【セッチャリもニケツも禁止よ】 「あっくつくん・がっこう・いっきましょ〜♪」 軽快な調子で、近所迷惑になるほどの大声で。小学一年生じゃあるまいし。 不吉な思いで目を覚まし、窓を開けて下を見下ろす亜久津に、憎らしいほど爽やかな笑顔で千石が手を振る。 「よ、亜久津。寝起きの顔、間抜けじゃん」 「うっせー死ね」 「せっかくお迎えに来てやったんだからさっさと用意して下りて来いよ。遅刻するぜ」 「今日は学校行かねえよ」 「だ〜め! 今日の牡羊座の運勢は最高なんだから!」 出た。きよすみくんの星占い。亜久津は心底げんなりした。気まぐれで訳の分からない千石に、ではなく、気まぐれで訳の分からない千石に何故か逆らえない自分に、だ。 「見てー。かわいいだろ、俺のチャリ」 いとおしげな調子で千石は言った。自転車のハンドルをぎゅっと握り、離し、また握り直す。 「ピンク…」 千石の新しい自転車は、ピンク色のママチャリだった。 「昨日のラッキーカラー、ピンクだったんだよね。で、学校の帰りにさ、自転車屋さん通り過ぎるとき、この子と目が合っちゃったわけ! 運命感じたね。即購入」 自転車と目が合うなんてそんなばかな。突っ込もうにも、驚くほど優しげな眼差しの千石にどこか圧倒されてしまい、亜久津は口を閉ざす。よっぽどこの新しい自転車を気に入っているのだろう。 「あまりにもこいつが愛しいので、ジンくんニ号と名付けちゃいました」 「おいおいおい」 さすがにここは突っ込まずにはいられない。 「つーか二号って、」 前の自転車にも名前があったのか。ジンくん一号だったのか。なんて不吉な。亜久津はさも嫌そうに眉を顰めた。 「あ、一号はキミね!」 「…」 余計嫌だ。亜久津の眉間の皺はさらに深まった。 「後ろ乗って、後ろ後ろ」 大きな荷台を手で叩きながら千石は言う。 「乗りたくねえ」 「どうして」 「乗りたくねえから乗りたくねえんだよ」 「だめだよ」 「…」 「だめだ」 千石の声が、ワントーン低くなった。だめだ。逆らえない。 「くそ」 舌打ちしながら荷台に乗る。げんなりした。朝から気分が悪い。何が今日の牡羊座の運勢は最高だ、だ。最悪ではないか。段差に行き当たるたび体に衝撃。陽気に鼻歌なんか唄いながら自転車をこぐ千石が憎らしく、今ナイフでも持っていようものなら千石の背中を突き刺してやるのに、と亜久津は不穏なことを考えてみる。朝から風呂にでも入ってきたのだろうか、千石からは風呂上りのような清潔な匂いがした。亜久津は不愉快な気持ちになる。匂いが意識されるほどに近付くのは嫌だった。 「ここが男の見せ所だな」 眼前には急な上り坂。この坂を越えなければ学校には辿り着けない。通学者を苦しめる困難なステージ。さすがにここは二人乗りではきついだろうと思い降りようとする亜久津を千石が止めた。 「大丈夫だから、大人しく乗ってろ」 おれを信じろ〜、と軽い調子で言う千石に、お前ほど信じられないものはねえよ、と亜久津は心の中で返す。 じわじわと、自転車で坂道を上がっていく。どう考えても、降りて歩いた方が速い。千石は黙々とペダルを踏む。亜久津はどうにも居心地が悪く、息を詰める。長い、とても長い時間だった。完全に遅刻だ。 永遠に続くかと思われた坂道も、いつしか頂上に達し、眼下には急な下り坂が広がっている。ちゃんと掴まっとけよ、という千石の声が聞こえたかと思うと、急スピード、自転車は坂道を下って行く。二人分の重みがあるだけに、速度は強烈だ。自転車がガタガタと、不安な音を立てる。