あなたとわたしは似ているの。
あなたにはわたしが必要だった。
他でもない、自分自身の身代わりとして。

2012年11月20日(火)
 大学生編っていうか、大学生編でのタテの高校一、二年時の話。私の中では、タテは高一のときにとある女子と付き合ってたという設定(そしてその女子は今は北海道にいる)があるんですが、それはそれとして、あかりさんとタテについて語り合ってて、
も:タテかっこよすぎるわー。みんなタテを好きになっちゃうんじゃない!? それが嫌で、タテって転校前は目立たないようにしてたかもね? 勉強はできるけど地味な人、を装ってたとか?
あ:転校前は地味だったのいい! 学校でも家庭でも、自分を押さえてたんだね。学校では特に、女子にキャーキャー言われるのが嫌だった。体育祭でも抜いて走ったりね。
 というのを前提として、以下転校前のタテメモ。

 高校一年生の春、ある女の子と廊下ですれ違った瞬間、タテは、『この子だ』って直感する。それは隣のクラスの佐々木さんだった。タテが通ってたのは、幼稚園から高校まであるエスカレーター式の学校だったんだけど、佐々木さんは高校入学組。高校から入学してくる生徒たちが最も頭がいいと言われているので、佐々木さんも賢いんだろうなーとタテは思ってる。もちろんタテも成績は常に上位だよ。塾や予備校通いしてる生徒が多い中、タテはそういうのには行かず、放課後に図書室で勉強してるんだけど、佐々木さんもよく図書室に来てた。席について勉強してるんじゃなくて、本棚の本の背表紙を一つ一つ確認しながらうろついたり、読書してるかと思えば窓の外をぼんやり眺めたり、そんな感じ。タテは、佐々木さんが気になって、勉強がはかどらなくて、今日見かけたら話しかけよう、っていつも心に決めてるんだけど、実際そのときになると、あー話しかけるとかないわー無理無理、ってなる。でもある日、佐々木さんのほうから話しかけてくるんだ。
「宿題? 勉強? どっちにしろ、授業が終わったばかりなのに、また机に向かうなんて、すごいね。信じられない」
 って。タテはびっくりする。いきなり話しかけられたことにも驚いたんだけど、別のクラスだから名前も知らないだろうに(タテの方では佐々木さんだと知ってるけど)、自然に隣りに座ってくるもんだから。
「すごいってことはないんじゃない。予備校行ってる人々も多いしね」
 驚きつつも、タテは平静を装って返答する。
「ふーん。みんな勉強熱心だなあ」
「佐々木さんて高校から入学したんだよね? だったら頭いいんでしょ。勉強しなくても頭いいタイプ?」
「親に言われて受験してみたら、たまたま受かっちゃっただけ。頭よくないし、勉強なんかどうでもいいよ。立松君は、幼稚園からでしょ。お坊ちゃんなんだなあ」
 お互い、なんで自分の名前を知ってるのか、なんて聞かなかった。
「よく図書室来てるけど、本が好きなの?」
「全然。ただ、学校終わってすぐ家に帰るのも嫌だし、他に行きたいところもないし、ここで時間潰してるだけ」
 それ以降、二人は親密になっていく。好きだよ、私も好きだよ、と言い合うこともなければ、付き合おう、うん、というやりとりもなかったんだけど、お互い好意を寄せ合ってるのは暗黙の了解だった。
 6月あたりに行われた球技大会で、タテはバスケに出てたんだけど、佐々木さんとこのクラスの男子と当たってた。接戦だったんだけど、結局、佐々木さんのクラスが勝つ。その日の帰り、二人は一緒に帰るんだけど、
「本気じゃなかったね」
 って佐々木さんがタテに言う。責めるような調子でも、暴くような調子でもなく、ただ何でもないことを言うように。何が? っていつものタテなら平然と返すところなんだけど、佐々木さんがいかにも自然な様子だから、タテも素で返してしまう。
「本気になる必要なんてある?」
「ないかも」
 佐々木さんは笑って、タテの手をさりげなく握って、
