☆ ハ ー ト 盗 ま れ 眠 れ な い わ ! ☆
01:23:55-01:24:00 いったん眠りについてしまえば、夜中に目が覚めることなどほとんどないのだが、その夜は何故か目が覚めてしまった。窓ガラスが、パチ、と小さく鳴った。まだ頭がはっきりせず、幻聴だろうか、とぼんやり進藤は思う。また、パチ、と音がした。 (幻聴じゃない) 進藤ははっとした。さっきまであやふやだった意識が覚醒する。これは、ガラスに小石がぶつかる音だ。まさか、と思って窓を開けて下を見ると。 「立松…」 こんな深夜に、一体どうしたというのだ。進藤はしばし呆然とする。窓から顔を出した進藤を目にし、立松は少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔になって、下りて来い、進藤に手振りで示した。 「なんなんだよ」 時間が時間だからあまり大きな声は出せないので、窓から身を乗り出して口だけは大きく動かしながら、進藤が立松に小声で疑問を投げかける。いいから下りて来て、と立松もやはり小声で返し、大きく手招きをした。 進藤は家族を起こさないよう、ゆっくり階段を下り、静かにドアを開けて外に出た。 どうしたんだよ、と問う進藤に、ん、と立松は曖昧に頷いた。 「…なんかあった?」 用件を切り出さない立松に、進藤は急に不安になってくる。シンクロのことで何かあるのかと思ったが、そうではなく、もっと個人的なこと―たとえば立松の家庭の事情とかだ―なのかもしれない。 「何もないよ〜。夢に出てきた進藤ちゃんがあんまりにも眩しかったから、実物を拝みたくなったってゆーかー」 進藤は、立松の冗談に笑う気にはとてもなれなかった。本当に何かあったんじゃないか、という思いが一層強まる。何かあって、それで、耐え切れなくてここへ来たくせに、冗談で誤魔化してしまおうとしてるのかもしれない、と思うと、進藤の胸は痛んだ。複雑な表情になる進藤に、立松は苦笑した。そんな顔しないでよ、と進藤の肩を軽く叩く。 「ほんとに何もないんだよ。心配かけないように嘘吐いてんじゃないからね?」 そう言われても、進藤には、立松が嘘を吐いているように思えたのだが、それは絶対に嘘だ、という根拠はどこにも無いし、たとえ根拠があろうとも、立松から本当のことを聞き出そうとするのが正しい選択だとは言い切れない。立松のことが心配だ、力になれることがあるならなりたい、でも、それを相手が望んでいないのだとしたら? けれど、だったら何故ここに来たのか。どう返答しようか迷っている様子の進藤に、立松はまた困ったように笑ってから、さらに明るい調子で話を続けた。 「なんかさあ、な〜んでか分かんないけど眠れなくて。で、体動かしたら疲れて眠れるんじゃないかな〜と思って、外出てチャリでウロウロしてました」 「…で、人んちの窓に石投げてたのか?」 立松の手にはまだ小石が握られていて、手の中の石をなんとなくいじくっている。立松の手元を見遣ってから、上目遣いで不審げに問う進藤に、立松は、すんません、と笑いながら謝った。 「五回石投げてね、それで気付かれなかったら、諦めてちゃんと帰って寝ようって思ってたの。三個目の石投げようとしたら、進藤が窓から顔出した」 立松が、握っていた手をゆっくり開くと、手のひらの上には小さな石が二つ乗っていた。 「驚いたんだよね、俺。自分で石投げてたくせに何言ってんだって、矛盾してるって思われるかもしれないんだけど、進藤ちゃんの顔見たとき、驚いたの。なんか感動しちゃった」 立松が手のひらを斜めに傾けると、石は転がって地面に落ちてしまう。 「ちょっとした賭けみたいなもんだったの。その賭けに勝ったからどうとか、負けたからどうとかっていうんでもないんだけどね。そういうのを賭けっていうのか分かんないけど」 何も無くなった自分の手のひらを見つめたまま、なんか今幸せな気分、と立松は口元を綻ばせた。その言葉には、その笑顔には、どこにも嘘が無い、と進藤は思う。やはり明確な根拠など無いが、今そんなものに意味があるのか。 