くだらない言い争いがあった。本当になんてことない言い争いだった。何のせいでケンカしたんだっけ? なんだろう、あ、そうだ、モーニング娘。のベストアルバムを買ったという一馬に『それはお金の無駄遣いというものだ』とか言っちゃったんだっけ。そこからちょっと険悪なムードになってしまった。いやあ、ほんの冗談のつもりだったんだけど、一馬には冗談通じなかったみたいで(そこがまた可愛いとか思ったんだけどね)、というか俺、冗談ちょっと下手だからなあ(分かってるなら言わなきゃいいんだけどね)。
 で、まあ、ちょっとした言い争いになって、別れ際、一馬はこんな捨て台詞を。





「英士なんか死んじゃえ!」









僕は死にません貴方が好きだから

(101回目のプロポーズのパクリ)



 一馬が走って去ってしまった後、『夜にフォローの電話入れとけばいいかな。その頃には一馬も落ち着いてるだろうし』なんてことを思いながら、俺は帰路についた。そこまでは良かった。そこまでは何てことない日常に過ぎなかったんだ。
 偶然の不幸は、信号を渡ろうとしたときに起こる。気付いたときには遅かった。迫り来る白い乗用車。もっとちゃんと左右を確認してたら良かったんだけど。でも信号は青だったぞ、信号は。ああでも確認しとけばこんなことには。ちょっと俺ぼんやりしてたしなあ…、なんてことを考えたのは後になってからのことで、そのときはそんなことまで考える余裕なんかなかった。
 あ! と思ったときにはもう車と接触して体が跳ね上がってた。

視界、回る、閃光、走る、あ、めくるめく、既視感、うん、こういう感じ、どっかで、うん、

ああそうだ、夏休み最後の日、二人で海へ行ったっけ。そのときのことだ。
半年前のこと。
あの頃はまだ、こんなにも彼のことを好きになるなんて思ってなかった(と思う)。

めもくらむよなせんこうにめがくらむ
はなびもってすなはまかけるきみ
ドラマのワンシーンみたい
いたいくらいロマンチック
せんこうせんこうせんこう
めがくらむむねがいたいどうしようどうしようどうしよう


互いに押したり引いたりしてるうちに二人して縺れるように砂浜に倒れ込んでしまったんだ。
そのとき、視界が引っくり返って、そう、そのときの引っくり返る感じ、その感じと同じ、

引っくり返る。脳が回る。転がる視界。目の前が真っ暗に。

そういえばキスをした
そういえば恋を自覚したのはあの日だった











・・・

 事故は運転手の不注意が原因。全治二週間。あの事故でこの程度で済むとはねぇ生きてるだけで奇跡みたいな話だよ君は運がいいよハハハああサッカー? 大丈夫大丈夫退院したら今まで通りやってもらって結構です何の問題もありませんよハハハハハああほんとに君は運がいい、医者が笑って言った。とりあえず俺も笑っとこうと思って笑おうとしたけど体中がギシギシするみたく痛んで笑えなかった。痛い。生きてる。死ななかった。奇跡のような話。奇跡によって生きている。

「あなたの愛しの真田一馬くん(14)は、風邪こじらせて寝込んじゃってますよ」
 見舞いに来たぼくの友人の若菜結人くん(14)は開口一番こうだ。
「一馬、風邪こじらせて…」
 ものすごく心配になる。
「一馬すごい気に病んでたよ。なんか英士に死ねとか言っちゃったんだって?」
 ベッドのすぐ横にある椅子に腰掛けながら結人が言った。
「『死ね』なんて可愛げのないことは一馬は言わないよ。『英士なんか死んじゃえ』って言ったんだ。可愛いだろ。まいっちゃうよね、ははは」
「…相変わらずアホだな、お前って…」
「ははは」
「『英士が死んだら俺のせいだ』って言ってたよ、一馬」
「無茶苦茶言ってるね」
「もう思い詰めちゃってさ〜。ほんとにすごく思い詰めてる。風邪こじらせたのもそのせいだと思うな。このまま一馬の風邪がさらに悪化して肺炎になってさらにさらに悪化してうっかり死んじゃったりしたら英士のせいだよアハハ」
「ははは」
「笑い事かよ」
「笑い事じゃないね。よし、決めた」
「何を」
「今から一馬んとこに行って『ほら郭英士は死んでませんよ。事故は一馬のせいじゃありませんよ』とはっきりと言ってこよう」
 ほんの冗談のつもりだった。痛む体に鞭を打ってベッドから下りようとする。全身に広がる鋭いような鈍いような強い痛み。途端に焦る結人。結人の慌てる様子が新鮮で面白かった。