「でもちょっと残念かも。応援してたから。立松君が活躍するとこ見たかったかも」
「ご期待に添えず申し訳ない」
 佐々木さんの手を握り返した。小さくて、もうすぐ夏だというのに冷たい手だった。
 佐々木さん、一度だけタテの家に行ったことがあるかも。立松君の家ってどのへん? ってタテに聞いてみたら、じゃあ今から来てみる? って唐突な感じで。家に居たタテのお母さんはすごくびっくりする。あまり友達を家に呼ばないタテが、いきなり女の子を連れて来るんだもん。でも、佐々木さんの話はタテから聞いたことがあったから、「ああ、この子がそうなのか」って感じではあった。何を飲むのとか、何か食べたいものはあるかとか、色々気遣ってくる母に、「適当に買ってきたから何もいらないよ」と伝えて、タテの部屋に向かう途中、佐々木さんはピアノが置いてある部屋に目が行く。タテの部屋に行ってから、
「優しそうなお母さん」
「優しいよ。佐々木さんのお母さんは?」
「普通に優しいよ。でも私、父の連れ子だから、母親にはそれなりに気を遣うね」
「…そうなんだ」
 離婚したのか、死別なのか、事情を聞いたほうがいいのか? と、タテが迷うのも束の間、佐々木さんは話題を変え、
「ピアノがあったね。グランドピアノ」
「ああ、母さんが弾くんだ」
「見せてもらっても?」
「もちろん」
 それで二人はピアノ室へ。佐々木さんは、すごーい、と感心してる。
「私、前にピアノ習ってて。うちにもピアノあるよ。グランドピアノじゃないけど。立松君、何か弾いてみて」
「いや、俺はほとんど弾けなくて」
「弾いてみてもいい?」
「どうぞ」
 佐々木さんは幾分緊張した面持ちで椅子に腰掛け、深呼吸して弾き始める。ショパンを華麗に奏でたりするのか、とタテが構えてたら、流れてきたメロディは、ブルグミュラー25の練習曲の一番初め。バイエルの後やバイエルと並行してやるような初級の曲だ。しかも、何度も止まり、前に戻り、迷いながら弾いている。この曲は、タテにとっては馴染みのあるものだが、ピアノを弾かない人にとってはどうだろう、とタテは考える。2曲めのアラベスクなら、有名だから「この曲聞いたことある」と佐々木さんに言えるのだが。1分にも満たない曲を、5分ほどかけてようやく弾き終えた佐々木さんは、照れた表情をしていた。タテは拍手をする。
「お恥ずかしい。小一から二年間習ってたの。でも、嫌で嫌で、ずっとやめたかった。教室さぼって怒られたりね。自分から習いたいって言ったもんだから、やめたいとはっきり言えず」
「うん」
「でも、嫌なことは嫌だって、言ってればよかった」
「なかなか言えないことも多いけどね」
「そう、言えないの。ほんとに言いたいことって、言えないね。口にできるのは、どうでもいいことばっかり」
 陳腐な言い様じゃないか。でも、佐々木さんが言うと、妙に深刻で、物悲しかった。
「さっきの曲、なんて曲?」
「『すなおな心』
 聴いてくれて、ありがとう」
 佐々木さんは、また照れた様子になった。そんな彼女の手を握り、タテは、うん、と言った。小さな冷たい手が、震えていた。そっと口付ける。彼女の唇は、手と同じように冷たかった。
 佐々木さんが帰った後、タテはピアノを弾く。佐々木さんが途切れ途切れに弾いていた曲、すなおな心を、迷いなく。続けて、アラベスク、パストラル。4番めはなんだったか。クローゼットを探してみれば、ブルグミュラーの楽譜はあっさり出てきた。タテが再びピアノに向かおうとしたとき、ドアが小さくノックされた。どうぞ、とタテが言うと、母親が入って来る。
「ピアノ弾いてるの? 珍しいわね」
「佐々木さんがブルグミュラーの練習曲を弾いてくれて。それで、なんだか懐かしくなって」
 タテが母に楽譜を渡すと、母は嬉しそうな顔をする。
「まあ、ほんとに」
「母さん、弾いてくれる?」
「ええ。弾きましょう。憲男も弾いてくれるわね?」
「うん」