「あーあ、石いじってたから手ぇ汚れてるじゃん」 進藤は、母親が小さな子供にするように、立松の手のひらに付いている砂を指でさっさっと払ってやった。進藤の行動に、立松は瞠目する。唐突に、けれど、なんでもないことのように向けられた親しげな態度に、心を動かされる。 「な、なんだよ…」 立松の視線に気付き、進藤は、自分が何か間違ったことでもしてしまったのかと思い、少々うろたえた。 「ありがとう」 立松の言葉の調子があまりにも丁寧な響きを持っていたものだから、進藤は困ったような、恥ずかしいような気持ちになる。うん、と立松から目を逸らしながら答えると、立松は本当に満足そうに笑った。 「というわけで。帰ります。進藤ちゃんのおかげでいい夢見れそうよ」 すぐ隣りに駐めていた自転車のハンドルに手を掛ける立松を、ちょっと待って、と進藤が呼び止める。 「送ってってやるよ」 進藤の申し出に立松は大いに驚いた。あまりにも意外な言葉だった。 「はあ? いや、そんな、いいですよ、ほんとに、うん、今ちょっとびっくりしちゃった、俺、本気で」 心配されてるんだろうなあ、と立松は思う。でももう全然平気なのに。充分に満たされてしまった。居候先に帰れば本当にいい夢を見れそうな気がしていた。 「お前のせいで目が覚めちゃったんだよ。俺もちょっと運動してみるわ。お前送って家に戻ったら、ちゃんと眠くなる気がする」 「いや、いいよ、ほんとに。気持ちだけ貰っとく」 「お前はよくても俺がよくないんだよ」 これはいくら遠慮しても進藤は絶対引かないだろう、と立松は思った。たまに進藤は驚くほどに頑固だ。進藤の優しさが、胸に染みた。申し訳ない、と立松は思う。そんなふうに感じるのは、進藤の厚意を無にするようで失礼なのだろうけど。申し訳なく思い、罪悪感すら抱く反面、強烈に嬉しくて、甘ったるいもので胸が埋められて、苦しい。 「そういうことだから、ちょっと待ってて。鍵取ってくるわ。俺がチャリの鍵取りに行ってるうちに一人で帰ったら怒るからな」 ちゃんと待ってろよ、としつこく念を押してから、進藤は急いで家の中に入って行った。慌てた様子の進藤の後ろ姿を見ながら、そんなに急いでたら途中でこけちゃうよ、と立松は思った。 (慌てなくても、どこにも行かないのに。ちゃんと待ってるのに) たとえこのまま進藤が、なかなか家から出て来なくても、自分はずっと待っているだろう。朝が来ても、昼になっても、夜が訪れようとも、ずっと。気の遠くなるほど長い時間でも待ち続けていられる、と立松は思った。 進藤はすぐに家から出て来た。やはり慌ただしい様子で家のドアに鍵をしてから、立松の前に戻って来る。 「どうしたんだよ? 早く行こ」 進藤は自転車に跨りながら、どこか呆然とした様子の立松に声を掛けた。 「…うん」 静かで暗い真夜中の道を、二人並んで自転車を走らせる。遅い時間だから、普通の声で話すのは憚られるので、会話は小声で交わされた。内緒話みたいでなんだかいいな、と立松は思う。 「ほんと、ありがとね」 「ん」 「進藤ちゃんは優しい」 「んー」 「進藤ちゃんは天使だよ」 「あーはいはい」 「あいしてるよー」 「お前なあ。…もう何でも言っとけって感じだな」 「全部本心だもーん。なんかね〜、もう今すごい愛溢れてるよ。こう、世界救えそうな感じ」 「うーん、お前さ、寝てないからハイになっちゃってるんだろうなあ」 呆れたように言った進藤に、立松が笑う。つられるようにして進藤も笑った。 そうこうしているうちに、伊藤商店に着いた。どこか名残惜しい気もしたが、だからといってどうするわけにもいかないので、じゃあ、と進藤が切り出すと、待って、と立松が制止した。 「何?」 「送るよ」 「はあ!?」 思わず大きな声が出てしまって、進藤は、しまったと思い、極力声を落としてから、何言ってんだよお前は、と返す。驚きと困惑を隠せない進藤に、立松はさらにきっぱりとした口調で、送る、と再度言った。 「…何言ってんの」 「だーかーらー送るって言ってんの〜」 口調は軽い感じだったが、立松の眼差しはあまりにも頑なだった。