(冗談を言って、相手がそれを冗談だと分からなかった場合、いつ『これは冗談なんですよハハハ』と切り出せばいいんだろう。そのタイミングが分からない。冗談を言ってそれが相手に冗談であると伝わらない時点でそれはもうアウトなんだろうか。うーん分からない。冗談って難しい。向いてないかもね、俺。そういえば一馬とケンカしたのだって冗談のせいだったっけ)

「わ、ちょ、ちょっと待て、無理だって、何考えてんだ、お前は、アホか! ちょっと、ちょっと、看護婦さーん!」
 結人は本気で慌てちゃって、そんな結人が本当に面白くて、俺は冗談には向いていないけど、これからもたまに冗談を言いつつ人生を歩んでいこうとか思ったのだった。

「ああもう嫌だ! ごく冷静な顔してとんでもないことしようとする奴って嫌だ、怖い、ああ焦った」
「ははははは」
「笑い事じゃねーよっ」
「ほんの冗談だったんだけどね」
「嘘だ! お前めっちゃくちゃ素だった、顔が!」
 冗談なのに。
「ほんとびっくりさせんなよ。ていうか一馬には電話でもすればいいだろ」
「電話ねえ」
「あっ、でも今一馬全然声も出ない状態だった。じゃメールだメール」
「メールねえ」
「そうだよ」
「そんなんじゃなあ、見れないし触れないし匂えないし」
「匂えないて。なんかちょっと変態ぽいな」
「一馬に会いたいな」
 口にすると余計に身に染みた。なんて切実な願望。胸に迫るリアルな欲求。
「だろうな」
「会いたい」
「うん」
「本当に会いたい」
「はいはい」
「会いた過ぎて死んでしまう」
 瞼がじんと熱く痛くなる。
「…泣くなよ、恥ずかしい…」
「恥ずかしくないよ。好きな人を思って泣いて何が悪い」
「恥ずかしいって」
「恥ずかしくない。ああ一馬…」
「ギャ〜ちょっとちょっとほんとに恥ずかしいよこの人なんとかして」
 うちの親戚がお見舞いに持って来てくれた果物を盛り合せた籠に、結人はさり気なく手を伸ばす。籠の中からりんごを一つ取って、近くに置いてあった果物ナイフで皮を剥く。意外なくらい器用な手付き。薄いりんごの皮は途中で途切れることなく下へ下へと伸びていく。
 結人も結構優しいとこあるな俺のためにりんごを剥いてくれるとは…、
 とか思ってたら、
 結人は剥いたりんごをためらいなく、
 自分の口の中に入れた。
 …!
 おいおいおい。
「ウン! 美味い」
 当然のようにむしゃむしゃりんごを食べている結人を、唖然と見つめてたら、
「何?」
『何?』じゃない、『何?』じゃ。それはこっちの台詞だ。
 …こいつ一体何しに来たんだろう…。見舞いの品も持たず、見舞いの言葉も述べず、人の見舞い品のりんご勝手に食べてるし。でもまあ嬉しいけど。うん、嬉しいよ、結人、来てくれてありがとう。何か腑に落ちない気もするけどやっぱり嬉しい。
「英士、お礼の言葉はねーの? 『お見舞いに来てくれてありがとう。超嬉しい。結人くんの顔見たら一気に元気になっちった』とか言えよ」
 あーあ、この子、ほんとこういうとこさえなけりゃねえ…。
「お見舞いに来てくれてありがとう。そこそこ嬉しい。一馬の顔見たら一気に元気になると思う」
「死ね!」
「奇跡的に一命を取り止めた親友に対しての台詞とはとても思えないね」
「死ーね! 死ーね!」
「…お前ねー…」
「うっそ。も〜全然元気そうで良かった! 一馬なんか『英士が死んだら俺も死ぬ』とか『死ななくてももう二度とサッカー出来ないような体になったらどうしよう俺もサッカーやめる』とか真顔で言ってたんだぜ? ほんと一時はどうなることかと思ったよ。今となりゃ笑い話だけどさ。死ななくて良かったよ。英士が死んで、一馬が死んで、そしたら俺一人じゃん。さすがにそれは寂しい」
「結人…」
「君の生命力、いや、生命欲に乾杯」
 最後の一口のりんごを齧る結人。
「ありがとう」
「やっと真面目に礼言ったな、てめー」
「うん」
「ははは。ま、いいけどさ。ほんとに。いいよ。良かった。うん、良かった」
 食べ終わったりんごの芯をゴミ箱に投げ入れて、結人が笑う。
 結人って、何気にすごい良い奴だ。(←まるで今気付いたかのように)
 とか思った矢先、
「あ! ちょっと結人! 何さり気なくメロンに手ぇ付けようとしてんの!?」
「あ、ばれた?」
「ばれるよ。普通メロンに手出しする? ほんっとお前常識無いね」
 前言撤回。どこが良い奴だよ。やっぱこいつ無茶苦茶だ。けどそういうとこも含めて良い友達だとは思うけどね。でも勝手にメロン食べようとするのは人として間違ってるだろ。