 あるとき、佐々木さんはタテに聞いた。
「どうして私を好きになったの」
「廊下ですれ違った瞬間に、分かったんだよ、この子だって」
「私も分かったよ。でもそれは、好きというのとは違う。立松君もそうだと思うよ」
「じゃあ何?」
「私たちはすれ違ったとき、自分に似ている人間がいるって、お互いに思った」
(それで、必要になるかもしれないって思った。自分自身の、身代わりとして)
「似てるかな?」
「うん、立松君と私は似ている。だから私達は惹かれ合い、求め合い、でもいずれは憎み合うようになり、そして結局ダメになる」
 自分たちはうまくいってると思ってたタテは驚く。今のところ、二人の間には憎しみの影など見えない。
「何それ、予言?」
 ふざけて言ったつもりだったのに、声が震えた。
「そう、予言」
 それからしばらく経ったある日、佐々木さんはタテに別れを切り出す。佐々木さんに、別に好きな男ができたのだ。その人はずっと年上で、佐々木さんの父親と同じ会社に勤めているらしい。タテは、別れたくないと佐々木さんに言う。佐々木さんを失うことは、タテにとって耐えがたいように感じられた。
「じゃあ、立松君は、私を遠いところへ連れてってくれる? 私を、あの家から連れ出してくれる?」
「連れ出してくれるなら誰でもいいの?」
「そうかもしれない」
「賢明じゃないね」
「家を出たいなら、県外の大学に行くのが賢明? 高校卒業まで、まだ二年以上あるじゃない。私はそんなに待てない。私はもう、10年以上我慢してる。これ以上、一秒だって我慢したくない」
 ほんとに言いたいことは何も言えない、と言った佐々木さんが、ほんとに言いたいことを言っている。そしたら、タテは、もう何も言い返せない。どんな言葉も、今の佐々木さんの前では無力だ。それがほんとの言葉でない限り。そしてタテは、ほんとの言葉を発するつもりなどない。
 佐々木さんは、高一の春休み、二年に上がる前に、学校を辞めて、相手の男性と一緒に北海道(彼の実家がある)に行くことに決める。両親とは揉めに揉めただろうが、そのへんのことは詳しく聞いていないからタテには分からない。駆け落ち同然なんじゃないかと想像するだけだ。
 最後に、佐々木さんはタテに言う。
「立松君、本気になるのって悪くない。リスクも大きいけど、得るものも大きい。でもそんなの抜きにして、ほんとに言いたいこと言って、やりたいようにやるのって、気持ちいい。怖いけどね。でも、たまには怖い思いするのもいいんじゃない? 私、いつも先回りして、怖いのを回避してたんだけど、そういうの、飽きちゃったから。ってお説教みたいでやだね。ごめん。
 立松君、ありがとう。私を見つけてくれて。私を、大切にしてくれて。うれしかったよ。本気じゃなくても」
(身代わりだったとしても)
 タテはタテなりに本気だったはずだけど、本気だったよ、とは言えなくて。
「幸せになってね」
 佐々木さんを、最後に強く抱き締めたかった。でも、できなかった。
「それはこっちの台詞。お願い、立松君、幸せになって」
(私があなたの身代わりであったように、あなたも私の身代わりだった。私はあなたを愛している。私自身よりも強く。さようなら、もう一人の私。あなたが幸せになりますように。私も、きっと、幸せになるから)



