sigh
「夜神さん」 名を呼ばれて、顔をあげた。 黒々とした瞳が小首を傾げてこっちを見ている。 「どうした、竜崎」 「聞きたいのはこっちです。今日はもう8回も溜息をついてますよ。どうしたんです?」 「え…」 どうしたんです、と聞かれてもすぐに答えは出なかった。溜息をついているという自覚がなかったからだ。しかし原因は山のように思い当たる。だがそんな事は、相手も承知しているだろう。 「まあ…色々なことが重なっているからな。気になったのなら、すまなかった」 「気になるならないの問題ではありません」 竜崎はそう言うと、テーブルの上のボンボンに手をのばした。濃いチョコレートとリキュールの香りが辺りに広がる。 「貴方と私は今二人きりなのに、何故そんなに憂鬱なのかを聞きたいのです」 「二人きりって…」 総一郎は絶句して目の前の探偵を見つめた。いくら世界の三大探偵と二人きりだからといって、それで解決する問題は何もないのだ。しかし竜崎は事もなげに静かにボンボンを消費し続けている。 もしかしたら、と総一郎は考えた。 「もし、せっかく二人でいるのに、君に相談を持ち込まないでいるのが気に障ったなら申し訳なかった。ただ、 「何も気になんか障っていません。そもそも持ち込まれたところで何も解決しませんから」 そうなのだ。 総一郎の悩みは竜崎の目標の達成---キラの逮捕---を持ってしか解決出来ないのだ。 竜崎は、指についたチョコレートを舐めとりながら言った。 「私は、『せっかく二人きりなので憂鬱そうにしないで下さい』と言ってるんです」 「な、何を…」 動揺を隠し切れないまま、総一郎は竜崎の数えるところの9回目の溜息をついた。 いつの頃からか、この風変わりな探偵は、自分に対して妙な執着を見せるようになった。普段は決して不快ではない範囲で、しかし時には今のように直球ストレートに自分の存在をアピールしてくるのだ。 「…」 言葉に詰まっていると、不意にチョコレートの香りが近づいた。 竜崎が顔を寄せてきたのだ。 「うわっ」 反射的に顔を反らすと、竜崎も顔を遠退けた。 「な、な、何を 「近くで見たかったんです。貴方の顔を」 「か、顔を見たかったって…」 「そうすれば、貴方の思考を私に向けられるかと思って。しかし残念ですが、そうはいかないようですね」 竜崎は最後のボンボンを口に入れ、溜息をついた。 「淋しいです」 「淋しい?」 「貴方の心に、私は入り込めないのでしょうか」 「…」 この質問は、答えを欲しているのだろうか。それとも、ただ拗ねてみせているだけなのだろうか。 少しの沈黙の後、総一郎は口を開いた。 「…とりあえず、今日はお互い様、だ」 「お互い様ですか?」 「竜崎、君もさっき溜息をついただろう」 「はい、確かに」 「二人きりなのに、いや、二人きりが憂鬱のような溜息だったぞ。これでお互い様だ」 総一郎は一気に言い放った。妙なこじつけだ、そんなことは自分で分かっている。ただ、何とか言いくるめないと、自分が危うい気がしたのだ。 そう、この瞳に飲み込まれそうで。 「…そうですね」 意外にすんなりと、竜崎は白旗をあげた。 「貴方の溜息と私の溜息は随分質が違いますが、ついたことには変わりがない」 「ああ」 「それに、少なくとも今は夜神さんの思考は私を捉らえていた訳ですし」 それは、言われて初めて気がついた。 「お互い様という事でいいでしょう。しかし、私はもう二度と夜神さんと二人きりのときには溜息をつきません」 「いや、別にそこまで宣言しなくても…」 「いや、宣言したいんです。させて下さい」 「はあ」 「だから」 不意に総一郎は手を握られた。引っ込めるには、余りに真摯で強い力で。 「夜神さん、貴方も私といるときには溜息なんかつかないで下さい」 なんて幼稚で一方的で、真剣な願いだろう。 「…ああ」 ほとんど無意識に、総一郎は頷いていた。 「約束ですよ」 「ああ、約束、だな…」 そう言いながらふと零れそうになった10回目の溜息を、竜崎の人差し指が唇に触れて止めた。 「約束です」 竜崎は、その人差し指を自分の唇に当ててみせた。 「…ああ…」 総一郎は、強い目眩のようなものを感じてソファにゆっくり身体を沈めた。 竜崎の人差し指に残るボンボンのリキュールの残り香に酔ったのかもしれない、 そう思いながら。 END |
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