 一馬が病室を訪れたのはそれから三日後だった。
 メールで『今から行っていい?』というメッセージ。胸が痛かった。震える手で『いいよ』と入れる。送信して一分もしないうちに病室のドアがノックされた(!)から驚いた。ドアの前でメールを送ったらしい。おいおい。
 一馬の姿が視界に入った瞬間、心臓が止まるかと思った。瞬きする間も惜しくて、ひたすら彼の姿を目に焼き付けようと凝視してしまう。目が乾いて苦しい。本当に苦しい。ずっと、ずっと会いたいと思っていた人に今会っている。そのことがこんなにも苦しいとは。
 一馬はまだ完全には風邪が治ってないみたいだった。さっきから幾度となく鼻を啜っている。
 一馬はドアの前で立ち止まったまま、
「調子、どう?」
と訊く。やっぱりまだちょっと声が掠れている。
 その言葉に軽く頷いて答えてから、手招きをした。
「一馬、もっと側に」
「風邪が移るから」
「いいよ、そんなの」
「よくねーよ」
「ちゃんと顔を見せて、お願い、お願いします、もっと側に」
 自分でも笑えるくらい切迫した声だった。
 切り詰められて切り刻まれてもう限界まで小さくされて切迫して切羽詰って駄目だもう駄目だ体中がチリチリして胸の真ん中の芯の部分がヂリヂリする。ちゃんと顔を見せてほしい触らせてほしい確認させてほしい確認してほしい。死ぬ。でないと死ぬ。
 言葉無く、鼻を啜りながら遠慮がちに一馬がベッドの側に来る。
 心臓が苦しくて、ほんとうに苦しい、事故の痛みとかそういうの、全部消してしまうくらいの心臓の痛み、ドキドキいって、苦しい。これは奇跡だ、奇跡の続きが今起こっている。なんて苦しい。
「もう、会えないかと思った。もう、二度と、会えないかと…」
 一馬がベッドの横の椅子に腰を下ろした途端、俺は一馬の腕にしがみついて一馬の胸に顔を埋める。
 思わず涙。
 面白いくらいだらだらと涙が流れた。水道の蛇口をひねったみたく流れた。すごい、こんなに泣いたのは赤ちゃんのとき以来だと思う。酷い涙、一馬のセーターに滲む。ごめん、ごめんなさい。
 一馬の動揺が一馬の体を通してこっちに伝わってくる。
 一馬が俺の頭を撫でた。酷く怖々と。遠慮がち、不器用、あたたかい手、さらに泣けた。

 死ねない。
 俺は絶対に死ねない。
 好きなんだ一馬。だから何があっても死ねない。神様に死ねと言われても死ねない。好きで好きで、もう、本当に。だから、死ぬわけにはいかない。何があっても死ぬわけにはいかないんだ。