・・・・
 大学の帰り、タテは手紙をポストに投函しようとして、止め、ポケットに捻じ込む。佐々木さんから送られてきた手紙の返信だった。佐々木さんとは今でも、年に数回、手紙でやりとりをしている。住所はお互い知っているが、電話番号は知らない。手紙の中で、佐々木さんは、幸せな毎日を送っていると書いていた。写真の中の彼女も、幸せそうに笑っていた。一回り年上の旦那さんはいかにも優しそうで、もうすぐ二歳になる娘のなんと愛らしいこと。佐々木さんは、ただ今二人めを妊娠中。幸せすぎて不安になるくらい(笑)、なんて佐々木さんは書いてた。タテはその手紙を、心から祝福しながら読んだ。祝福以上に安心か。佐々木さんの幸せに満ちた手紙に、どう返信すればいいのか、本当のこと(進藤ちゃんとのあれこれ)は書けず、かといって嘘も書けず、なんとか頭を捻って書いた手紙は、短く、当たり障りのないものだった。でも、この返事を出せば、少なくとも、自分も元気でいることが佐々木さんに伝わる。だから、当然いつも通り出すつもりだったのだが、進藤ちゃんが「北海道の女」を気にしてるのが引っ掛かっていた。何も後ろめたいことなどないけれど、進藤ちゃんが嫌なことはしたくないな、と。「返事するな」なんて言われてないし、進藤ちゃんがそんなこと言うはずないんだけど。でも、嫌って思ってるんだろうな、とタテは思う。だったら出せないな。
(No news is good news. ってことで、よろしく、佐々木さん、ごめんね)
 手紙をポケットに入れたまま、ポストを立ち去るタテ。
「おかえりー」
 タテが帰ると、進藤ちゃんが慌てて玄関まで迎えに来る。
「ただいまー。って何々、それは」
 進藤ちゃん、手にボウル(球じゃなくて調理器具です)を持ってる。料理の途中だったと思われる。
「見て、立松! ほら、卵割ったら、双子だった!」
 すっかりテンション上がってる進藤ちゃんが、微笑ましくてならないタテ。卵割った瞬間、「わー!」ってなって、「早く立松帰って来ないかな」ってソワソワしながら待ってたんだろうと思うと、胸がすごくあったかくなる。
「ほんと、すごーい。なんか得した気分だね」
「うん、そう。俺、写メ撮ったもん」
「待ち受けにすれば?」
「それはしないけど」
「ねえ、進藤ちゃん」
「ん?」
「ゴールデンウィーク、全部バイト入れたりしてる?」
「全部じゃないけど。ていうか、うち、シフト結構適当だから、まだ固まってなくて。何? どっか行きたいとこあんの」
「俺の実家に来ない?」
「えっ」
「うちには、ピアノがあって、」









 佐々木さん、僕が君を一目で気に入ったのは、単純に、見た目がとっても好みだったからってだけなんだ。きっと君は信じてくれないだろうけどね! 君は、僕と君は似ていると言った。そうかもしれない。似てるところもあるかもしれない。でも、僕が君を好きになったのは、僕にはないものを君が持っていたからだ。君はいつも、変わりたいと思っていた。今自分がいるところから飛び立っていくことを望んでいた。君が僕に話しかけてくれたとき、僕の手を握ってくれたとき、僕にピアノを聴かせてくれたとき、どんなに励まされたことだろう。君は勇気ある女の子だった。そんな君が、とても好きだったんだ。君が今、幸せで、本当に良かった。僕も、幸せでいるよ。たまに、迷ったり、落ち込んだり、諦めそうになったりするけれど、あるべきところへ立ち返ってこられる。僕には今、すぐ近くに愛する人がいて、その人がいつも、僕を元気づけ、明るい場所に導いてくれる。明るい場所に出ていくのは、怖くて、ためらってしまう。でも大丈夫。僕の中には、小さな勇気が芽吹いている。君と一緒にいた頃、僕はただ、君の勇気が眩しくて、自分には縁が無いと思ってた。そのせいで、きっと君を苦しめたことだろう。ごめんね。僕はやっと、勇気を持とうという勇気を、持つことができそうだ。遅すぎるけど、手遅れになるほど遅くはない。佐々木さん、ほんとうにありがとう。もし君が、僕を見つけてくれなかったら、僕は今でも、本気になってなかったよ。

 君への返事は、心の中で。



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