進藤は、返す言葉が見付からず、ため息を吐いた。そんな進藤の様子に、立松が少し笑った。何笑ってんだよ、と進藤は少しだけむっとして、でもその後で、なんだか呆れてしまって。 「…バカだよ、お前は」 「うん、バカでいいです」 進藤が困ったように笑うと、立松は急に真剣な表情になり、今ここで進藤と離れたら俺は絶対眠れない、と言った。 「一生後悔する」 「…一生は大げさだろ…」 「へっへ〜、誇張し過ぎちゃった」 さっきまで深刻そうな顔をしてたくせに、すぐいつもの、明るい、ふざけた調子に戻る。立松のこういうところが、魅力的に感じられると同時に、心配だ、と進藤は思った。 (だって、どっちがほんとなのか、分からなくなって、不安じゃないか) でもどっちも本当の立松なんだろうと、進藤は思った。最近になってのことだが、立松が嘘を吐いてるんじゃないかとか、これは立松の本心ではないんじゃないかとか、そういうことが、立松の態度からなんとなく分かってしまうことがあった。そして、それに気付いた立松が一瞬ひどく気まずそうな表情を見せるのが、悲しかった。分かっちゃいけないことを分かってしまったんだろうか。でも、自分は、立松のことを理解したいと思っているのに。それを立松は望んでいないのだろうか。でももし本当に望んでいないなら、今日のように、夜中に家まで来るなんてしないはずだ。けど、立松は何も言わない。家まで来て、石を投げて、自分の中で勝手に賭けて、それで、何も言わない。 さっき来た道を戻って行く。進藤の家に向かう道程、二人は言葉少なだった。 「俺はもう送らないからな。さすがにもう寝るぞ」 家の前に着き、進藤は自転車から降りる。空気を和ませようと、冗談ぽく言った進藤に、立松は、あらそれは残念、と冗談で返した。 「だから、お前もさっさと帰ってもう寝ろ」 自転車を駐めてから立松に向かい合い、進藤が言った。なのに立松まで自転車から降りて、スタンドを立ててしまう。 「あっ、何やってんだよお前。もう〜。早く帰れってー」 帰ろうとしない立松に、進藤は呆れて、困って、でもとても憎めない。しっしっ、と、犬を追い払うように「あっち行け」と手で示す進藤に、立松は、ひどーい、とふざけた調子で言った。 「進藤ちゃんが家ん中入るまでゆっくり見守らせてくれてもいいじゃない」 「あーはいはい、勝手にしろ。ただし、俺が家入ったら絶対ちゃんと帰れよ。部屋戻って窓から見てまだお前がここにいたら、俺はほんっとうに呆れるからな」 「オッケーオッケー」 へらへら笑う立松がどうも信じられなくて、ちゃんと帰れよ、と進藤は念押しする。じゃあおやすみ、と進藤が背を向けようとした瞬間、立松に腕を掴まれ、強い力で引き寄せられた。一瞬、何が起こったのか進藤には理解出来なかった。気付くと、立松に抱き締められていた。 「ちょ、ちょ、ちょっと、たてま 「五秒だけ」 動揺する進藤の耳元で立松が言った。確実に、耳に唇が触れた。進藤は、返す言葉も動きも完全に失い、立松の腕の中ですっかり心身を強張らせてしまった。 五秒間だったのかどうかなんてさっぱり分からない。抱き寄せたときと同じ唐突さで立松はぱっと体を離した。 「おやすみなさい、進藤ちゃん。よい夢を! アデュー!」 言うだけ言って、立松はさっさと自転車に乗って去って行ってしまった。 「あのやろ…」 いきなり取り残され、しばらく呆然としていた進藤が、やっと言葉を発せられるようになったときには、立松の姿はもう見えなくなっていた。まだ脚がガクガクしている。一方的な立松を、恨めしく思った。 (ていうか、俺が家に入るまで、ゆっくり見守るんじゃなかったのかよ) (何が、「よい夢を」だ) 眠れるわけない。 |
不眠不休で恋焦がれ、やっとこ眠りについても夢の中にまでアナタが出てきたり、とか、、、アー、もう! 病気!
Jul.30,2003
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