「会えなくなるかと思った」

 でも会えた。

 でも、

「もう二度と会えなくなるかと…」

 それしか言えない。もう二度と一馬に会えなくなるかと思った。
 一馬、一馬、一馬、事故に遭った瞬間から今までずっとずっと一馬のことばかり考えていて、
 一馬、一馬、一馬、実を言うと事故とかそんなの関係無く一馬のことばかり考えてたずっと前からずっと。
 死ぬかもって思ったらさらに。会えなくなるかもしれないと思って、でもそんなこと信じられなくて、もう会えないなんてそんな、そんなのあまりにも。死んだら会えなくなる。そう思うと死ぬのが死ぬほど怖くて、痛切でリアルな恐怖、死ぬほど死にたくないと思った。だって死んだらもう会えない。会えないんだ。もう、会えなくなるかと。それは駄目だ、それは困る、そんなのあんまりだ。まだちゃんと好きって言ったこともないのに。そんなんで死ねるか。死んでも死にきれない成仏出来ない。いやもうほんと死ねないでしょYES。

 恐る恐るというような感じで、一馬がゆっくり口を開く。
「英士が死んだらどうしようかと思った」
「俺が死んだらどうしてた?」
「英士が死んだら死ぬよ、俺も」
「それ本当?」
「本当。だって英士が死んだら俺のせいだもん」
「一馬のせいじゃないよ。事故なんだから」
 一馬は静かに首を振った。
「まだ別れ際に言った言葉を気にしてるの?」
 “英士なんか死んじゃえ”、他愛無い台詞じゃないか。そんな子供じみた暴言すら可愛いと感じられるほど彼のことを想ってるというのに。

 一馬は少しだけ笑った。
 そんな大人びた笑い方はやめてほしい。

「気にするよ。今までの人生の中で一番後悔してる。一生後悔し続けると思う」

 『一生』
 なんて甘美な響き。
 ほんとに?ほんとに一生後悔し続けることが出来る?
 一生なんて、そんな、そんな重い言葉は往々にして逆に薄く軽く安く聞こえてしまうもので。

「英士が助かるなら、もう何もいらないって思った。自分の命と引き換えでも何でもいいからお願いします神様、英士の命を助けて下さいって、ほんとに思った」

 もしかしたら俺は彼によって生かされているのかもしれない。事故に遭ったのが彼のせいだというのなら、こうして助かったのも彼のおかげ。彼によって生かされている。そのことが、こんなにも苦しく、こんなにも嬉しい。生涯を預けたい。運命を握られたい。彼の一存で生かされて活かされて逝かされたい。死ぬまで彼のせいで苦しんだり喜んだりし続けたい。転がされたい殺されたい。重荷になりたい。側に居たい。俺の身の上に奇跡を起こすのは彼だ。いっそ彼の存在そのものが奇跡だ。もう何もいらない、神様、ほんとに思った。

「英士が死ななくてほんとに良かった。神様っているのかもしれない」
 真剣な顔して言う一馬が愛しくて、
 思わず、
「好きだよ」
とはじめて率直に言ってみたそしたら一馬は一瞬驚いた顔をしてその後ちょっとだけ頬を赤くして、
「何を今更」
とぶっきらぼうに言った・・・!

 なんて…、!なんて、かわいい人、いとしい人、ほんとに死ななくて良かった、生きてて良かった、この人を幸せにしたい、この人とずっと一緒にいたい、だから長生きしたい、長生きしてほしい、ほんとに良かった、神様ありがとう。


 一馬が俺のためにりんごを剥いてくれた。見てる方が恐怖を感じるくらい不器用な手付きだった。剥かれたりんごの形はいびつでボコボコしてて、しかも皮の部分の方が多かったりするんだから勿体無いことこの上ない。でも一馬が俺のためにりんごを剥いてくれたというその事実こそがもうなんていうか奇跡のようにありがたくて喜ばしいことで、不恰好なりんごも愛しく見えて仕方ない。しかもさらにあろうことか、一馬にりんごを食べさせてもらえたりして(!)、そりゃもう幸せの極致。生まれてこの方こんな美味しいりんごは食べたことがない。ある意味事故って良かったと言える。さすがにそれは言い過ぎか。しかしまあ、災い転じて、とはまさに。

 人生ってすばらしい!(YES!)










★おしまい★


Feb.17,2001
※夏休み最後の日がどうとか言ってるのは、昔に書いた8・31
という話との関連でして…


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