壊れて飛んでいってしまうのではないか。スリル、目眩、鼓動が速まって。快感だった。痺れるような感じ。風に体が引き裂かれる気がした。ギャーッとかキャーッとか動物みたいな奇声を一声上げて、千石が、ハンドルを握っていた両手を離した。途端自転車が激しく揺れ、倒れそうになる。これは死ぬ! と亜久津が焦ったところで、千石はハンドルを握り直し、転倒の危機は回避された。 「てめえ! 死ぬ気かっ!」 「あはははははは!!!」 頭の線が一本切れてしまったかのように千石は笑った。 学校に着いて自転車を降り、亜久津はどっと疲れを感じた。通学だけでこんなに消耗してまっては世話がない。もうこんなのは二度とごめんだ。と心から亜久津は思ったのだが、彼をこれでもかと疲れさせる二人乗り通学はこれからしばらく続くことになる。 それから一週間後。いつも迎えに来る千石が来ないので、どうしたのかと不思議に思いながらも、今日は無駄に疲れなくてもすむと安堵して亜久津は一人で学校に向かった。 「ジンくんニ号、盗まれちゃった」 休み時間、机に突っ伏してそう言った千石の声は、低く、そして暗かった。 「あームカツク〜。ころしてえ」 かける言葉を見付けることが出来ず、亜久津はただ黙って千石の隣に立ち尽くしていた。 「でもまあ、鍵かけてなかったのが悪いんだけどさ。仕方ないよね〜」 ぱっと顔を上げた千石は、ついさっきまでの落胆ぶりが嘘のように爽やかな表情だった。これだから。これだから千石という男にはついていけない。仕方ない、という千石の言葉に、亜久津は言いようのない怒りと悲しみを引きずり出され、唐突に溢れ出したその感情を持て余してしまう。何故こんな思いになるのか分からなかった。 「鍵くらい、かけとけよ」 亜久津の押し殺した低い声に、千石は目を丸くした。 「鍵かけてなかったてめえが悪い」 あまりにも悲痛な声だった。自転車を盗まれたのは亜久津ではなく千石なのに。 「てめえが悪い」 繰り返される、悲痛な声。 「ん、そだね。俺が悪かった。ジンくん二号には可哀相なことしちゃった」 なんて言いながらも、千石はちっとも反省していない様子。 「今頃さあ、ジンくん二号が知らない誰かに乗られてんのかと思うと心が痛むね。乱暴にされてなきゃいいけど」 やけに楽しそうな千石に、亜久津は怒りより悲しみより呆れを感じて、がくりと肩から力が抜けた。 「ジンくんニ号が盗まれちゃって寂しいけど、俺には一号がいるから平気!」 「ばっかじゃねえの」 「盗まれないでね、一号」 鍵かけとけよ、 とは返せない。 |
【ホームにて】 特急が通って、突風が髪を揺らす。 「なんかさ、飛び込みたくなんない? バーンて飛び込んで、ドーンてぶつかって、で、パァーーンて! 弾けて飛んで粉々になんの。きもちよさそうじゃねえ?」 「やれるもんならやってみろ」 「粉々になりたいとか思ったことないの?」 「はあ?」 「粉々だよ粉々」 「………」 「わかんないかなあ、亜久津には」 「いや、」 「ん?」 「ちょっとわかる」 「へえ〜」 「なんだよ…」 「俺は粉々になりたいなんて思ったことない!」 「あってめえ!」 「わははははは」 「…くそっ」 「亜久津が粉々になったら一粒残らず掻き集めるよ俺は」 「ほー」 「そいで」 「ん」 「そいで、全部、ごみばこに捨てる!」 「捨てんのかよ!」 「うん!」 「…」 「ごみはごみばこに捨てましょう。俺、美化委員なんだも〜ん」 「似合わねえな。お前の部屋死ぬほど散らかってんじゃん」 「亜久津の部屋が整頓され過ぎてんだよ」 「違う、俺は普通だ」 亜久津がこんなに千石に相槌を打つだなんてとても思えない…! にせものすぎます…☆ |
