苦い思いがした。
「……俺はカミューが何を考えているのか分からない。」
マイクロトフの返答はあまりにも残酷な響きを持っていて、カミューは目眩さえ覚えた。
「何を考えているかだって?!お前のことをいつだって考えている!
マイクロトフ、マイクロトフ、いつもそればかりだ!」
もう自分を見失いかけていた。
こんなに必死になって抗議するのは自分には似合わない、そういう思いもあったが、口にしてしまった後に後悔してもしょうがない。
「分からないんだ。」
マイクロトフは静かに答えた。
(一体何が分からないというんだ!)
カミューは心の中で叫んだ。もう口に出す気にはならなかった。今のマイクロトフには何を言っても無駄だろう。どんなに言葉を重ねても自分の気持ちを受け入れてくれない。そう思うとどんな言葉も無駄に思えた。
「カミューのことは信用している。けれど、お前の言葉のすべてを鵜呑みにすることは出来ない。」
「…それがお前の答えなの?」
「………。」
「分かった。」
カミューはそれだけ言い残して部屋を出ていった。
自分の心が恐ろしいほどに冷たくなっていることにカミューは気づいた。
もうどうでもいいような気さえする。ただもう一度眠りたい。眠ってしまいたい。

 一人取り残されたマイクロトフは呆然とつっ立ったままだった。
カミューの態度を憎々しく思った。何て勝手な気持ちだろう。

 カミューを愛している。ずっとそう思っている。俺にとってカミューはかけがえのない人物だ。もう随分昔からそう思っているし、これから先も変わらない。身の破滅を招くほどに彼を信じている。同時に、それと同じくらい彼を疑っている。単に彼を信じるだけで疑問すら抱かずにいられたなら、どんなに気が楽だろう。けれど気づいてしまった。自分の懐疑心に。そしてそれに向かい合ってしまった。
一度疑い始めると、目を逸らすことが出来ない。日を増す毎に膨らみゆく不安。
不安はまるで生き物のように成長し片時も自分のもとを離れようとしない。
    自分は彼にとって何なのか。
    必要な存在なのか。
    必要な存在とは何なのか。
こんな気持ちを彼にぶつけるのはとても見苦しい行為に思えた。けれど止められない。
夢にまで見るのだ。何かを探している。どこまでも探している。いつまでも探している。
不安と焦りと懐疑心で息が詰まる。
それでも、さっき、もしもカミューが『信じてくれ』
などと言って強引に抱きしめてでもくれていたら……。不安も少しは収まったかもしれないのに。
なんて勝手な言い分だろう。


 その頃カミューは自分の部屋のベッドの中だった。目は閉じていたが、頭は眠っていなかった。
『信じてくれ』なんて言えなかった。もう何もかける言葉が思いつかなかった。
信じてほしいと言ったところで、彼に言い返されてしまってはおしまいだ。『分からない』と。分からないのはこっちの方だ。ここまで彼を分からないと思ったのは初めてだった。

その日2人は一言も言葉を交わさなかった。
視線を合わすことすらなかった。
それでも問題なく時間は過ぎていく。
生活自体には何の支障もなかった。
2人が常に一緒に居なくても。
そのことに離れてみて初めて気づいた。






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