【近頃ラブ運下降気味】 「世の中にはさあ、うざいことが多過ぎるよ」 それは確かに、と納得しつつも、千石の言う『うざいこと』に自分も含まれているのかもしれない、と思い当たった途端、不思議なくらい胸が震えた。許せない、などと思ってしまった自分こそ許せない。心の揺れを誤魔化すためにか、亜久津は煙草に火を点けた。 「あ〜ん、生きるのがめんどくさい〜」 どこか甘ったれた声で言った千石に、 「だったら死にやがれ」 紫煙を吐き出すように何気なく返した台詞はあまりにも亜久津らしかったのだが、口にした亜久津本人には自分の言葉がどこか不自然なものに思えて仕方なかった。そんな彼の心の内を知ることなく、千石は、亜久津から返された亜久津らしい言葉に少しだけ笑ってから急に神妙な顔付きになった。 「ぼくが死ねばきみは幸せになれるのかい?」 怖いくらいに棒読みだった。 「なーんて」 「……」 「ワハハ」 「……」 「ワハハハハ」 「何が可笑しんだよ」 不可解だった。あまりにも不可解だった。千石が不可解なのは今に始まったことではないけれど。 「今日の射手座と牡羊座の相性は最悪だ」 さっきまで笑っていたと思ったらまた真顔になる。 不可解で、どうしようもない。ついていけない。煙草を地面に落として踏み付けた。 翌日、 「世の中には楽しいことがいっぱい! 生きるって楽しいね〜」 などと、昨日とは全く逆のことを言う千石に、亜久津は舌打ちする気にもならなかった。ああそうだこいつはこういうやつだよ。ため息。突っ込むの馬鹿馬鹿しい。 「昨日言ってたことと違う」 馬鹿馬鹿しいはずなのについつい突っ込んでしまうなんて。なんと馬鹿馬鹿しい。 「人のこころは秒刻みで変化してゆくものなのだよ!」 「てめえにゃついていけねーよ…」 呆れた様子の亜久津を見て、千石は口元だけで笑った。 「ついてこい、なんていつ言った? 俺そんなの一言も言ってないもんね。勝手についてこようとしないでよ」 人の揚げ足を取ろうとする千石はひどく楽しげだ。亜久津は軽く舌打ちしてから、煙草を出そうと胸ポケットに手を伸ばす。吸いたいわけではなかった。よく考えてみると今まで、純粋に吸いたいと思って吸ったことがあっただろうか。悪ぶるための道具だった煙草は、千石とつるむようになって以来、やり場のない間を持たせるための、誤魔化すための道具に変わった。 煙草を取り出そうとする亜久津の手首を千石が掴んで止める。握り潰すつもりなのかと思われるほどに強い力。真っ直ぐに亜久津を見つめる千石の眼差しは恐ろしいほど深刻なのに、口元は笑っている。目を信じればいいのか、口を信じればいいのか。答えは簡単で、簡単だからこそ難解な事態を招いてしまう。 「うそだよ。ついてきてよ。お前だけだよ」 寒い台詞。軽いキス。 唇が離れてすぐ、亜久津は袖口で口元を拭ってから、ぺっと唾を吐き出した。 「あっ、ひど〜い!」 せっかくの愛のキッスを、と言って千石は愉快そうに笑った。 「やっぱどう考えても、」 ついていけねえ 今日も牡羊座と射手座の相性は悪いのかも! |
【饒舌】 「俺のことすごーく好きだろ? でも、はまるのが怖いんだろ?」 |
【ばかなとこがかわいい、なんて、そんな、】 「ねー亜久津、運命って信じる?」 |
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